「シュテファン・マイヤーホーファー」の版間の差分
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2017年8月29日 (火) 10:36時点における版
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Stefan Maierhofer | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストリア | |||||
生年月日 | 1982年8月16日(42歳) | |||||
出身地 |
ニーダーエスターライヒ州 ガブリッツ | |||||
身長 | 202cm | |||||
体重 | 95kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SVマッテルスブルク | |||||
ポジション | FW (CF) | |||||
背番号 | 19 | |||||
ユース | ||||||
1990-1991 | マウアーバッハ | |||||
1991-1996 | ガブリッツ | |||||
1996-1999 | トゥルン | |||||
1999-2001 | ガブリッツ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2002 | トゥルン | 26 | (12) | |||
2002-2003 | ファースト・ヴィエナFC | 18 | (2) | |||
2003-2005 | ランゲンロール | 53 | (26) | |||
2005-2006 | バイエルン・ミュンヘンII | 42 | (21) | |||
2007 | バイエルン・ミュンヘン | 2 | (0) | |||
2007 | コブレンツ | 14 | (3) | |||
2007 | グロイター・フュルト | 10 | (2) | |||
2008 | → ラピード・ウィーン (loan) | 11 | (7) | |||
2008-2009 | ラピード・ウィーン | 38 | (24) | |||
2009-2011 | ウルヴァーハンプトン | 9 | (1) | |||
2010 | → ブリストル・シティ (loan) | 3 | (0) | |||
2010-2011 | → デュースブルク (loan) | 27 | (8) | |||
2011-2012 | レッドブル・ザルツブルク | 39 | (15) | |||
2013 | ケルン | 14 | (1) | |||
2014 | ミルウォール | 11 | (2) | |||
2014-2015 | ヴィーナー・ノイシュタット | 4 | (1) | |||
2015 | ミルウォール | 10 | (1) | |||
2016 | トレンチーン | 10 | (2) | |||
2017- | SVマッテルスブルク | 0 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2008- | オーストリア | 19 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年2月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
シュテファン・マイヤーホーファー(Stefan Maierhofer、1982年8月16日 - )はオーストリア・ガブリッツ出身の元同国代表サッカー選手。オーストリア・ブンデスリーガ・SVマッテルスブルク所属。ポジションはフォワード。
ドイツ・ブンデスリーガ最長身選手の記録保持者である。
経歴
クラブ
23歳まではオーストリア5部、4部、3部のチームでプレー。しかしオーストリア3部ではスタメンに定着できず、主な活躍場はオーストリア4部であった。プロサッカー選手の夢を常に持ちながらも専門学校で料理人としての育成を受け、正式なマイスターのライセンスを取得する。
しかし本人はプロサッカーへの憧れを捨てきれず、オーストリア・ブンデスリーガのSKラピード・ウィーンやエアステリーガ(オーストリア2部)のクラブ等で幾度も練習参加をしテストを受けるが不合格。
しかし2005年の夏、「特別に1度だけ」と練習参加を許されたドイツ・ブンデスリーガの名門FCバイエルン・ミュンヘン・セカンドチーム(FCバイエルン・ミュンヘンII)で、同チームのヘアマン・ゲアランド監督に見出され、初のプロ契約をFCバイエルン・ミュンヘンで得るという快挙を成し遂げる。
FCバイエルン・ミュンヘン所属時代
FCバイエルン・ミュンヘン・セカンドチームが所属しているレギオナルリーガ(ドイツ3部)で初年度から28試合に出場、10得点を記録するなど予想以上の活躍を見せ、長い下積み時代からの社会人としての豊富な経験もあったことから、シーズン途中からはチームの主将に任命される。当時のチームメートにはマッツ・フンメルス、ミヒャエル・レンジング、マークス・シュタインヘーファー、フリオ・ドス・サントスなどがいた。センターフォワードとしてワントップもしくは主にペルー代表のパオロ・ゲレーロと共にツートップを組みプレーした。
