コンテンツにスキップ

「ウガヤフキアエズ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m cewbot: ウィキ文法修正 2: <br/>タグの違反
76行目: 76行目:


== 陵・霊廟 ==
== 陵・霊廟 ==
[[File:Aira Sanryo, haisho.jpg|thumb|240px|{{center|天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊<br>[[吾平山上陵]]([[鹿児島県]][[鹿屋市]])}}]]
[[File:Aira Sanryo, haisho.jpg|thumb|240px|{{center|天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊<br />[[吾平山上陵]]([[鹿児島県]][[鹿屋市]])}}]]
[[陵墓|陵]](みささぎ)は、[[宮内庁]]により[[鹿児島県]][[鹿屋市]][[吾平町]]上名字吾平山にある'''[[吾平山上陵]]'''(あひらのやまのえのみささぎ)に治定されている({{ウィキ座標|31|17|16.64|N|130|54|54.78|E|region:JP-46|位置|name=吾平山上陵(伝天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊陵)}})。宮内庁上の形式は洞穴。
[[陵墓|陵]](みささぎ)は、[[宮内庁]]により[[鹿児島県]][[鹿屋市]][[吾平町]]上名字吾平山にある'''[[吾平山上陵]]'''(あひらのやまのえのみささぎ)に治定されている({{ウィキ座標|31|17|16.64|N|130|54|54.78|E|region:JP-46|位置|name=吾平山上陵(伝天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊陵)}})。宮内庁上の形式は洞穴。



2019年3月29日 (金) 00:04時点における版

鵜葺草葺不合命
鸕鶿草葺不合尊
音川安親編 万物雛形画譜

地神五代 第五代
日向三代 第三代
先代 彦火火出見尊(山幸彦)
次代 彦火火出見尊(神武天皇)

神祇 天津神
全名 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
陵所 吾平山上陵
彦火火出見尊(山幸彦)
豊玉姫
配偶者 玉依姫
彦五瀬命稲飯命三毛入野命彦火火出見尊(神武天皇)
西洲の宮
神社 鵜戸神宮など
テンプレートを表示

鵜葺草葺不合命鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は日本神話地神五代の五代目、日向三代の三代目。

概要

彦火火出見尊(火折尊、山幸彦)の子。母は豊玉姫。『先代旧事本紀』によれば異母弟に武位起命がいる。伯母の玉依姫との間に彦五瀬命稲飯命三毛入野命彦火火出見尊(神武天皇)を得た。父と末子は同名の彦火火出見尊である。久しくして崩じ吾平山上陵に葬られた。

  • 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『日本書紀』
  • 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと ) - 『古事記』

神話での記述

日本書紀』によれば、鸕鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)」と名付けたという。なお、鵜戸神宮宮崎県日南市)はこの時の産屋の跡と伝えられる[1]

事績は『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である。

系譜

系図

                           
 
 
 
天照大神(アマテラス)
 
 
 
 
 
 
須佐之男命(スサノオ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天忍穂耳命(アメノ オシホ ミミ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
栲幡千千姫(タクハタチヂ ヒメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
邇邇芸命(ニニギ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
木花之佐久夜毘売(コノハナノ サクヤ ビメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
火遠理命(ホオリ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊玉姫(トヨタマ ヒメ、アマテラスの姪)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鸕鶿草葺不合命(ウガヤ フキアエズ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
玉依姫(タマヨリ ヒメ、トヨタマヒメの妹)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
若御毛沼命(ワカミケヌ、神武天皇、四男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメ タタラ イスズ ヒメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彦五瀬命(ヒコイツセ、長男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
稲飯命(イナイ、二男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三毛入野命(ミケイリノ、三男)
 
 
 
 
 
 
 
火闌降命(ホスソリ)- - - 隼人
 
 
 
 
 
 
 
火明命(ホアカリ) - - - 尾張氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天穂日命(アメノ ホヒ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天甕津日女神(アメノ ミカツ ヒメ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出雲氏
 
 


妻子

  • 妃:玉依姫(たまよりびめ、玉依毘売命)
    海童の娘で豊玉姫の妹。鸕鶿草葺不合尊から見れば叔母にあたる
    • 彦五瀬命(ひこいつせ の みこと)
      第一子。神武東征の際に賊の矢にあたって薨じた
    • 稲飯命(いない の みこと)
      第二子。『日本書紀』第二・第四の一書では第三子。神武東征の際に鋤持神となった
    • 三毛入野命(みけいりぬ の みこと、別名:御毛沼命、稚三毛野尊)
      第三子。『日本書紀』第二の一書では第二子、第三・第四の一書では第四子。神武東征の際に常世郷へ行った
    • 火火出見尊(ひこほほでみ の みこと、別名:狭野命、若御毛野命、豊御毛野命)
      第四子。『日本書紀』第三の一書では第三子、第四の一書では第二子
      『日本書紀』第一書での幼名は狭野命
      初代天皇。和風諡号「神日本磐余彦天皇」、漢風諡号「神武天皇

日本書紀』は、鸕鶿草葺不合尊が崩御した地を「西洲の宮(にしのくにのみや)」と記す。

陵・霊廟

天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
吾平山上陵鹿児島県鹿屋市

(みささぎ)は、宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にある吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)に治定されている(北緯31度17分16.64秒 東経130度54分54.78秒)。宮内庁上の形式は洞穴。

埋葬地は、日本書紀に「日向の吾平山上陵」と記載があるが、その伝承の地は南九州各地にある。明治7年に明治政府は、それらの中から旧薩摩藩の学者の意見を参考に鹿児島県鹿屋市(旧 肝属郡吾平町)鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を吾平山上陵に治定した。現在は宮内庁書陵部が管轄している(他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定)。

しかし日向国の人々からの反論が強く、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年に鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。他に宮崎県西臼杵郡高千穂町とする説もある。

古史古伝

ウエツフミ』「竹内文献」『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の鵜萱葺不合命が開いた古代王朝をウガヤフキアエズ王朝という。一般的には古史古伝全般が偽書とみなされており、実在したとは考えられていない。

脚注

  1. ^ ご由緒 - 鵜戸神宮(2018年7月27日午後6時35分(JST)閲覧)

参考文献

  • 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年、7頁頁。ISBN 4-490-20225-3 

関連項目