「トヨタマヒメ」の版間の差分
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海神[[豊玉彦 |
海神[[豊玉彦]]の娘<ref>『[[#keizu|古代豪族系図集覧]]』。</ref>。「豊玉姫」・「豊玉彦」のように、[[ヒメ]]と[[ヒコ]]の二者(この場合は父娘)がペアで統治を行う体制は[[ヒメヒコ制]]と呼ばれる。『[[日本書紀]]』によれば、妹に[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]がいる。また、『[[#keizu|古代豪族系図集覧]]』によれば、弟に[[宇都志日金拆]](穂高見。[[阿曇氏]]の祖。)・[[振魂]]([[尾張氏]]の祖)がいる。 |
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* 夫:'''[[火折]]'''(ほおり) - 『[[日本書紀]]』 |
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** 子:[[彦波瀲武鸕鶿草葺不合]](ひこなぎさたけうがやふきあわせず/-ふきあえず) - 『日本書紀』 |
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豊玉姫は[[ワタツミ|海神]](豊玉姫の父)の宮にやってきた[[火折 |
豊玉姫は[[ワタツミ|海神]](豊玉姫の父)の宮にやってきた[[火折]]と結婚し、火折はその宮に3年間住んだが、火折は故郷のことをおもってなげいた。これを聞いた豊玉姫は、自らの父である海神に「天孫悽然として数(しばしば)歎きたまう。蓋し土(くに)を懐(おも)いたまうの憂えありてか。」と言った。海神は火折に助言を与え、故郷に帰した。帰ろうとする火折に、豊玉姫は「妾(やっこ)已に娠めり。当に産まんとき久しからじ。妾必ず風濤急峻の日を以て海浜に出で到らん。請う我が為に産室を作りて相い持ちたまえ。」と言った。 |
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のちに豊玉姫は約束の通り、妹の[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]を従えて海辺にいたった。[[出産]]に望んで、豊玉姫は火折 |
のちに豊玉姫は約束の通り、妹の[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫]]を従えて海辺にいたった。[[出産]]に望んで、豊玉姫は火折に「妾産む時に幸(ねが)わくはな看(み)ましそ。」と請うた。しかし火折は我慢できず、ひそかにぬすみみた。豊玉姫は出産の時に[[竜]](『日本書紀』一書では「八尋大熊[[和邇|鰐]]」、『[[古事記]]』では「八尋和邇」)となった。 |
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豊玉姫ははじて、「如(も)し我を辱しめざるならば、則ち海陸相通わしめて、永く隔て絶つこと無からまじ。今既に辱みつ。将(まさ)に何を以て親昵なる情を結ばんや。」と言い、子を草でつつんで海辺にすてて、海途を閉じて去った。これにより、子を[[彦波瀲武鸕鶿草葺不合 |
豊玉姫ははじて、「如(も)し我を辱しめざるならば、則ち海陸相通わしめて、永く隔て絶つこと無からまじ。今既に辱みつ。将(まさ)に何を以て親昵なる情を結ばんや。」と言い、子を草でつつんで海辺にすてて、海途を閉じて去った。これにより、子を[[彦波瀲武鸕鶿草葺不合]]と名付けたという。 |
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== 諸説 == |
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『日本書紀』の一書によれば、火折 |
『日本書紀』の一書によれば、火折は豊玉姫の出産を櫛に火をともしてぬすみみたというが、この「一つ火」を灯す行為もタブーであったと指摘される<ref>{{citation|和書|author=小野寺静子 |title=〈ひそかに〉考 |journal=札幌大学教養部札幌大学女子短期大学部紀要 |volume=18 |year=1981| |url=https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=5052&file_id=18&file_no=1 |page=227}}<!--pp. 230–221--></ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2018年8月9日 (木) 14:59時点における版
とよたまびめ 豊玉姫 | |
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豊玉姫と妹(玉依姫) | |
民族 | 海人族 |
時代 | 神代 |
活動拠点 | 海神の宮 |
配偶者 | 火折 |
子供 | 彦波瀲武鸕鶿草葺不合 |
親 | 父:海童、母:(不明) |
トヨタマヒメ(トヨタマビメ、豊玉姫、『古事記』では豊玉毘売)は、日本神話に登場する女性。神武天皇(初代天皇)の祖母として知られる。
系譜
海神豊玉彦の娘[1]。「豊玉姫」・「豊玉彦」のように、ヒメとヒコの二者(この場合は父娘)がペアで統治を行う体制はヒメヒコ制と呼ばれる。『日本書紀』によれば、妹に玉依姫がいる。また、『古代豪族系図集覧』によれば、弟に宇都志日金拆(穂高見。阿曇氏の祖。)・振魂(尾張氏の祖)がいる。
- 夫:火折(ほおり) - 『日本書紀』
- 瓊瓊杵の子。
- 子:彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあわせず/-ふきあえず) - 『日本書紀』
系図
記録
以下、特記以外は『日本書紀』によって記載する。
豊玉姫は海神(豊玉姫の父)の宮にやってきた火折と結婚し、火折はその宮に3年間住んだが、火折は故郷のことをおもってなげいた。これを聞いた豊玉姫は、自らの父である海神に「天孫悽然として数(しばしば)歎きたまう。蓋し土(くに)を懐(おも)いたまうの憂えありてか。」と言った。海神は火折に助言を与え、故郷に帰した。帰ろうとする火折に、豊玉姫は「妾(やっこ)已に娠めり。当に産まんとき久しからじ。妾必ず風濤急峻の日を以て海浜に出で到らん。請う我が為に産室を作りて相い持ちたまえ。」と言った。
のちに豊玉姫は約束の通り、妹の玉依姫を従えて海辺にいたった。出産に望んで、豊玉姫は火折に「妾産む時に幸(ねが)わくはな看(み)ましそ。」と請うた。しかし火折は我慢できず、ひそかにぬすみみた。豊玉姫は出産の時に竜(『日本書紀』一書では「八尋大熊鰐」、『古事記』では「八尋和邇」)となった。
豊玉姫ははじて、「如(も)し我を辱しめざるならば、則ち海陸相通わしめて、永く隔て絶つこと無からまじ。今既に辱みつ。将(まさ)に何を以て親昵なる情を結ばんや。」と言い、子を草でつつんで海辺にすてて、海途を閉じて去った。これにより、子を彦波瀲武鸕鶿草葺不合と名付けたという。
諸説
『日本書紀』の一書によれば、火折は豊玉姫の出産を櫛に火をともしてぬすみみたというが、この「一つ火」を灯す行為もタブーであったと指摘される[2]。
脚注
出典
参考文献
- 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年、7頁頁。ISBN 4-490-20225-3。