コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「久自国造」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Aitok I (会話 | 投稿記録)
Aitok I (会話 | 投稿記録)
18行目: 18行目:


=== 祖先 ===
=== 祖先 ===
『[[先代旧事本紀]]』の「[[国造本紀]]」によれば、[[成務天皇]](第13代[[天皇]])の時代に[[物部氏]]([[カバネ|姓]]は[[連]])の祖の'''[[伊香色雄|伊香色雄命]]'''の3世孫の'''船瀬足尼'''([[船瀬宿禰]])が初代久自国造(または久目国造。[[#表記]]参照。)に任命されたという。船瀬足尼は'''[[舟瀬宿祢]]'''<ref>[http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/bunkazai/ken/shiseki/12-27/12-27.html 梵天山古墳群] - [[茨城県教育委員会]](2016年10月5日午後0時(昼)12分([[日本標準時|JST]])閲覧)</ref>・'''[[舟瀬足尼]]'''<ref>[http://www.kanko-hitachiota.com/page/page000063.html 梵天山古墳群] - [[常陸太田市観光物産協会]]公式ホームページ(2017年5月16日午前0時(15日深夜)30分([[日本標準時|JST]])閲覧)</ref>とも表記する。また「船瀬足尼」は『先代旧事本紀』[[度会延佳]]神主校正鼇頭旧事紀<ref name="taikei"/><ref name="taikei2"/>・同書前田侯爵家<ref group="注" name="maeda"/>所蔵[[安貞]]年間古写本<ref name="taikei2"/>による表記であり、同書[[神宮文庫]]本では「'''[[船瀬尼]]'''」と表記されている<ref name="taikei2"/>。
『[[先代旧事本紀]]』の「[[国造本紀]]」によれば、[[成務天皇]](第13代[[天皇]])の時代に[[物部氏]]([[カバネ|姓]]は[[連]])の祖の'''[[伊香色雄]]'''の3世孫の'''船瀬足尼'''([[船瀬宿禰]])が初代久自国造(または久目国造。[[#表記]]参照。)に任命されたという。船瀬足尼は'''[[舟瀬宿祢]]'''<ref>[http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/bunkazai/ken/shiseki/12-27/12-27.html 梵天山古墳群] - [[茨城県教育委員会]](2016年10月5日午後0時(昼)12分([[日本標準時|JST]])閲覧)</ref>・'''[[舟瀬足尼]]'''<ref>[http://www.kanko-hitachiota.com/page/page000063.html 梵天山古墳群] - [[常陸太田市観光物産協会]]公式ホームページ(2017年5月16日午前0時(15日深夜)30分([[日本標準時|JST]])閲覧)</ref>とも表記する。また「船瀬足尼」は『先代旧事本紀』[[度会延佳]]神主校正鼇頭旧事紀<ref name="taikei"/><ref name="taikei2"/>・同書前田侯爵家<ref group="注" name="maeda"/>所蔵[[安貞]]年間古写本<ref name="taikei2"/>による表記であり、同書[[神宮文庫]]本では「'''[[船瀬尼]]'''」と表記されている<ref name="taikei2"/>。


なお『[[#keizu|古代豪族系図集覧]]』の系図は'''伊香色雄命'''―[[大咩布]]―【[[大部氏|大部]][[連]]】[[大部豊日|豊日]]―船瀬足尼([[有道氏|有道]][[宿禰]]祖)となっており、こちらも船瀬足尼は伊香色雄の3世孫の位置にいる。
なお『[[#keizu|古代豪族系図集覧]]』の系図は'''伊香色雄命'''―[[大咩布]]―【[[大部氏|大部]][[連]]】[[大部豊日|豊日]]―船瀬足尼([[有道氏|有道]][[宿禰]]祖)となっており、こちらも船瀬足尼は伊香色雄の3世孫の位置にいる。


=== 氏族 ===
=== 氏族 ===
42行目: 42行目:


=== 氏神 ===
=== 氏神 ===
久自国造の[[氏神]]は、[[茨城県]][[常陸太田市]](旧久慈郡)にある'''[[稲村神社_(常陸太田市)|稲村神社]]'''(いなむらじんじゃ、稻村神社、{{ウィキ座標|36|31|39.33|N|140|30|03.63|E|region:JP-08_type:landmark|位置|name=稲村神社}})である。主祭神は久自国造の祖先伊香色雄の祖である[[ニギハヤヒ|饒速日命]]。社伝では、初代国造の船瀬足尼命が[[成務天皇|成務]]朝の任命の際に大祖・饒速日を祀ったという。
久自国造の[[氏神]]は、[[茨城県]][[常陸太田市]](旧久慈郡)にある'''[[稲村神社_(常陸太田市)|稲村神社]]'''(いなむらじんじゃ、稻村神社、{{ウィキ座標|36|31|39.33|N|140|30|03.63|E|region:JP-08_type:landmark|位置|name=稲村神社}})である。主祭神は久自国造の祖先伊香色雄の祖である[[ニギハヤヒ|饒速日命]]。社伝では、初代国造の船瀬足尼命が[[成務天皇|成務]]朝の任命の際に大祖・饒速日を祀ったという。


