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1月15日の[[STVカップ国際スキージャンプ競技大会]]も男子選手より長い助走で特別参加という形で100mジャンプを目指したが試技82.5m、1本目97m、2本目95mと目標達成はならなかった<ref name="dosihn75-1-16">北海道新聞1975年1月16日10面</ref>。
1月15日の[[STVカップ国際スキージャンプ競技大会]]も男子選手より長い助走で特別参加という形で100mジャンプを目指したが試技82.5m、1本目97m、2本目95mと目標達成はならなかった<ref name="dosihn75-1-16">北海道新聞1975年1月16日10面</ref>。


1975-1976シーズンの[[スキージャンプ週間]]ではテストジャンパーとして出場<ref>[[w:no:Süddeutsche Zeitung|Süddeutsche Zeitung]]: [http://www.sueddeutsche.de/sport/77/453765/text/ Skispringen: Aus dem Schatten der Männer] (10. januar 2009)</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20081120191414/http://www.4schanzentournee.com/historie/die-tournee-1953-2008/24-tournee-197576.html Vierschanzentournee: 24. Tournee 1975/76](2008年11月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、[[ヴィケルスンジャンプ競技場|ヴィケルスン]]のフライング台を飛ぶ申込みもしたがこれは叶わなかった<ref>[[w:no:Adresseavisen|Adresseavisen]]: [http://www.adressa.no/sport/article30083.ece - Mindre fordommer før] (7. februar 2004)</ref>。
1975-1976シーズンの[[スキージャンプ週間]]ではテストジャンパーとして出場<ref>[[w:no:Süddeutsche Zeitung|Süddeutsche Zeitung]]: [http://www.sueddeutsche.de/sport/77/453765/text/ Skispringen: Aus dem Schatten der Männer] (10. januar 2009)</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20081120191414/http://www.4schanzentournee.com/historie/die-tournee-1953-2008/24-tournee-197576.html Vierschanzentournee: 24. Tournee 1975/76](2008年11月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、[[ヴィケルスンジャンプ競技場|ヴィケルスン]]のフライング台を飛ぶ申込みもしたがこれは叶わなかった<ref>[[w:no:Adresseavisen|Adresseavisen]]: [http://www.adressa.no/sport/article30083.ece - Mindre fordommer før] (7. februar 2004)</ref>。


== 記録 ==
== 記録 ==

2017年9月5日 (火) 04:22時点における版

アニタ・ウォルド
基本情報
フルネーム Anita Marie Wold Jensen
誕生日 1956年????
出身地  ノルウェー
ソール・トロンデラーグ県トロンハイム
身長 170cm
選手情報
クラブ Byåsen IL
最高記録 97.5 m
最終更新日:2013年12月22日
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アニタ・ウォルド(Anita Marie Wold、のちAnita Marie Wold Jensen、1956年 - )はノルウェーの元スキージャンプ選手。1970年代に活躍し、女子ジャンプの歴史上重要な人物の一人[1]

プロフィール

7歳のとき周囲の男の子がジャンプで楽しそうに遊んでいるのに魅せられ、自分もジャンプを始めた[2]。父親の指導の元12歳で52m、15歳で70mを飛び[2]、1973年には73mを記録した[3]

1974年には記録を82.5mに伸ばし[3]、 同年のホルメンコーレンスキー大会に女性として初めて参加を認められた[4]。 また同年チェコスロバキアビソケ・タトリーに招待され、94mを記録した[1][2]

1975年1月には札幌スキー連盟から招待されて来日[2]、女性として初めて大倉山ジャンプ競技場を飛んだ。 1月12日の札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会では1本目75.5m、2本目80.5mの140.9ポイントで39位[5]。翌日の公式記録会では男子選手より長い助走ながら97.5mの自己新記録をマークした[6]。 1月15日のSTVカップ国際スキージャンプ競技大会も男子選手より長い助走で特別参加という形で100mジャンプを目指したが試技82.5m、1本目97m、2本目95mと目標達成はならなかった[7]

1975-1976シーズンのスキージャンプ週間ではテストジャンパーとして出場[8][9]ヴィケルスンのフライング台を飛ぶ申込みもしたがこれは叶わなかった[10]

記録

脚注・出典

  1. ^ a b NRK: Anita Wold var pioneren (video)
  2. ^ a b c d 北海道新聞1975年1月11日11面
  3. ^ a b c d Orklahopp: Kløvsteinbakkens historie
  4. ^ Karin Berg: Hopp, jenter, hopp!: Historien om Johanne Kolstad og Hilda Braskerud - et annerledes skieventyr. Schibsted, Oslo 1998. ISBN 82-516-1720-0, s. 83 (digitalisert av Nasjonalbiblioteket)
  5. ^ 北海道新聞1975年1月13日10面
  6. ^ a b 北海道新聞1975年1月14日11面
  7. ^ 北海道新聞1975年1月16日10面
  8. ^ Süddeutsche Zeitung: Skispringen: Aus dem Schatten der Männer (10. januar 2009)
  9. ^ Vierschanzentournee: 24. Tournee 1975/76(2008年11月20日時点のアーカイブ
  10. ^ Adresseavisen: - Mindre fordommer før (7. februar 2004)
  11. ^ skisprungschanzen.com