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「江亜 (客船)」の版間の差分

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==外部リンク==
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*[http://web.archive.org/web/20050212161814/http://www.tibetinfor.com/en/news/2001/11/c115865.htm Article from China Tibet Information Center](2005年2月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
*[http://web.archive.org/web/20050212161814/http://www.tibetinfor.com/en/news/2001/11/c115865.htm Article from China Tibet Information Center](2005年2月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
*[http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,799461,00.html?iid=chix-sphere "Too Many of Us"], ''[[Time (magazine)|Time]]'' magazine, 13 December 1948
*[http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,799461,00.html?iid=chix-sphere "Too Many of Us"], ''[[Time (magazine)|Time]]'' magazine, 13 December 1948



2017年9月5日 (火) 09:09時点における版

江亜
基本情報
船種 旅客船
船籍 日本の旗 日本
中華民国の旗 中華民国
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
運用者 東亜海運[1] (1939年-1947年)
招商局[1] (1947年-1959年)
中国長江航運集団[1] (1959年-1967年)
Kinesiska staten[1] (1967年-1992年)
建造所 播磨造船所[1]
母港 東京[1] (1939年-1947年)
上海[1] (1947年-1992年)
信号符字 XNAH
IMO番号 5069946[1]
改名 興亜丸[1] (1939-1947)
江亜輪[1] (1947年-1967年)
東方紅8号[1] (1967年-1992年)
経歴
竣工 1939年12月[1]
最後 1992年登録解除[1]
要目
トン数 3730トン(BRT
長さ 98,18 m(垂線間長)
15,24 m
高さ 4,69 m
推進器 2基の複式機関[1]
速力 16,5ノット
搭載人員 1186人[1]
テンプレートを表示

江亜(こうあ、: 江亚轮: SS Kiangya)は、中国旅客蒸気船である。1948年12月3日に、黄浦江長江に注ぐ河口の外で爆沈し多数の死傷者を出した。これは20世紀の中国最大の海難事故となっている。

概要

「江亜輪」はもともと、日本の播磨造船所において1939年に建造された貨客船で、東亜海運株式会社が「興亜丸」の名で運航していた。日中戦争が終わった後、中華民国海軍が接収し、中国の国営海運会社・招商局が大戦中に喪失した船の補填に充てられ、「江亜輪」と改名されて上海寧波間の海路(滬甬航線)に投入されていた。沈没の直前、上海航政局は江亜の検査を行って多数の不合格点を発見して要改修としていたが、招商局はこれに同意せず、結局最後の航海となった12月3日の運航の後に改修することになっていた。

沈没

江亜の残骸

1948年12月4日[2]、上海から寧波に向けて出港した江亜は、上海の北50マイルにある黄浦江河口外で沈没した。原因は機雷大日本帝国海軍が置き去りにしたとされる)に接触し船尾が破壊されたためと考えられる。沈没時、江亜は排水量2100トンであり、冬至の祭祀のために寧波に帰る在上海寧波人が多数乗っていたほか、国共内戦中の中国共産党軍の前進から逃れる難民でいっぱいであった。正確な犠牲者数は不明であるが、乗客名簿には乗客は2150人であったと記録されている。しかし、ほぼ確実に多くの密航者が乗っていたと考えられる。なお、江亜の公式の定員は1186人であった。救助隊は数時間にわたって事故のことを知らなかった。この事故で2750人~3920人が死亡し、700人~1000人の生存者は別の船舶に救出されたと考えられる。

その後

江亜は1956年に航路浚渫の際に引き揚げられ、翌年慰霊祭が行われた。1959年に中国長江航運集団の手により再び貨客船として運航することになった。1966年には「東方紅8号」と改名し、1983年に退役して長年武漢市の岸壁に係留されていた。2000年温州市船舶解体中に火災で焼失した。舵輪だけが寧波の博物館に展示されている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Single Ship Report for "5069946"”. Miramar Ship Index. Haworth, Rodger. 2013年12月11日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ いくつかの出典には12月3日と記されている。

出典

  • "Chinese Shipping Disasters: Two Steamers Sunk by Explosions", The Times, 6 December 1948

関連項目

外部リンク

座標: 北緯31度15分 東経121度47分 / 北緯31.250度 東経121.783度 / 31.250; 121.783