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== 政策・活動 ==
== 政策・活動 ==
* [[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* 2005年11月に中古家電の商業販売を一律に規制するものであると確認がなされた[[PSE問題]]では、[[国会 (日本)|国会]]で取り上げた議員の一人で、[[電気用品安全法|PSE法]]はそもそも中古品を想定していないとして追及した<ref>しんぶん赤旗 2006年2月25日</ref>。
* 2005年11月に中古家電の商業販売を一律に規制するものであると確認がなされた[[PSE問題]]では、[[国会 (日本)|国会]]で取り上げた議員の一人で、[[電気用品安全法|PSE法]]はそもそも中古品を想定していないとして追及した<ref>しんぶん赤旗 2006年2月25日</ref>。
* 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛同する<ref>[[第166回国会]] [[法務委員会]] 第24号 平成19年6月15日</ref>。「各種の[[世論調査]]をみても、選択的夫婦別姓は賛成が反対を上回ってきています。[[国民]][[世論]]は熟してきているのに実現ができていないのは、[[日本国政府|政府]]・[[自由民主党 (日本)|自民党]]が今日まで法案提出を先延ばしにしてきたから。[[男女同権|男女平等]]・[[子どもの権利]]が保障される社会への世論の高まりが大事。」と述べている<ref>mネット、2004年2月 国会議員への[[民法 (日本)|民法]]改正に関するアンケート</ref>。
* 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛同する<ref>[[第166回国会]] [[法務委員会]] 第24号 平成19年6月15日</ref>。「各種の[[世論調査]]をみても、選択的夫婦別姓は賛成が反対を上回ってきています。[[国民]][[世論]]は熟してきているのに実現ができていないのは、[[日本国政府|政府]]・[[自由民主党 (日本)|自民党]]が今日まで法案提出を先延ばしにしてきたから。[[男女同権|男女平等]]・[[子どもの権利]]が保障される社会への世論の高まりが大事。」と述べている<ref>mネット、2004年2月 国会議員への[[民法 (日本)|民法]]改正に関するアンケート</ref>。

2017年9月4日 (月) 21:58時点における版

塩川 鉄也
生年月日 (1961-12-18) 1961年12月18日(63歳)
出生地 日本の旗埼玉県入間郡日高町(現:日高市
出身校 東京都立大学人文学部
前職 日本民主青年同盟埼玉西南地区委員長
日本共産党埼玉西南地区委員長
地方公務員(日高市)
日本共産党政党専従職員
現職 中央委員
経済産業部会長
総務部会長(郵政担当)
所属政党 日本共産党
称号 人文学士
公式サイト 塩川てつやホームページ

選挙区 比例北関東ブロック
当選回数 6回
在任期間 2000年 - 現職
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塩川 鉄也(しおかわ てつや、1961年12月18日 - )は、日本政治家日本共産党所属の衆議院議員(6期)。

略歴

埼玉県入間郡日高町(現:日高市)生まれ。埼玉県立川越高等学校卒業して東京都立大学人文学部入学して日本共産党に出会う[1][2]。東京都立大学では学生自治会委員長を務めながら、日本民主青年同盟に加入し埼玉西南地区委員長や日本共産党埼玉西南地区委員長も務める。大学卒業後、日高市役所に就職した。その後市役所勤務を経て日本共産党専従職員になり[2]1996年第41回衆議院議員総選挙に共産党公認で埼玉9区から出馬するが、落選。2000年第42回衆議院議員総選挙では埼玉8区に国替えし、小選挙区では落選するも重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し初当選した。

2003年第43回衆議院議員総選挙で埼玉8区から出馬し比例で2選[3]

2005年第44回衆議院議員総選挙で埼玉8区から出馬し比例で3選[4]

2006年1月、第24回党大会で党中央委員に選出された。

2009年第45回衆議院議員総選挙にて埼玉8区から出馬し比例で4選[5]

2012年第46回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、5選。

2014年第47回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、6選。

政策・活動

人物

中学・高校と陸上部に在籍しており、走るのが速い。普段は赤坂議員宿舎を利用しているが、朝の時間に余裕がある時は自宅から国会議事堂へ通う。その際は自宅から新所沢駅まで30分歩いて、列車通勤(乗車時間約1時間)するという[13]

によると、几帳面な性格で、綿密な作業が得意であるという[14]

日高市の農家の出身。祖父は村長経験者。父は農業三富新田所沢市側にある自宅で妻と3人の娘、と暮らす。趣味は映画鑑賞、郷土史研究。漫画「ワンピース」が好き。家庭菜園の作業も行う。座右の銘は「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン[15][2]

所属団体・議員連盟

出演番組

脚注

外部リンク