「後ウマイヤ朝アミール領」の版間の差分
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'''コルドバ首長国''' ({{Lang-ar|إمارة قرطبة}}, ''Imārat Qurṭuba'') は、[[8世紀]]中ごろから[[イベリア半島]]の[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]を首都として存在した[[ウマイヤ家]]の[[アミール]]による独立国家。{{要検証範囲|929年に[[アブド・アッラフマーン3世]]が[[カリフ]]を称して[[後ウマイヤ朝]]となった。なお、[[756年]]の[[アブド・アッラフマーン1世]]による独立時点から後ウマイヤ朝と呼ぶことも多い。|date=2019年6月}} |
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== 歴史 == |
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711年から718年にかけて、[[ウマイヤ朝]]は[[西ゴート王国]]を滅ぼして[[ウマイヤ朝のヒスパニア征服|イベリア半島を征服]]した。この地の総督はコルドバを地方政府[[アンダルス]]の首都として、カリフから[[ワリー]]もしくは[[アミール]]の称号を受けた。 |
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750年、中東で[[アッバース革命]]が勃発し、ウマイヤ朝が倒れ[[アッバース朝]]が興った。カリフとなった[[サッファーフ]]はウマイヤ家を徹底的に粛清したが、ウマイヤ家の一人[[アブド・アッラフマーン1世]]は命からがら脱出し、母方の先祖である[[ベルベル人]]を頼って西方のアフリカへ逃れた。ここで力を付けたアブド・アッラフマーン1世はイベリア半島に上陸し、半独立状態だったアンダルスの[[ユースフ・イブン・アブド・アッラフマーン・アッ=フィーリ]]を破り、コルドバのアミールとなって半島内の数々の[[レーエン]]を[[首長国]]にまとめ上げた<ref>{{仮リンク|サイモン・バートン|es|Simon Barton|label=Barton, Simon}}, ''A History of Spain'', Palgrave Macmillan. February 21, 2004, ISBN 978-0-230-20012-8, p. 37.</ref>{{要検証|date=2019年6月}}。[[トレド]]、[[サラゴサ]]、[[パンプローナ]]、[[バルセロナ]]といった半島内の各地を統一する事業には四半世紀以上を要した。 |
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アブド・アッラフマーン1世以降170年以上にわたり、その子孫がアミールとしてアンダルスを、時には北西アフリカの一部を支配した。とはいえその全土に実質的な支配が及んでいたとは言い難い。北方のキリスト教国に対峙して設置された辺境領主は、コルドバのアミールに匹敵する実力を有していた。特に10世紀初頭のアミール・アブドゥッラー・ブン・ムハンマドは、キリスト教国と同盟した北方の領主との戦争に明け暮れた。 |
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912年、アブドゥッラーの孫[[アブド・アッラフマーン3世]]が登位した。彼は衰退の一途をたどっていたコルドバ首長国を瞬く間に立て直し、アンダルスや北西アフリカの支配を再確立した。929年、彼は自身の権威を高めて国内の抗争を鎮めるため、自ら[[カリフ]]を名乗った。ここにイスラム世界には[[バグダード]]のアッバース朝、北アフリカの[[シーア派]]・[[ファーティマ朝]]、そしてコルドバ首長国から昇格したイベリア半島の[[後ウマイヤ朝]]という3つのカリフ国が鼎立する時代となった。 |
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== コルドバのアミール == |
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* [[アブド・アッラフマーン1世]](756年 - 788年) |
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* [[ヒシャーム1世]](788年 - 796年) |
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* [[ハカム1世]](796年 - 822年) |
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* [[アブド・アッラフマーン2世]](822年 - 852年) |
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* [[ムハンマド1世]](852年 - 886年) |
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* [[ムンジル]](886年 - 888年) |
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* [[アブドゥッラー]](888年 - 912年) |
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* [[アブド・アッラフマーン3世]](912年 - 929年) |