=== 関連神社 ===
=== 関連神社 ===
* [[泉神社 (日立市)|泉神社]](いずみじんじゃ、{{ウィキ座標|36|31|6.79|N|140|37|29.67|E|region:JP-08_type:landmark|位置|name=泉神社}})
* [[泉神社 (日立市)|泉神社]](いずみじんじゃ、{{ウィキ座標|36|31|6.79|N|140|37|29.67|E|region:JP-08_type:landmark|位置|name=泉神社}})
*: 茨城県[[日立市]](旧久慈郡のち[[多賀郡]])にある神社である。[[天速玉姫命]]をまつり、[[式内小社]]「天速玉姫命神社」に比定されている。この神社の由緒([http://izumi-jinja.sakura.ne.jp/Yuisyo-Page.html 神社紹介] - 泉神社 公式ホームページ<ref>2017年12月7日午後9時49分([[日本標準時|JST]])閲覧</ref>)によれば、この神社は[[崇神天皇]](第10代[[天皇]])の時代の「宇治49年([[紀元前42年]])」<ref group="注">「宇治」の意味は不明。崇神天皇49年なら『[[日本書紀]]』に記述されている年を機械的に西暦に置き換えると[[紀元前49年]]になる。</ref>にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。また、「久自國造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせしゅくね)の奏請により、[[大臣 (古代日本)|大臣]]伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けての久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。」とあるが、これが史実なら船瀬宿禰とその3世代前に当たる伊香色雄が同時に生存していたことになる。また『先代旧事本紀』の「国造本紀」には船瀬足尼の久自国造任命は成務天皇(第13代天皇)の時代だったとあるので、崇神天皇(第10代天皇)の時代に船瀬宿禰が「久自國造」だったと記すこの由緒との間で整合性が取れなくなってしまう。伊香色雄については、『先代旧事本紀』の「[[天皇本紀]]」に[[開化天皇]]8年2月に大臣となったとあり開化天皇は第9代天皇なので、この後解任されていなければ崇神天皇の時代も伊香色雄が大臣だったということになる。
*: 茨城県[[日立市]](旧久慈郡のち[[多賀郡]])にある神社である。[[天速玉姫命]]をまつり、[[式内小社]]「天速玉姫命神社」に比定されている。この神社の由緒([http://izumi-jinja.sakura.ne.jp/Yuisyo-Page.html 神社紹介] - 泉神社 公式ホームページ<ref>2017年12月7日午後9時49分([[日本標準時|JST]])閲覧</ref>)によれば、この神社は[[崇神天皇]](第10代[[天皇]])の時代の「宇治49年([[紀元前42年]])」<ref group="注">「宇治」の意味は不明。崇神天皇49年なら『[[日本書紀]]』に記述されている年を機械的に西暦に置き換えると[[紀元前49年]]になる。</ref>にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。また、「久自國造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせしゅくね)の奏請により、[[大臣 (古代日本)|大臣]]伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けての久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。」とあるが、これが史実なら船瀬宿禰とその3世代前に当たる伊香色雄が同時に生存していたことになる。また『先代旧事本紀』の「国造本紀」には船瀬足尼の久自国造任命は成務天皇(第13代天皇)の時代だったとあるので、崇神天皇(第10代天皇)の時代に船瀬宿禰が「久自國造」だったと記すこの由緒との間で整合性が取れなくなってしまう。伊香色雄については、『先代旧事本紀』の「[[天皇本紀]]」に[[開化天皇]]8年2月に大臣となったとあり開化天皇は第9代天皇なので、この後解任されていなければ崇神天皇の時代も伊香色雄が大臣だったということになる。


=== 墓 ===
=== 墓 ===

2018年8月9日 (木) 21:14時点における版

久自国造
本姓 釆女氏または丈部氏のち有道氏
家祖 船瀬足尼
種別 神別天神
主な根拠地 久自国(のちの常陸国久慈郡
凡例 / Category:日本の氏族

久自国造(くじのくにのみやつこ、くじこくぞう)はのちに常陸国北中部となる地域(久自国)を支配した国造である。

概要

表記

「久自国造」は『先代旧事本紀度会延佳神主校正鼇頭旧事紀[1][2]・同書前田侯爵家[注 1]所蔵安貞年間古写本[2]による表記である。同書神宮文庫本では「国造」と表記されている[2]

祖先

先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、成務天皇(第13代天皇)の時代に物部氏)の祖の伊香色雄の3世孫の船瀬足尼船瀬宿禰)が初代久自国造(または久目国造。#表記参照。)に任命されたという。船瀬足尼は舟瀬宿祢[4]舟瀬足尼[5]とも表記する。また「船瀬足尼」は『先代旧事本紀』度会延佳神主校正鼇頭旧事紀[1][2]・同書前田侯爵家[注 1]所蔵安貞年間古写本[2]による表記であり、同書神宮文庫本では「船瀬尼」と表記されている[2]

