「Wikipedia:コメント依頼/Aitok I」の版間の差分
663highland (会話 | 投稿記録) |
SilverSpeech (会話 | 投稿記録) →コミュニティからのコメント: 議論参加者よりコメント。 |
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* {{コメント}} 被依頼者と大きな接点は持ちませんが、第三者として。──概ね依頼者さんのまとめの通りでよくまとめてあると思います。被依頼者のご主張の欠陥は「ご自身が正史であると主張する[[日本書紀]]について、それが議論の余地なく絶対的な正論だと考えた」「それを理解、納得しない編集者を一方的に誤っていると断定し別の考え方、解釈を許容し得なかった」という点でしょう。そういった主張は[[WP:NOTESSAY]]に分類される『 どこの馬の骨とも解らぬ我々匿名編集者ごときが(世の研究者を差し置いて)一存や少人数合意で決められる性質のものではない 』(三大方針[[WP:POV]]違反)ため、それを主張する時点で世の関連研究議論とまったく同様に反論が多く寄せられることは編集者であれば予測可能な性質を持つことは自明であり、ただ紛糾を招くのみであることはこれまでの経緯通りです。◆ので、そのままのお考えで今後も各提案を行われ、また記事出典に対しそれが妥当かどうかの判断に[[WP:RS]]ではなく誰からも合意も支持を受けていないご自身の主義主張を用いるのであれば、それはそのまま「 目的外利用者 」でしかありませんでしょう。ですからウィキペディアからお引取り願うことで「 被依頼者以外に困る人間は誰もいない 」という結論に落ち着くことは当然の帰結でありましょう。……ただし、当方が関わりました直近の議論「[[プロジェクト‐ノート:神道#貴人記事の項目名変更の提案]]」に置きましては当方指摘の通り『 長期議論を経て、最終的に持論合意に拘りすぎたことをお認めになられる度量を見せた 』という点を評価し被依頼者が依頼者指摘の問題点を克服する可能性の片鱗を見せたことを理由に、現時点で被依頼者はご自身のお考えがウィキペディア上では全く必要のない至極個人的な考え方のひとつにしか過ぎないこと、その考え方は編集者として各記述に係る出典文献の信頼性の客観的評価に対しまったく必要のない考えであり、逆に言えばその考え方を各編集作業に当てはめるのはウィキペディアの私物化、[[WP:OWN]]でしかないこと、つまり個人観点と客観評価の意識分離に失敗している事実をお認めになられるのであれば、もうしばらくの期間様子見しても良いかな、とも考えます。--[[利用者:Nami-ja|<span style="color:#CC0000">Nami-ja</span>]] <span style="font-size:80%">([[利用者‐会話:Nami-ja|会話]] / [[特別:Contributions/Nami-ja|履歴]])</span> 2018年8月2日 (木) 06:16 (UTC) |
* {{コメント}} 被依頼者と大きな接点は持ちませんが、第三者として。──概ね依頼者さんのまとめの通りでよくまとめてあると思います。被依頼者のご主張の欠陥は「ご自身が正史であると主張する[[日本書紀]]について、それが議論の余地なく絶対的な正論だと考えた」「それを理解、納得しない編集者を一方的に誤っていると断定し別の考え方、解釈を許容し得なかった」という点でしょう。そういった主張は[[WP:NOTESSAY]]に分類される『 どこの馬の骨とも解らぬ我々匿名編集者ごときが(世の研究者を差し置いて)一存や少人数合意で決められる性質のものではない 』(三大方針[[WP:POV]]違反)ため、それを主張する時点で世の関連研究議論とまったく同様に反論が多く寄せられることは編集者であれば予測可能な性質を持つことは自明であり、ただ紛糾を招くのみであることはこれまでの経緯通りです。◆ので、そのままのお考えで今後も各提案を行われ、また記事出典に対しそれが妥当かどうかの判断に[[WP:RS]]ではなく誰からも合意も支持を受けていないご自身の主義主張を用いるのであれば、それはそのまま「 目的外利用者 」でしかありませんでしょう。ですからウィキペディアからお引取り願うことで「 被依頼者以外に困る人間は誰もいない 」という結論に落ち着くことは当然の帰結でありましょう。