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「高円寺 (杉並区)」の版間の差分

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{{Otheruses|寺院|当寺所在地の地名・地区名|高円寺}}
{{日本の寺院|
名称 = 高円寺|
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所在地 = [[東京都]][[杉並区]][[高円寺|高円寺南]]4-18-11|
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山号 = 宿鳳山|
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正式名 = 宿鳳山 高円寺|
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'''高円寺'''(こうえんじ)は、[[東京都]][[杉並区]][[高円寺|高円寺南]]4丁目にある[[曹洞宗]]の[[寺院]]である。山号は'''宿鳳山'''(しゅくほうざん)。


== 歴史 ==
[[弘治 (日本)|弘治]]元年([[1555年]])、中野[[成願寺 (中野区)|成願寺]]三世建室宗正により開山された。将軍[[徳川家光]]が鷹狩りの際、雨宿りのために当寺に立ち寄り、時の住職が家光を将軍としてではなく一般の雨宿りの客として、さりげなくもてなしたことが気に入られ、家光は鷹狩りの度に当寺に立ち寄るようになったことで、当寺は広く知られるようになった。これが何年も続いたことで、家光は世話のお礼に[[宇治市|宇治]]から茶の木を取り寄せ、自ら手植えをしたとされ、この「お手植えの茶の木」は今も境内に見ることができ、またこのような徳川家ゆかりの寺であることから「[[三つ葉葵]]の紋」を所々で見ることができる。

それまで当地は小沢村と呼ばれていたが、徳川家光が当寺の名から高円寺村と改称したとされ、それが現在の「高円寺」という地名に至っている。かつて寺の周辺に桃の木が多くあり桃園とも言われ、本尊は「桃園観音」、寺は「桃堂」、門前を流れた川は「[[桃園川]]」と呼ばれていた。

[[寛保]]2年([[1742年]])、[[弘化]]4年([[1847年]])、[[明治]]33年([[1900年]])、[[昭和]]20年([[1945年]])と4度罹災し、堂舎や古記録類の多くを消失した。現在の本堂は昭和28年([[1953年]])に宮大工・中村青雲により再建された。

== 境内 ==
本尊は[[観音菩薩]]像で、他に[[室町時代|室町]]期の作とされる[[阿弥陀如来]]坐像も安置されている。

* 開運子育地蔵堂
* 稲荷社
*:門柱に龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」がある。双龍鳥居は西に 1km ほど離れた[[馬橋稲荷神社]]にもあり、礎石に同じ石工の名が刻まれている。さらに、品川区にある[[品川神社]]にもある。この鳥居は[[東京三鳥居]]の1つといわれている<ref>[http://www.kyouiku.city.suginami.tokyo.jp/bunkazai/honbun_list.html 文化財案内標示板本文一覧] 馬橋稲荷神社 杉並区教育委員会。</ref>。
<gallery>
Image:Koenji2.JPG|高円寺 本堂
Image:KoenjiHengaku.JPG|本堂の扁額と彫刻
Image:Kaiun-Kosodate-Jizo-do.jpg|開運子育地蔵堂
Image:TriiWithTwinDragonScalpture.jpg|稲荷社と双龍鳥居
</gallery>
== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
* [[氷川神社 (杉並区)|氷川神社]]([[高円寺氷川神社]]) – [[別当寺]]
* [[徳川家光]]
* [[日本の寺院一覧]]
* [[高円寺]]
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[[Category:東京都区部の寺]]
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2018年1月12日 (金) 00:28時点における版