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[[1.FCアイントラハト・バンベルク]]から[[1.FCニュルンベルク]]の下部組織に移り、2001年にトップチームデビューした。ニュルンベルクではリーグ戦73試合に出場し、15得点を決めた。その活躍から[[アーセナルFC]]もオファーがあったが、2006年に[[バイエル・レバークーゼン]]に移籍した。
[[1.FCアイントラハト・バンベルク]]から[[1.FCニュルンベルク]]の下部組織に移り、2001年にトップチームデビューした。ニュルンベルクではリーグ戦73試合に出場し、15得点を決めた。その活躍から[[アーセナルFC]]もオファーがあったが、2006年に[[バイエル・レバークーゼン]]に移籍した。


2007-08シーズンの[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]では7得点を決め、[[ルカ・トーニ]]([[バイエルン・ミュンヘン]])、[[パヴェル・ポグレブニャク]]([[ゼニト・サンクトペテルブルク]])に次いで得点ランキング3位にはいった。
2007-08シーズンの[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]では7得点を決め、[[ルカ・トーニ]]([[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]])、[[パヴェル・ポグレブニャク]]([[ゼニト・サンクトペテルブルク]])に次いで得点ランキング3位にはいった。


2008-09シーズンは[[パトリック・ヘルメス]]とコンビを組み、自身は12ゴールを挙げた。[[ユップ・ハインケス]]監督が就任した2009-10シーズン序盤はヘルメスが怪我で離脱し、自身がフィニッシャーの役割を任せられたことから得点数が増加し、2009年11月の[[VfBシュトゥットガルト]]戦ではハットトリックを達成した。このシーズンは21ゴールを挙げ、ブンデスリーガ得点ランク2位となった。(1位は[[エディン・ジェコ]]の22ゴール)
2008-09シーズンは[[パトリック・ヘルメス]]とコンビを組み、自身は12ゴールを挙げた。[[ユップ・ハインケス]]監督が就任した2009-10シーズン序盤はヘルメスが怪我で離脱し、自身がフィニッシャーの役割を任せられたことから得点数が増加し、2009年11月の[[VfBシュトゥットガルト]]戦ではハットトリックを達成した。このシーズンは21ゴールを挙げ、ブンデスリーガ得点ランク2位となった。(1位は[[エディン・ジェコ]]の22ゴール)

2017年8月29日 (火) 09:51時点における版

シュテファン・キースリング
名前
ラテン文字 Stefan Kießling
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1984-01-25) 1984年1月25日(40歳)
出身地 リヒテンフェルス
身長 191cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン
ポジション FW(CF)
背番号 11
利き足 右足
ユース
1.FCアイントラハト・バンベルク
1.FCニュルンベルク
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003–2006 ドイツの旗 1.FCニュルンベルク 73 (15)
2006– ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン 316 (127)
代表歴2
2003 ドイツの旗 ドイツ U-20 1 (0)
2004 ドイツの旗 ドイツ チーム2006英語版 1 (0)
2005–2006 ドイツの旗 ドイツU-21 15 (4)
2007–2014 ドイツの旗 ドイツ 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月30日現在。
2. 2013年4月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

シュテファン・キースリングStefan Kießlingドイツ語発音: [ˈʃtɛfan ˈkiːslɪŋ]1984年1月25日 - )は、ドイツリヒテンフェルス出身の同国代表サッカー選手ブンデスリーガバイエル・レバークーゼン所属。ポジションはフォワード

姓はキースリンクと表記される場合もあるが、実際のドイツ語の発音に近いのはキースリングである。

経歴

レバークーゼンでプレーするキースリング (2012)

1.FCアイントラハト・バンベルクから1.FCニュルンベルクの下部組織に移り、2001年にトップチームデビューした。ニュルンベルクではリーグ戦73試合に出場し、15得点を決めた。その活躍からアーセナルFCもオファーがあったが、2006年にバイエル・レバークーゼンに移籍した。

2007-08シーズンのUEFAカップでは7得点を決め、ルカ・トーニバイエルン・ミュンヘン)、パヴェル・ポグレブニャクゼニト・サンクトペテルブルク)に次いで得点ランキング3位にはいった。

2008-09シーズンはパトリック・ヘルメスとコンビを組み、自身は12ゴールを挙げた。ユップ・ハインケス監督が就任した2009-10シーズン序盤はヘルメスが怪我で離脱し、自身がフィニッシャーの役割を任せられたことから得点数が増加し、2009年11月のVfBシュトゥットガルト戦ではハットトリックを達成した。このシーズンは21ゴールを挙げ、ブンデスリーガ得点ランク2位となった。(1位はエディン・ジェコの22ゴール)

2012-13シーズン、25ゴールを挙げる活躍を見せ、ブンデスリーガ得点王に輝いた。

代表歴

ドイツ代表としてU-21代表ではエースとして活躍し、2007年3月28日の対デンマーク戦でA代表デビューを果たした。

2010 FIFAワールドカップに臨むドイツ代表にも選ばれ、決勝トーナメントのイングランド戦とウルグアイ戦で途中出場している。しかし、その後はドイツ代表でプレーをする気はないと公言し、ヨアヒム・レーヴ監督下では代表選手になる事はないとも語っている[1][2]

エピソード

愛妻家で、ゴールを決めるたびに妻と子供の名前が彫られたタトゥーにキスをしている。なお料理も得意で、料理本も出版している[3]

2015年3月8日に行われたブンデスリーガ第24節SCパーダーボルン07戦にて彼の強烈なシュートが相手GKルーカス・クルーゼの顔面に直撃し、クルーゼは一時的に気絶してしまった[4]

所属クラブ

脚注

  1. ^ キースリンク、ドイツ代表復帰は考えず Goal.com 2013年8月26日
  2. ^ キースリンク、W杯出場を諦める フットボールチャンネル 2013年11月25日
  3. ^ 不振の続くゴメス、代表復帰拒否のキースリンク―ドイツ代表ストライカーは一体誰に?サッカーキング 2013年2月28日
  4. ^ 弾丸シュートを顔面ブロックしGKが気絶…ピッチ上で大の字にサッカーキング 2015年3月10日

外部リンク