……ただし、当方が関わりました直近の議論「[[プロジェクト‐ノート:神道#貴人記事の項目名変更の提案]]」に置きましては当方指摘の通り『 長期議論を経て、最終的に持論合意に拘りすぎたことをお認めになられる度量を見せた 』という点を評価し被依頼者が依頼者指摘の問題点を克服する可能性の片鱗を見せたことを理由に、現時点で被依頼者はご自身のお考えがウィキペディア上では全く必要のない至極個人的な考え方のひとつにしか過ぎないこと、その考え方は編集者として各記述に係る出典文献の信頼性の客観的評価に対しまったく必要のない考えであり、逆に言えばその考え方を各編集作業に当てはめるのはウィキペディアの私物化、[[WP:OWN]]でしかないこと、つまり個人観点と客観評価の意識分離に失敗している事実をお認めになられるのであれば、もうしばらくの期間様子見しても良いかな、とも考えます。--[[利用者:Nami-ja|<span style="color:#CC0000">Nami-ja</span>]] <span style="font-size:80%">([[利用者‐会話:Nami-ja|会話]] / [[特別:Contributions/Nami-ja|履歴]])</span> 2018年8月2日 (木) 06:16 (UTC) |
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* {{返信|被依頼者のコメント}} 被依頼者について、Wikipediaでの共同作業は極めて困難な方でしょう。文章読解力の観点からも、そのように認識いたしました。--''[[利用者:663highland|663h]]'' 2018年8月2日 (木) 16:36 (UTC) |
* {{返信|被依頼者のコメント}} 被依頼者について、Wikipediaでの共同作業は極めて困難な方でしょう。文章読解力の観点からも、そのように認識いたしました。--''[[利用者:663highland|663h]]'' 2018年8月2日 (木) 16:36 (UTC) |
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*{{コ}} 私も663hさんと同意見です。「木を見て森を見ず」といいますか、細部に注目する一方で全体像を把握できていないことが多いように思われます。例えば、[[WP:CRITERIA]]の「首尾一貫している」にこだわる一方で、他の基準との兼ね合いについては理解不足でしょう。また、[[利用者‐会話:Aitok I#除去につきまして]]、[[Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名の敬称付記慣習についてのコメント依頼]]での7月30日のやりとりなど、他の利用者からの意見を「一般的なものではない」と軽視する傾向があるように思われます。また、1週間の投稿ブロックを受けた後に「研耳命」については非を認めていますが、投稿ブロックから24時間たたないうちに「方針を熟読した」と解除依頼を提出していること、コメント依頼について(事実関係と異なる点を除き)と但し書きをつけていることが気になります。解除依頼では反省の弁を述べていますが、残念ながら「研耳命」以外については具体例がなく、現状ではどの程度問題点を理解しているのか判断できません。--[[利用者:SilverSpeech|SilverSpeech]]([[利用者‐会話:SilverSpeech|会話]]) 2018年8月3日 (金) 06:24 (UTC) |
2018年8月3日 (金) 06:25時点における版
利用者:Aitok I(会話 / 投稿記録 / 記録)さんに対するコメントを依頼します。
ポイントは下記のとおりです。
- 中立性を欠く偏向した編集姿勢
- 腕ずくでの行動
- ルールの悪用
- いつまでも納得しない
- コミュニティとの対話、他利用者の軽視などの問題
アカウント
利用者:Aitok I(会話 / 投稿記録 / 記録)は以前からIPで編集していたことが伺えます。
主要な論点
日本書紀への偏向
- 文献による出典がある記述を、「日本書紀の記述からは判断不能」として除去
- 「欠史八代のため実在しないと考えられている。」の除去
- 被依頼者は「無出典」といって除去しており、一見すると問題がないようにみえます。
- ですが、本記事には一切出典がありませんから、「出典がない」から除去というなら記事全体が除去されることになります。しかし被依頼者は、実在性を疑問視する記述だけを除去して他を残しており、結果として実際に存在したことが確定的であるかのような状態となっています。
- ヒメタタライスズヒメ(初代天皇神武天皇の后)
