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[[朝鮮民主主義人民共和国]]と[[朝鮮労働党]]の指導思想である[[主体思想|チュチェ思想]]を研究する[[チュチェ思想研究会全国連絡会]](全国チュチェ研)会員で、[[チュチェ思想国際研究所]]にも関わっている{{要出典|date=2014年7月}}。[[1997年]]2月には[[朝鮮労働党]]書記[[黄長ヨプ|黄長燁]]を[[日本]]に迎え、[[東京都]]内でチュチェ思想研究会全国連絡会等の主催で「チュチェ思想国際セミナー」が開催された{{要出典|date=2014年7月}}。島袋はチュチェ思想研究会全国連絡会会長で[[沖縄大学]]教授(元学長)の[[佐久川政一]]や[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]][[衆議院議員]][[深田肇]]らとともに「チュチェ思想国際セミナー」実行委員会代表委員としてセミナーの運営に当たり、佐久川・深田らと共に黄の前で朝鮮民主主義人民共和国とチュチェ思想を絶賛した{{要出典|date=2014年7月}}。直後、黄は[[韓国]]に[[亡命]]した{{要出典|date=2014年7月}}。
[[朝鮮民主主義人民共和国]]と[[朝鮮労働党]]の指導思想である[[主体思想|チュチェ思想]]を研究する[[チュチェ思想研究会全国連絡会]](全国チュチェ研)会員で、[[チュチェ思想国際研究所]]にも関わっている{{要出典|date=2014年7月}}。[[1997年]]2月には[[朝鮮労働党]]書記[[黄長ヨプ|黄長燁]]を[[日本]]に迎え、[[東京都]]内でチュチェ思想研究会全国連絡会等の主催で「チュチェ思想国際セミナー」が開催された{{要出典|date=2014年7月}}。島袋はチュチェ思想研究会全国連絡会会長で[[沖縄大学]]教授(元学長)の[[佐久川政一]]や[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]][[衆議院議員]][[深田肇]]らとともに「チュチェ思想国際セミナー」実行委員会代表委員としてセミナーの運営に当たり、佐久川・深田らと共に黄の前で朝鮮民主主義人民共和国とチュチェ思想を絶賛した{{要出典|date=2014年7月}}。直後、黄は[[韓国]]に[[亡命]]した{{要出典|date=2014年7月}}。


[[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
[[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。


[[2004年]]に引退し、社大党副委員長である[[糸数慶子]]が後継として[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]に立候補し、当選した。
[[2004年]]に引退し、社大党副委員長である[[糸数慶子]]が後継として[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]に立候補し、当選した。

2017年9月4日 (月) 23:04時点における版

島袋宗康
しまぶく そうこう
生年月日 (1926-10-05) 1926年10月5日(97歳)
出生地 沖縄県那覇市
所属政党沖縄社会大衆党→)
第二院クラブ→)
無所属→)
無所属の会

選挙区 沖縄県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1992年7月26日 - 2004年7月25日
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島袋 宗康(しまぶく そうこう、男性1926年10月5日 - )は、日本政治家沖縄社会大衆党名誉顧問。元参議院議員(2期)・沖縄社会大衆党委員長第二院クラブ代表琉球語読み(沖縄の名字)で、日本語読みは「しまぶくろ」とも。

略歴

沖縄県那覇市出身。市議、県議を経て、沖縄社会大衆党委員長となる。1992年第16回参院選では党公認で革新共闘の統一候補として沖縄県選挙区に立候補し、PKO法反対などを訴え、341票の僅差で自民党大城真順を破り初当選。1人区では唯一の野党が獲得した議席となった。また、党公認としては、20年ぶりの国政での議席となった。

国会では第二院クラブと統一会派「二院クラブ・革新共闘」を組み、1995年 - 1998年は二院クラブ代表を兼務した。1997年、政府は沖縄の米軍用地特別措置法日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法)改定案を出した。米軍基地の地主が、契約期限切れ後の更新を拒否した場合でも、収用委員会の審理中は補償を行うことで「暫定使用」を引き続き可能とするもので、さらに委員会が使用を却下しても、防衛施設局長審査請求を行う間は引き続き使用を可能にした。島袋は同法案に強く反対し、橋本龍太郎内閣総理大臣と激しく論戦を交わした(法案は自民、新進民主太陽さきがけの賛成で成立)。1998年の第18回参院選では無所属として立候補し、再選。二院クラブが議席を失った2001年以降は無所属の会およびその系列会派「国会改革連絡会」に所属。

朝鮮民主主義人民共和国朝鮮労働党の指導思想であるチュチェ思想を研究するチュチェ思想研究会全国連絡会(全国チュチェ研)会員で、チュチェ思想国際研究所にも関わっている[要出典]1997年2月には朝鮮労働党書記黄長燁日本に迎え、東京都内でチュチェ思想研究会全国連絡会等の主催で「チュチェ思想国際セミナー」が開催された[要出典]。島袋はチュチェ思想研究会全国連絡会会長で沖縄大学教授(元学長)の佐久川政一社会民主党衆議院議員深田肇らとともに「チュチェ思想国際セミナー」実行委員会代表委員としてセミナーの運営に当たり、佐久川・深田らと共に黄の前で朝鮮民主主義人民共和国とチュチェ思想を絶賛した[要出典]。直後、黄は韓国亡命した[要出典]

2003年静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]

2004年に引退し、社大党副委員長である糸数慶子が後継として第20回参院選に立候補し、当選した。

不祥事

脚注