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== ユニオン・ステーション他 ==
== ユニオン・ステーション他 ==
1987年、[[アリソン・クラウス]]は自身のバンドのユニオン・ステーションにブラウンを誘い、3年間所属していた。1990年、ブラウンは[[テネシー州]]に転居し、1991年、国際ブルーグラス協会より最優秀バンジョー奏者賞を受賞した。1990年、ブラウンがバンジョーを演奏したクラウスのアルバム『''[[::en:I've Got That Old Feeling|I've Got That Old Feeling]]'' 』がグラミー賞を受賞した<ref>[http://www.musesmuse.com/col-bronson-bilvorndick.html Interview with producer Bill VornDick about Grammy award for album I've Got That Old feeling on www.mesesmuse.com]</ref>。
1987年、[[アリソン・クラウス]]は自身のバンドのユニオン・ステーションにブラウンを誘い、3年間所属していた。1990年、ブラウンは[[テネシー州]]に転居し、1991年、国際ブルーグラス協会より最優秀バンジョー奏者賞を受賞した。1990年、ブラウンがバンジョーを演奏したクラウスのアルバム『''[[:en:I've Got That Old Feeling|I've Got That Old Feeling]]'' 』がグラミー賞を受賞した<ref>[http://www.musesmuse.com/col-bronson-bilvorndick.html Interview with producer Bill VornDick about Grammy award for album I've Got That Old feeling on www.mesesmuse.com]</ref>。


1992年、ブラウンは[[シンガーソングライター]]のマイケル・ショックドのバンドのバンド・リーダーとなった。この時の経験からブラウンはベラ・フレックや[[デビッド・グリスマン]]のようにブルーグラスにジャズやフォークの表現法を取り入るようになった。
1992年、ブラウンは[[シンガーソングライター]]のマイケル・ショックドのバンドのバンド・リーダーとなった。この時の経験からブラウンはベラ・フレックや[[デビッド・グリスマン]]のようにブルーグラスにジャズやフォークの表現法を取り入るようになった。
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== グラミー賞 ==
== グラミー賞 ==
ベラ・フレックとコラボレートし、2000年のグラミー賞カントリー・インストゥルメンタル賞を受賞した。1990年にはアリソン・クラウスのグラミー賞アルバム『''I've Got That Old Feeling'' 』に携わっており、1990年には自身のアルバム『''[[::en:Simple Pleasures (album)|Simple Pleasures]]'' 』でグラミー賞にノミネートされていた。2001年、自身のアルバム『''[[::en:Fair Weather (album)|Fair Weather]]'' 』の曲『''Leaving Cottondale'' 』でグラミー賞カントリー・インストゥルメンタル賞を受賞した。
ベラ・フレックとコラボレートし、2000年のグラミー賞カントリー・インストゥルメンタル賞を受賞した。1990年にはアリソン・クラウスのグラミー賞アルバム『''I've Got That Old Feeling'' 』に携わっており、1990年には自身のアルバム『''[[:en:Simple Pleasures (album)|Simple Pleasures]]'' 』でグラミー賞にノミネートされていた。2001年、自身のアルバム『''[[:en:Fair Weather (album)|Fair Weather]]'' 』の曲『''Leaving Cottondale'' 』でグラミー賞カントリー・インストゥルメンタル賞を受賞した。


== アリソン・ブラウン・アンド・カルテット ==
== アリソン・ブラウン・アンド・カルテット ==
2005年のアルバム『''[[::en:Stolen Moments (Alison Brown album)|Stolen Moments]]'' 』がブラウンによると最も音楽的に最高の作品となった。公式サイトによるとブラウンはこのアルバムについて「ブルーグラス、ジャズ、[[ケルト音楽]]の調合が最高にうまくいった作品で、どのジャンルにも属しない」と語った。2007年、ブラウンは『アイリッシュ・アメリカ』誌において「[[アメリカ南部|南部]]の星」と称えられた。2009年のアルバム『''[[::en:The Company You Keep (Alison Brown album)|The Company You Keep]]'' 』はアコースティックな違うジャンルをミックスする方法を継承し、新たな調合を生み出した。
2005年のアルバム『''[[:en:Stolen Moments (Alison Brown album)|Stolen Moments]]'' 』がブラウンによると最も音楽的に最高の作品となった。公式サイトによるとブラウンはこのアルバムについて「ブルーグラス、ジャズ、[[ケルト音楽]]の調合が最高にうまくいった作品で、どのジャンルにも属しない」と語った。2007年、ブラウンは『アイリッシュ・アメリカ』誌において「[[アメリカ南部|南部]]の星」と称えられた。2009年のアルバム『''[[:en:The Company You Keep (Alison Brown album)|The Company You Keep]]'' 』はアコースティックな違うジャンルをミックスする方法を継承し、新たな調合を生み出した。