- 『日本書紀』は正史であり、そこでの表記が正式名称である
- この発言では様々な文献で表記ゆれを列記しつつ、「『先代旧事本紀』は偽書である」などと独自で「考察」し、『日本書紀』式の「媛蹈鞴五十鈴媛命」が適当と結論づける。
- 『古事記』に「火須勢理命(ほすせり)」として登場する神です。『日本書紀』には「火闌降命(ほすそり)」と「火酢芹命(ほすせり)」が登場します。
- 「火須勢理命の名では『古事記』にのみ登場」という記述を除去したり、、日本書紀の2神と古事記の1神との関係性、出典のある分析的な記述を出典ごと除去しました。
- そのうえで、日本書紀を根拠としてホノスセリへの改名を提案しました。
- 『古事記』の「火須勢理命」と『日本書紀』の「火闌降命」の関係性の記述が火照命にあると指摘されると、今度は火照命を編集し古事記による創出である旨を除去し、『日本書紀』の火闌降命・火酢芹命に相当する旨の記述に改める。この編集には出典が示されていません。
腕ずくでの行動
- 被依頼者はプロジェクト‐ノート:神道・Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名の敬称付記慣習についてのコメント依頼で「改名提案を経ずに一律で改名をする」提案を行い、多くの反対を受けました。
- その議論の最中にヒメタタライスズヒメ、トヨタマヒメ、火須勢理命の改名提案を新たに開始し、そのことをプロジェクト‐ノート:神道へ告知しませんでした。
- 議論中の案件と関連が深い案件を起こすことの中止要請→「Wikipedia:ページの改名には「議論中の分野での改名は控えるべき」などという記述はない」
- 適切な告知の要請→「その義務はない」
ルールの悪用
- あるときは「無出典」といって都合の悪い記述を除去したり、別のときには都合の良い記述を無出典で書き加えたり、さらには出典がある記述を除去するなどして、様々な記事を自分の都合のいいように改ざんしています。
- Wikipedia:ページの改名には「議論中の分野での改名は控えるべき」とは書かれていない、として、議論中の分野での改名を多発させています。
- プロジェクト‐ノート:神道では、「敬称は中立性を損なう」「敬称はWikipedia:記事名の付け方#人名で「原則無し」となっている」を根拠に、一律除去を主張しました。ところが同時に、ヒメタタライスズヒメでは「敬称」である「命」をつけた媛蹈鞴五十鈴媛命への改名を主張。こちらでは「『日本書紀』が正式名称」だなどの主張を行っています。
- 「1週間以内に異論がなければ合意成立」という文言をたてにとり、すでに多くの反対があるにも関わらず、各所で被依頼者の発言を最後に1週間コメントが途絶えたことで自説が通ったとするかのような言動を行っています。
- 追記
- 「岐須美美命」は『古事記』に登場する神武天皇の子です。『日本書紀』には登場しません。(被依頼者が偽書だという)『先代旧事本紀』には登場します。
- もともと岐須美美命が記事化され、研耳命はそのリダイレクトでした。
- 上で示したように、被依頼者は、独断で岐須美美命をリダイレクトに変更し、研耳命を記事化しました。さらに従前の岐須美美命へのリンクを研耳命へ張り替えました。
- これは「独断での改名(移動)」にあたると指摘しましたが、被依頼者は「改名」も「移動」も行っていないし、履歴継承の点でも違反をしていないのだから問題ないと主張しています。
- 依頼者としては、作業としては「ページの移動」を行っていないとしても、リダイレクト化とリンク元の変更は改名に等しいと考えております。これを「移動」機能の不使用を根拠に正当化するのは不誠実とも考えます。
いつまでも納得しない
- ノート:タギシミミの反逆では、初めに『日本書紀』式の手研耳の反逆への改名を主張しました。
- 信頼できる情報源で「手研耳の反逆」という表現が見当たらないことを指摘されると、「漢字表記が正式名称だ」と言い出しました。
- これも退けられると、今度は「タギシミミの反逆には特筆性がない」と言い出し、特筆性検証依頼を出し、特筆性を証明できなければ削除だと言い始めました。
- プロジェクト‐ノート:神道・Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名の敬称付記慣習についてのコメント依頼など、被依頼者の提案に対する反対意見が出されるたびに逐次反論したり、別の根拠を持ち出したりします。
コミュニティ・他利用者の軽視
- 自身は方針に基づく改名根拠を示していないにも関わらず、他者の意見を「根拠がなく無効」などとしています。