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'''後ウマイヤ朝アミール領'''({{transl|ar|imāra<sup>t</sup> al-umawī al-andalusī}})は、イベリア半島で最大・最長のイスラーム国家である[[後ウマイヤ朝]]の、アブドゥッラフマーン1世による政権樹立(756年)からアブドゥッラフマーン3世によるカリフ位宣言(929年)までの時代、勢力範囲を指すことばである。 |
'''後ウマイヤ朝アミール領'''({{transl|ar|imāra<sup>t</sup> al-umawī al-andalusī}})は、イベリア半島で最大・最長のイスラーム国家である[[後ウマイヤ朝]]の、アブドゥッラフマーン1世による政権樹立(756年)からアブドゥッラフマーン3世によるカリフ位宣言(929年)までの時代、勢力範囲を指すことばである。 |
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2019年6月28日 (金) 09:44時点における版
コルドバ首長国 | |||||
إمارة قرطبة Imārat Qurṭuba | |||||
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コルドバ首長国(後ウマイヤ朝)の版図(929年、緑)
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首都 | コルドバ | ||||
言語 | 古典アラビア語, ベルベル語, モサラベ語, 中世ヘブライ語 | ||||
宗教 | スンナ派, ユダヤ教, ローマ・カトリック | ||||
政府 | 首長国 | ||||
歴史 | |||||
• | アブド・アッラフマーン1世のコルドバ・「アミール」宣言 | 756年5月15日 | |||
• | アブド・アッラフマーン3世のコルドバ・「カリフ」宣言[1] | 929年1月16日 | |||
現在 | ジブラルタル (イギリス) モロッコ ポルトガル スペイン |
コルドバ首長国 (アラビア語: إمارة قرطبة, Imārat Qurṭuba) は、8世紀中ごろからイベリア半島のコルドバを首都として存在したウマイヤ家のアミールによる独立国家。929年にアブド・アッラフマーン3世がカリフを称して後ウマイヤ朝となった。なお、756年のアブド・アッラフマーン1世による独立時点から後ウマイヤ朝と呼ぶことも多い。[要検証 ]
歴史
711年から718年にかけて、ウマイヤ朝は西ゴート王国を滅ぼしてイベリア半島を征服した。この地の総督はコルドバを地方政府アンダルスの首都として、カリフからワリーもしくはアミールの称号を受けた。
750年、中東でアッバース革命が勃発し、ウマイヤ朝が倒れアッバース朝が興った。カリフとなったサッファーフはウマイヤ家を徹底的に粛清したが、ウマイヤ家の一人アブド・アッラフマーン1世は命からがら脱出し、母方の先祖であるベルベル人を頼って西方のアフリカへ逃れた。ここで力を付けたアブド・アッラフマーン1世はイベリア半島に上陸し、半独立状態だったアンダルスのユースフ・イブン・アブド・アッラフマーン・アッ=フィーリを破り、コルドバのアミールとなって半島内の数々のレーエンを首長国にまとめ上げた[2][要検証 ]。トレド、サラゴサ、パンプローナ、バルセロナといった半島内の各地を統一する事業には四半世紀以上を要した。
アブド・アッラフマーン1世以降170年以上にわたり、その子孫がアミールとしてアンダルスを、時には北西アフリカの一部を支配した。とはいえその全土に実質的な支配が及んでいたとは言い難い。北方のキリスト教国に対峙して設置された辺境領主は、コルドバのアミールに匹敵する実力を有していた。特に10世紀初頭のアミール・アブドゥッラー・ブン・ムハンマドは、キリスト教国と同盟した北方の領主との戦争に明け暮れた。
912年、アブドゥッラーの孫アブド・アッラフマーン3世が登位した。彼は衰退の一途をたどっていたコルドバ首長国を瞬く間に立て直し、アンダルスや北西アフリカの支配を再確立した。929年、彼は自身の権威を高めて国内の抗争を鎮めるため、自らカリフを名乗った。ここにイスラム世界にはバグダードのアッバース朝、北アフリカのシーア派・ファーティマ朝、そしてコルドバ首長国から昇格したイベリア半島の後ウマイヤ朝という3つのカリフ国が鼎立する時代となった。
コルドバのアミール
- アブド・アッラフマーン1世(756年 - 788年)
- ヒシャーム1世(788年 - 796年)
- ハカム1世(796年 - 822年)
- アブド・アッラフマーン2世(822年 - 852年)
- ムハンマド1世(852年 - 886年)
- ムンジル(886年 - 888年)
- アブドゥッラー(888年 - 912年)
- アブド・アッラフマーン3世(912年 - 929年)
後ウマイヤ朝アミール領(imārat al-umawī al-andalusī)は、イベリア半島で最大・最長のイスラーム国家である後ウマイヤ朝の、アブドゥッラフマーン1世による政権樹立(756年)からアブドゥッラフマーン3世によるカリフ位宣言(929年)までの時代、勢力範囲を指すことばである。
イベリア半島のイスラーム時代は、普通、711年のターリク・ブン・ズィヤードのジブラルタル上陸から始まり、1492年のナスル朝の滅亡で終わるものとして説明される[3][4][5]。その780年間の分節の仕方にはさまざまな方法があるが、例えば『イスラーム百科事典』初版と第2版の "al-Andalus" の項(レヴィ=プロヴァンサル執筆)は、「地誌学(歴史地理学)的にアンダルスのアウトラインを描く」という観点から、次の9時代(3番目の時代が本項の主題に対応)に分節している[3]。
- アンダルスの征服 (The conquest of al-Andalus.)
- マルワーン家再興までのアンダルスの歴史 (The history of al-Andalus up to the Marwānid restoration.)