その後も彼女のバンドであるカルテットと共に国際的に活動を続けている。ハーバード大学卒業生として、[[ドリュー・ギルピン・ファウスト]]の学長就任式で演奏した<ref name="compassrecords.com"/><ref>[http://news.harvard.edu/gazette/story/2007/10/from-jazz-to-samba-to-hill-street-blues/ Inauguration of Dew Faust – info on http://news.harvard.edu]</ref>。
その後も彼女のバンドであるカルテットと共に国際的に活動を続けている。ハーバード大学卒業生として、[[ドリュー・ギルピン・ファウスト]]の学長就任式で演奏した<ref name="compassrecords.com"/><ref>[http://news.harvard.edu/gazette/story/2007/10/from-jazz-to-samba-to-hill-street-blues/ Inauguration of Dew Faust – info on http://news.harvard.edu]</ref>。
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== ディスコグラフィ ==
== ディスコグラフィ ==
<u>[[ヴァンガード・レコード]]:</u>
<u>[[ヴァンガード・レコード]]:</u>
*''[[::en:Simple Pleasures (album)|Simple Pleasures]]'' (1990)
*''[[:en:Simple Pleasures (album)|Simple Pleasures]]'' (1990)
*''[[::en:Twilight Motel (album)|Twilight Motel]]'' (1992)
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*''[[::en:Look Left (album)|Look Left]]'' (1994)
*''[[:en:Look Left (album)|Look Left]]'' (1994)
*''[[::en:Quartet (Alison Brown album)|Quartet]]'' (1996)
*''[[:en:Quartet (Alison Brown album)|Quartet]]'' (1996)
*''[[::en:Best of the Vanguard Years (Alison Brown album)|Best of the Vanguard Years]]'' (2002)
*''[[:en:Best of the Vanguard Years (Alison Brown album)|Best of the Vanguard Years]]'' (2002)
*''[[::en:Vanguard Visionaries (Alison Brown album)|Vanguard Visionaries]]'' (2007)
*''[[:en:Vanguard Visionaries (Alison Brown album)|Vanguard Visionaries]]'' (2007)


<u>コンパス・レコード:</u>
<u>コンパス・レコード:</u>
*''[[::en:Out of the Blue (Alison Brown album)|Out of the Blue]]'' (1998)
*''[[:en:Out of the Blue (Alison Brown album)|Out of the Blue]]'' (1998)
*''[[::en:Fair Weather (album)|Fair Weather]]'' (2000)
*''[[:en:Fair Weather (album)|Fair Weather]]'' (2000)
*''[[::en:Replay (Alison Brown album)|Replay]]'' (2002)
*''[[:en:Replay (Alison Brown album)|Replay]]'' (2002)
*''[[::en:Stolen Moments (Alison Brown album)|Stolen Moments]]'' (2005)
*''[[:en:Stolen Moments (Alison Brown album)|Stolen Moments]]'' (2005)
*''[[::en:Evergreen (Alison Brown album)|Evergreen]]'' (2008)
*''[[:en:Evergreen (Alison Brown album)|Evergreen]]'' (2008)
*''[[::en:The Company You Keep (Alison Brown album)|The Company You Keep]]'' (2009)
*''[[:en:The Company You Keep (Alison Brown album)|The Company You Keep]]'' (2009)


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2017年8月28日 (月) 13:35時点における版

アリソン・ブラウン
Alison Brown
基本情報
生誕 (1962-08-07) 1962年8月7日(62歳)
出身地 アメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード
ジャンル ブルーグラス, アメリカーナ, ジャズ
職業 ソングライター, ミュージシャン, 音楽プロデューサー
担当楽器 バンジョー, ギター
活動期間 1978年–現在
レーベル ヴァンガード・レコード, コンパス・レコード
共同作業者 アリソン・クラウス, ユニオン・ステーション, ベラ・フレック, デビッド・グリスマン, スチュアート・ダンカン, サム・ブッシュ, ノーザン・ライツ
公式サイト www.alisonbrown.net

アリソン・ブラウン (Alison Brown 1962年8月7日 - ) は、アメリカ合衆国バンジョーおよびギター奏者。ソフト・ナイロン弦のバンジョー演奏で知られる。グラミー賞受賞者であり、彼女のユニークな奏法は奇才ベラ・フレックと比較されることが多い。ジャンルとしてはブレンド・ジャズブルーグラスロックブルースなど多岐にわたる[1][2]