- 被依頼者は、会話ページ(#除去につきまして)で、出典のない記述の除去であっても慎重に行うよう、複数の利用者から、繰返し要請されました。しかし「議論の余地はない」「方針理解が間違っているのは貴方の方だ」などと主張し、はねつけています。
- これらのやりとりの後も、被依頼者自身は各地で出典を示さずに加筆していることはすでに示したとおりです。
依頼者コメント
依頼者(利用者:㭍月例祭)は当初、被依頼者はアカウントを取得したばかりで、各種方針に不慣れなんだろうとか、方針類の一部分に過度にこだわるWP:BUROなど、新人編集者におこりがちなことだろうと考えていました。
しかし議論が各所に飛び火し、被依頼者の各地の編集や言動も確認してみると、「日本書紀に対する偏向・原理主義」みたいなものを動機として、各地でその場その時に応じてルールの悪用をしていること、他利用者に対する敬意を著しく欠く言動が甚だしいと考えるに至りました。(敬意というのは、「尊敬してへりくだれ」というのではなく、他利用者も自分と対等であるとして振る舞えということです)
7/30には岐須美美命の独断改名を行ったことで、「議論でコミュティを疲弊させる」状態から、「腕ずくで自分好みに改ざんして押し通る」状態へ、状況が悪化したと考えています。
被依頼者に対しては、第一には他利用者・コミュニティへの敬意を持った言動・節度ある振る舞い、各種方針やウィキペディアでの基本姿勢を理解していただく必要があると考えます。がしかし、すでに各地の議論で示されたように、今すぐには実現が難しいようにもみえます。方針理解のための一定期間のブロックも必要と考えています。さらに「腕ずく」行動もみられるようになり、これ以上独断での記事破壊を抑止するために暫定的な短期ブロックも視野に入っていると考えています。--柒月例祭(会話) 2018年7月31日 (火) 04:24 (UTC)
被依頼者コメント
(Siwamuraさんへ)私の利用者ページでも述べましたが、私の初編集は2016年です。それ以前の履歴は別人のものです(可変IPのためです)。
(依頼者様へ)
日本書紀への偏向
- 「『日本書紀』は官撰の正史であり朝廷が認めた正統歴史書である 『古事記』は正史ではない」というのは事実を述べただけです。「偏向」ではありません。
- 『「日本書紀の記述からは判断不能」として除去』したことは、私の行動より、その出典の信頼性にやや問題があると見るべきです。
- 「本記事には一切出典がありません」とおっしゃるのは誤りです。文中には、出典として(一次資料ですが)記紀が示されております。
- 岐須美美命と研耳命については、改名ではなく、研耳命を新規立項し、岐須美美命をリダイレクト化するという形式をとりました。両者が同一人物か不確かということもありますので、両記事併存という形に編集しておきました。
- 『独自で「考察」』したわけではありません。出典を求められれば提示しますし、Wikipediaの記事「先代旧事本紀」にも偽書である旨が書かれております。
- 「『日本書紀』の火闌降命・火酢芹命に相当する旨の記述に改め」た出典は、他でもない日本書紀そのものです。3次資料による出典が望ましいのでしたら、『広辞苑』などが考えられるでしょう。
腕ずくでの行動
- 『「改名提案を経ずに一律で改名をする」提案を行い、多くの反対を受け』た結果、改名を強行したならともかく、私は皆様のご意見を受けてこの主張を改めました。これを「腕ずくでの行動」と評価されては困ります。
- 岐須美美命を研耳命へは移動しておりません。移動記録がないことからも明らかですが、研耳命を新規立項し、岐須美美命をリダイレクト化したのみです。履歴不継承も生じておりません。
ルールの悪用
- Wikipediaは出典があれば何でも書いてよい場ではありませんので、出典つき記述の編集除去は(不可欠な記述でない限り)必要に応じて実行可能と認識しております。
いつまでも納得しない
- ノート:タギシミミの反逆での私の言動に不適切な点があったとは思えません。なりゆきからいって、特筆性検証依頼を行ったのは当然のことです。
- 「反対意見が出されるたびに逐次反論」することの何がいけないのでしょうか。反論できないのならそもそも提案しません。
コミュニティ・他利用者の軽視
- 「自身は方針に基づく改名根拠を示していない」などということはありません。当初はWP:COMMONNAMEを根拠としておりました。
- 『「議論の余地はない」「方針理解が間違っているのは貴方の方だ」などと主張し、はねつけ』たことについて何か反論がおありなら、どうぞおねがいします。