- マルワーン朝コルドバ王国 (The Marwānid Kingdom of Cordova.)
- カリフ制とアーミリー家による専横 (The Caliphate and the ’Āmirid dictatorship.)
- マルワーン朝カリフ国の崩壊とアンダルス王国の分裂 (The collapse of the Marwānid Caliphate and the partition of the Kingdom of al-Andalus.)
- サグラハスの戦いまでのターイファ諸王国 (The Kingdoms of the ṭāifas up to the battle of al-Zaliāḳa.)
- ムラービト朝下のスペイン (Spain under the Almoravids.)
- ムワッヒド朝下のスペインとレコンキスタの進展 (Spain under the Almohads and the progress of the Reconquista.)
- ナスル朝グラナダ王国とレコンキスタの帰結 (The Naṣrid Kingdom of Granada and the conclusion of the Reconquista.)
英語圏では、756年にウマイヤ家のアブドゥッラフマーン1世がコルドバに独立政権を樹立してから、同家のアブドゥッラフマーン3世がカリフ位を宣する929年までの当該独立政権を "the Emirate of Cordoba" と呼び、929年から1031年の同家の王朝の滅亡までを "the Caliphate of Cordoba" と呼ぶことがある。これに対して、アラビア語史料はこの王朝を単に「ウマイヤ朝」と呼ぶか、もしくは「アンダルスのウマイヤ朝」と呼び、929年を境に別々の呼称を適用することはない[5]。
日本の歴史学者は、この王朝(アンダルスのウマイヤ朝)を「後ウマイヤ朝」と呼ぶ[5]。ダマスクスのウマイヤ朝と区別することを目的として、時間軸上うしろに位置するこの王朝に「後」を付すのは、中国史学の伝統の援用である[5]。
『イスラーム百科事典』の全面改稿版になる第3版では、政治史の観点から、アンダルスの780年間が次の7時代に分節されている("al-Andalus, political history" の項、ガルシア・サンフアン執筆)[4]。下記の2番目の時代区分に示すように、『イスラーム百科事典』も第3版になると、アブドゥッラフマーン3世のカリフ位宣言を画期として後ウマイヤ朝を前後に分割することをせず、一続きの王朝とする説明スタイルを採用している[4]。
- 征服と従属的アミール職の時代 (Conquest and dependent amīrate, 92–138/711–56)
- ウマイヤ家のアミール職の時代 (Umayyad amīrate, 138–422/756–1031)
- ウマイヤ家のカリフ職の時代 (Umayyad Caliphate, 316–422/929–1031)
- ターイファの時代 (Taifas, 422–82/1031–90)
- ムラービト朝 (The Almoravids, 482–541/1089–1147)
- ムワッヒド朝 (The Almohads, 541–625/1147–1228)
- グラナダのナスル家のアミール職の時代 (Naṣrid amīrate of Granada, 629–897/1232–1492)
出典
- ^ Azizur Rahman, Syed (2001). The Story of Islamic Spain. Goodword Books. p. 129. ISBN 978-81-87570-57-8 . "[Emir Abdullah died on] 16 Oct., 912 after 26 years of inglorious rule leaving his fragmented and bankrupt kingdom to his grandson ‘Abd ar-Rahman. The following day, the new sultan received the oath of allegiance at a ceremony held in the "Perfect salon" (al-majils al-kamil) of the Alcazar."
- ^ Barton, Simon, A History of Spain, Palgrave Macmillan. February 21, 2004, ISBN 978-0-230-20012-8, p. 37.
- ^ a b Lévi-Provençal,, E. (1960). "al-Andalus (iii) Outline of the historical geography of al-Andalus". Encyclopaedia of Islam. Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel, W.P. Heinrichs. (Second Edition ed.). doi:10.1163/1573-3912_islam_COM_0054. ISBN 9789004161214。
{{cite encyclopedia}}
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にed.など余分の文字が入力されています。 (説明); 不明な引数|1=
が空白で指定されています。 (説明); 不明な引数|coauthors=
は無視されます。(もしかして:|author=
) (説明) - ^ a b c García Sanjuán,, Alejandro, (2017-5). "al-Andalus, political history". Encyclopaedia of Islam. Edited by: Kate Fleet, Gudrun Krämer, Denis Matringe, John Nawas, Everett Rowson. (THREE ed.). doi:10.1163/1573-3912_ei3_COM_30661. ISBN 9789004335745。
{{cite encyclopedia}}
:|access-date=
を指定する場合、|url=
も指定してください。 (説明);|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ a b c d 佐藤, 健太郎「第3章 イスラーム期のスペイン」『スペイン史 1 : 古代 - 近世』関哲行、立石博高、中塚次郎編、山川出版社〈世界歴史大系〉、2008年、70-135頁。ISBN 978-4-634-46204-5。