生い立ち

コネチカット州ハートフォードで生まれ、8歳からギター演奏、10歳からバンジョー演奏を学んだ。12歳の時、フィドル奏者のスチュアート・ダンカンと出会った。1978年夏、ダンカンおよび彼の父親と共にフェスティバルやコンサートで演奏するために全米をまわった。カナディアン・ナショナル・バンジョー・チャンピオンシップで優勝し、『グランド・オール・オープリー』に出演した[3]

ハーバード大学およびノーザン・ライツ

1980年、ハーバード大学に進学し、歴史や文学を学んだ。ハーバード大学卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営学修士を取得した。

1982年、ハーバード大学在学中、5年間活動休止中であったブルーグラス・バンドのノーザン・ライツの再結成に携わり、1984年にカリフォルニア州に転居するまでこのバンドのメンバーとして活動した。サンフランシスコの金融機関スミス・バーニーで働いていたが、音楽活動のため退社した[4]

ユニオン・ステーション他

1987年、アリソン・クラウスは自身のバンドのユニオン・ステーションにブラウンを誘い、3年間所属していた。1990年、ブラウンはテネシー州に転居し、1991年、国際ブルーグラス協会より最優秀バンジョー奏者賞を受賞した。1990年、ブラウンがバンジョーを演奏したクラウスのアルバム『I've Got That Old Feeling 』がグラミー賞を受賞した[5]

1992年、ブラウンはシンガーソングライターのマイケル・ショックドのバンドのバンド・リーダーとなった。この時の経験からブラウンはベラ・フレックやデビッド・グリスマンのようにブルーグラスにジャズやフォークの表現法を取り入るようになった。

コンパス・レコード

1990年代初頭、ブラウンと夫でベース奏者のゲイリー・ウエストは独自のレコード・レーベルであるスモール・ワールド・ミュージックを創立した。1995年、コンパス・レコードと改名して、ヴィクター・ウッテン、コリン・ヘイ、ケイティ・カーティス、ルナザ、マーティン・ヘイズ、ジェフ・コフィン、ラス・バレンバーグ、ダロル・アンガーなどのアーティストが所属し国際的なレーベルとなった。

グラミー賞

ベラ・フレックとコラボレートし、2000年のグラミー賞カントリー・インストゥルメンタル賞を受賞した。1990年にはアリソン・クラウスのグラミー賞アルバム『I've Got That Old Feeling 』に携わっており、1990年には自身のアルバム『Simple Pleasures 』でグラミー賞にノミネートされていた。2001年、自身のアルバム『Fair Weather 』の曲『Leaving Cottondale 』でグラミー賞カントリー・インストゥルメンタル賞を受賞した。

アリソン・ブラウン・アンド・カルテット

2005年のアルバム『Stolen Moments 』がブラウンによると最も音楽的に最高の作品となった。公式サイトによるとブラウンはこのアルバムについて「ブルーグラス、ジャズ、ケルト音楽の調合が最高にうまくいった作品で、どのジャンルにも属しない」と語った。2007年、ブラウンは『アイリッシュ・アメリカ』誌において「南部の星」と称えられた。2009年のアルバム『The Company You Keep 』はアコースティックな違うジャンルをミックスする方法を継承し、新たな調合を生み出した。

その後も彼女のバンドであるカルテットと共に国際的に活動を続けている。ハーバード大学卒業生として、ドリュー・ギルピン・ファウストの学長就任式で演奏した[1][6]

日本との関わり

1991年10月、ブラウンは熊本県で行われた第3回カントリー・ゴールドにアリソン・クラウス&ユニオン・ステーションの一員として出演した[7]。当時福岡県で活動していたファミリー・カントリー・バンドの中島ファミリーと交流するようになり、日本と関わりを持つようになっていった[8]。2010年3月27日、2011年3月23日、在ナッシュビル日本総領事館が主催するナッシュビル桜祭りに出演した[9][10][11]。2011年、鎌倉・ナッシュビル市民交流事業の一環で第1回ナッシュビル親善大使として鎌倉を訪れ[12]、10月7日から13日に2002年以降9年ぶりの日本ツアーを行ない[13]、これに伴い10月16日、第23回カントリー・ゴールドに友情出演した[14]。2012年9月7日から15日にも日本ツアーを行なった[15][16]。10月24日にはテネシー州ナッシュビルで行われたミュージック・シティ・ルーツでトミ藤山と共演した[17]

ディスコグラフィ

ヴァンガード・レコード:

コンパス・レコード:

脚注

外部リンク