--Aitok I(会話) 2018年8月1日 (水) 17:44 (UTC)
コミュニティからのコメント
- コメント 柒月例祭さんがうまくまとめられていますし、内容に全面的に賛同いたします。私も、Aitok Iさんは、2018年7月にアカウントを取得されたばかりの新規ユーザーさんであると、はじめの頃は思ってましたが、ご自身のユーザーページ によると、アカウント取得以前には、IPユーザーとしての活動が、最も古いものだと2009年からあります。 61.114.204.10、61.213.80.7。ただし、2009年、2013年頃の活動はそれほど多くはありません。2016年頃からは、活発に活動されているのが確認できます。そのせいか、Wikipediaの編集方針もよくご存知であり、新規ユーザーらしからぬ編集活動も多くみられます。つまり、ある意味、ベテランユーザーとみなすこともできるかな、と思います。
- ただし、編集活動が、Wikipidiaの方針に合致しているように思えず、ご本人の会話ページや、ご本人が提案されたノートページなどで、何人もの編集者から、意見を受けられてますが、あまり気にされてないようで、基本的な変化は見られませんし、これまでの議論の結果でみられるように、Wikipidiaの編集方針等を身につけられるまでには、相応な時間が必要だと思います。よって、方針を身につけるための一定期間のブロックは妥当であると考えます。コミュニティを疲弊させるユーザーとしてのブロックでもよいかと。さらに、現状のような編集強行が継続すれば、暫定的な短期ブロックにも反対いたしません。--Siwamura(会話) 2018年7月31日 (火) 05:39 (UTC)
- コメント このような事態にならないように早い段階で「利用者‐会話:Aitok_I#除去につきまして」にて意見したのですが、やはり、、こうなりましたか、残念です。現時点で、被依頼者の編集と対話姿勢はWikipediaにとって有害ですから、3年(被依頼者の利用期間)以上の投稿ブロックが妥当であると存じます。が、被依頼者からの徹底的な自己批判と真摯な反省の弁があった場合は、再考します。--663h 2018年8月1日 (水) 14:36 (UTC)
- コメント 被依頼者とプロジェクト‐ノート:神道等で議論に携わった者です。被依頼者の活動については、
- IP時代に「〇〇を使用して加筆」などとしてWikipedia内の他記事から大量転載(例)
- 独自研究に基づく記事執筆(ノート:健磐龍命:各地伝承を合成することによる事績叙述)
- 多くの記事で大量削除の断行(この件)
- 独自研究を根拠とする意見主張(「命→宿禰」の変遷主張、「毘はビ」と読むべきとする主張)
- 命→宿禰の称号変遷に関して、プロジェクト‐ノート:神道においてその「解釈」を示した二次資料を問うても提示せずに主張を続けられています。宿禰は有力豪族の人名に付して用いられたもので(「宿禰」『国史大辞典』吉川弘文館)、皇統でも使用された命とは異質なものです。記紀の天皇子女の名称に注目して命→王や命→皇子を主張された方がまだマシだったのですが。
また「毘はビ」に関して、ノート:トヨタマヒメにおいてその妥当性を示す文献を提示されません。『日本人名大辞典』では「河俣毘売(かわまたひめ)」・「須勢理毘売命(すせりびめのみこと)」の両例が見られますので、前の音に引きずられている可能性もあると思うのですが、とにもかくにも被依頼者のコメントは場当たり的で、その「解釈」には二次資料根拠が伴わず、地に足の着いた議論が望めません。
- 命→宿禰の称号変遷に関して、プロジェクト‐ノート:神道においてその「解釈」を示した二次資料を問うても提示せずに主張を続けられています。宿禰は有力豪族の人名に付して用いられたもので(「宿禰」『国史大辞典』吉川弘文館)、皇統でも使用された命とは異質なものです。記紀の天皇子女の名称に注目して命→王や命→皇子を主張された方がまだマシだったのですが。
- 既存記事と重複する内容で新規記事を作成して、履歴継承なく既存記事を白紙リダイレクト化(この件)
- 関連する上位議論の進行中に次々と下位議論を提起(ノート:ヒメタタライスズヒメ、ノート:火須勢理命)
- 主張のダブルスタンダード
- 「日本武尊」から「尊」を除くと分からなくなるとの私の主張は独自解釈と言いながら、「武内宿禰」から「宿禰」を除くと分からなくなると主張されています。
また他者には称号を伴う文献提示だけではだめで「称号が必ず有るべき」と言及した文献を示せと言っておきながら、被依頼者自身の主張では称号を伴わない文献提示だけで良しとしています。