なお『古代豪族系図集覧』の系図は伊香色雄命大咩布―【大部豊日―船瀬足尼(有道宿禰祖)となっており、こちらも船瀬足尼は伊香色雄の3世孫の位置にいる。

氏族

釆女氏または丈部氏のち有道氏物部氏などと同系。

久自国造の系図については、有道氏/児玉党【1】(「日本の苗字7000傑 姓氏類別大観」内)を参照。

本拠

のちの常陸国久慈郡。現在の茨城県日立市常陸太田市など。下記稲村神社の鎮座地一帯。なお久慈郡郡衙跡であると考えられているのは、茨城県常陸太田市の大里町から薬谷町にかけてある長者屋敷遺跡である。

支配領域

久自国造の支配領域は当時久自国と呼ばれていた地域である。久自国はのちの令制国常陸国の北中部(久慈郡[7])をさし、久慈川流域[8]すなわち現在の茨城県日立市常陸太田市周辺に当たる[7]

地名の由来については、久慈郡#郡名の由来を参照。

久自国はのちに令制国の整備にともなって、周辺の6国(筑波国新治国茨城国仲国高国(多珂国)、道口岐閉国)と合わさって常陸国となった。

氏神

久自国造の氏神は、茨城県常陸太田市(旧久慈郡)にある稲村神社(いなむらじんじゃ、稻村神社、北緯36度31分39.33秒 東経140度30分03.63秒)である。主祭神は久自国造の祖先伊香色雄の祖である饒速日命。社伝では、初代国造の船瀬足尼命が成務朝の任命の際に大祖・饒速日を祀ったという。

関連神社

  • 泉神社(いずみじんじゃ、北緯36度31分6.79秒 東経140度37分29.67秒
    茨城県日立市(旧久慈郡のち多賀郡)にある神社である。天速玉姫命をまつり、式内小社「天速玉姫命神社」に比定されている。この神社の由緒(神社紹介 - 泉神社 公式ホームページ[9])によれば、この神社は崇神天皇(第10代天皇)の時代の「宇治49年(紀元前42年)」[注 7]にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。また、「久自國造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせしゅくね)の奏請により、大臣伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けての久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。」とあるが、これが史実なら船瀬宿禰とその3世代前に当たる伊香色雄が同時に生存していたことになる。また『先代旧事本紀』の「国造本紀」には船瀬足尼の久自国造任命は成務天皇(第13代天皇)の時代だったとあるので、崇神天皇(第10代天皇)の時代に船瀬宿禰が「久自國造」だったと記すこの由緒との間で整合性が取れなくなってしまう。伊香色雄については、『先代旧事本紀』の「天皇本紀」に開化天皇8年2月に大臣となったとあり開化天皇は第9代天皇なので、この後解任されていなければ崇神天皇の時代も伊香色雄が大臣だったということになる。

子孫

脚注

注釈

  1. ^ a b 前田氏加賀前田家加賀藩本家は明治維新侯爵となっている[3]
  2. ^ 連は
  3. ^ 常陸国筑波郡の人で散位正六位上
  4. ^ 一品式部卿親王葛原親王)の家令外從五位下
  5. ^ 下総少目従七位下
  6. ^ 左近衛大初位下
  7. ^ 「宇治」の意味は不明。崇神天皇49年なら『日本書紀』に記述されている年を機械的に西暦に置き換えると紀元前49年になる。

出典

  1. ^ a b 国史大系. 第7巻
  2. ^ a b c d e f 新訂増補國史大系 第7巻
  3. ^ 『寛政重修諸家譜』『金沢市史』『藩史大事典』
  4. ^ 梵天山古墳群 - 茨城県教育委員会(2016年10月5日午後0時(昼)12分(JST)閲覧)
  5. ^ 梵天山古墳群 - 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ(2017年5月16日午前0時(15日深夜)30分(JST)閲覧)
  6. ^ 古代豪族系図集覧』。
  7. ^ a b 久自国造 ( 常陸 ) - 日本辞典(2018年2月25日午前3時10分(JST)閲覧)
  8. ^ 日本歴史地図 原始・古代編 下』。
  9. ^ 2017年12月7日午後9時49分(JST)閲覧
  10. ^ 現地説明板

参考文献

  • 『國史大辭典』(吉川弘文館
  • 坂本太郎・平野邦雄『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)
  • 『日本史広辞典』(山川出版社
  • 『神道大辞典』(臨川書店)
  • 経済雑誌社 編『国史大系. 第7巻経済雑誌社、1901年、凡例1頁,本文409頁頁http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9910972017年12月25日閲覧 リンクは国立国会図書館デジタルコレクション
  • 黒板勝美 編『新訂増補國史大系 第7巻』(新装版)吉川弘文館、1998年、先代舊事本紀凡例1頁,同4頁,先代舊事本紀本文144頁頁。ISBN 4642003088 
  • 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年、73・74頁。ISBN 4-490-20225-3 
  • 竹内理三等 編『日本歴史地図 原始・古代編 下』柏書房、1982年、290頁。 

関連項目