2006年夏からはフェリックス・マガト監督の下トップチームの練習に参加するようになり、同年10月及び11月にはドイツ・ブンデスリーガでも出場を果たす(アイントラハト・フランクフルト戦、ハノーファー96戦)。同時にサテライトチームでも得点を量産。
しかしトップチームではロイ・マカーイやクラウディオ・ピサーロ放出が決定したものの、同時にミロスラフ・クローゼやルカ・トーニの獲得、他にもルーカス・ポドルスキの残留も決定したため、マイヤーホーファーのスタメン定着は厳しい状況になった。
オーストリア、イングランド、ドイツでプレー
2007年2月にFCバイエルン・ミュンヘンを退団し、ドイツ2部のチームでプレー。2008年1月には4年前に練習参加をし不合格の通知を受けたオーストリア・ブンデスリーガのSKラピード・ウィーンにレンタル移籍。11試合で7得点4アシストの活躍を見せ、チームはリーグ優勝、自身は同クラブへの完全移籍を勝ち取る。翌年には35試合で23得点を挙げる活躍を見せた。
2009-2010シーズンは期限ギリギリの8月31日に当時イングランド・プレミアリーグに所属していたウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCへ移籍。だがここでは8試合1得点と結果を残せず、2010年3月15日から4月8日までブリストル・シティFCにレンタル移籍した(3試合に出場)。
2010年8月にMSVデュースブルクへレンタル移籍、ドイツへ復帰した。スタメンに定着し主力として活躍するものの、シーズン途中に中足骨を骨折し、27試合出場8得点3アシストでシーズンを終える。ドイツカップでは5試合で4得点2アシストを記録し、チームの準優勝に貢献するが、中足骨骨折の影響により、決勝のシャルケ04戦のみ出場できなかった。
2011年8月にオーストリア・ブンデスリーガのレッドブル・ザルツブルクに完全移籍。移籍初年度から背番号「9」を背負い、オーストリア・ブンデスリーガとオーストリア・カップの2冠獲得に貢献した。この時期には後に柏レイソルやヴァンフォーレ甲府で活躍することになるクリスティアーノ・ダ・シウヴァと共にプレーしている。
その後は当時ブンデスリーガ2部に所属していた1.FCケルンやチャンピオンシップのミルウォールFCでプレーした後にオーストリア・ブンデスリーガで残留争いをしていたSCヴィーナー・ノイシュタットに移籍。
SCヴィーナー・ノイシュタットで永久欠番
SCヴィーナー・ノイシュタットでの契約は選手本人の希望により2014年11月から2015年6月までの短期契約であり、同時に2015年1月の時点でイングランド・プレミアリーグもしくはチャンピオンシップからオファーがあった場合はクラブ側が違約金ゼロでの移籍を認めるという内容であった。 実際2015年1月にチャンピオンシップのミルウォールFCからシーズン終了までの再加入のオファーを受け、キャリア4回目となるイングランドへの移籍を果たす[1]。
SCヴィーナー・ノイシュタットでの所属期間は僅か7週間であったが(4試合で1得点1アシスト)、「厳しい状況にあったチームに加入し、素晴らしいモチベーターとしてチーム全体にポジティブなエネルギーを与えてくれた。そして彼のおかげで我がクラブはそれまでほぼ経験したことがないような世間からの大きな注目を浴びることとなった」とクラブは発表し、マイヤーホーファーが残した多大な功績を称えるために、彼の背番号「39」を永久欠番にした。 [2]。
ASトレンチーンで2冠獲得
2016年2月にスロバキア1部に所属するASトレンチーンに加入。リーグ優勝とスロヴェンスキー・ポハール(スロバキアカップ)優勝と2冠を獲得した。
代表
遅咲きであったため、ユースカテゴリー等での代表経験は無いが、ヨーゼフ・ヒッケルスベルガー代表監督はマイヤーホーファーを2008年UEFAヨーロッパ選手権オーストリア・スイス大会の代表メンバーに招集した。この大会では出場機会はなかったものの、同年8月20日の親善試合・イタリア戦で代表デビュー。2009年9月5日のワールドカップ予選・フェロー諸島戦では代表初ゴールを記録した。
獲得したタイトル
- ドイツリーグカップ準優勝1回(2006)
- オーストリア・ブンデスリーガ優勝2回(2008, 2012)
- オーストリア・ブンデスリーガ準優勝1回(2009)
- ドイツカップ準優勝1回(2011)
- オーストリア・カップ優勝1回(2012)
- フォルトゥナ・リーガ(スロバキア1部)優勝1回(2016)
- スロヴェンスキー・ポハール(スロバキアカップ)優勝1回(2016)
脚注
外部リンク
- オフィシャルホームページ
- シュテファン・マイヤーホーファー - Soccerwayによる個人成績
- transfermarkt