- 「日本武尊」から「尊」を除くと分からなくなるとの私の主張は独自解釈と言いながら、「武内宿禰」から「宿禰」を除くと分からなくなると主張されています。
- Wikipediaでしか使用されない人名表記をもいとわない姿勢
- といったものが挙げられ、被依頼者が活動を活発化してわずかという間であるのに、その他の件も含めて常軌を逸した事項ばかりです。元来中立性が不安定な神道学・歴史学分野の記事群においても、今回の被依頼者の活動によって中立性が大きく揺らいでいます。被依頼者との件では心底疲弊いたしました。コミュニティを疲弊させるユーザーとして長期投稿ブロックもやむなしと考えます。--Saigen Jiro(会話) 2018年8月2日 (木) 05:17 (UTC)
- コメント 被依頼者と大きな接点は持ちませんが、第三者として。──概ね依頼者さんのまとめの通りでよくまとめてあると思います。被依頼者のご主張の欠陥は「ご自身が正史であると主張する日本書紀について、それが議論の余地なく絶対的な正論だと考えた」「それを理解、納得しない編集者を一方的に誤っていると断定し別の考え方、解釈を許容し得なかった」という点でしょう。そういった主張はWP:NOTESSAYに分類される『 どこの馬の骨とも解らぬ我々匿名編集者ごときが(世の研究者を差し置いて)一存や少人数合意で決められる性質のものではない 』(三大方針WP:POV違反)ため、それを主張する時点で世の関連研究議論とまったく同様に反論が多く寄せられることは編集者であれば予測可能な性質を持つことは自明であり、ただ紛糾を招くのみであることはこれまでの経緯通りです。◆ので、そのままのお考えで今後も各提案を行われ、また記事出典に対しそれが妥当かどうかの判断にWP:RSではなく誰からも合意も支持を受けていないご自身の主義主張を用いるのであれば、それはそのまま「 目的外利用者 」でしかありませんでしょう。ですからウィキペディアからお引取り願うことで「 被依頼者以外に困る人間は誰もいない 」という結論に落ち着くことは当然の帰結でありましょう。……ただし、当方が関わりました直近の議論「プロジェクト‐ノート:神道#貴人記事の項目名変更の提案」に置きましては当方指摘の通り『 長期議論を経て、最終的に持論合意に拘りすぎたことをお認めになられる度量を見せた 』という点を評価し被依頼者が依頼者指摘の問題点を克服する可能性の片鱗を見せたことを理由に、現時点で被依頼者はご自身のお考えがウィキペディア上では全く必要のない至極個人的な考え方のひとつにしか過ぎないこと、その考え方は編集者として各記述に係る出典文献の信頼性の客観的評価に対しまったく必要のない考えであり、逆に言えばその考え方を各編集作業に当てはめるのはウィキペディアの私物化、WP:OWNでしかないこと、つまり個人観点と客観評価の意識分離に失敗している事実をお認めになられるのであれば、もうしばらくの期間様子見しても良いかな、とも考えます。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年8月2日 (木) 06:16 (UTC)
- 返信 (被依頼者のコメント宛) 被依頼者について、Wikipediaでの共同作業は極めて困難な方でしょう。文章読解力の観点からも、そのように認識いたしました。--663h 2018年8月2日 (木) 16:36 (UTC)
- 私も663hさんと同意見です。「木を見て森を見ず」といいますか、細部に注目する一方で全体像を把握できていないことが多いように思われます。例えば、WP:CRITERIAの「首尾一貫している」にこだわる一方で、他の基準との兼ね合いについては理解不足でしょう。また、利用者‐会話:Aitok I#除去につきまして、Wikipedia‐ノート:表記ガイド#人名の敬称付記慣習についてのコメント依頼での7月30日のやりとりなど、他の利用者からの意見を「一般的なものではない」と軽視する傾向があるように思われます。また、1週間の投稿ブロックを受けた後に「研耳命」については非を認めていますが、投稿ブロックから24時間たたないうちに「方針を熟読した」と解除依頼を提出していること、コメント依頼について(事実関係と異なる点を除き)と但し書きをつけていることが気になります。解除依頼では反省の弁を述べていますが、残念ながら「研耳命」以外については具体例がなく、現状ではどの程度問題点を理解しているのか判断できません。--SilverSpeech(会話) 2018年8月3日 (金) 06:24 (UTC)