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2019年7月31日 (水) 07:41時点における版

不動川砂防歴史公園
Fudokawa erosion control historical park
所在地
京都府木津川市
開園 1982~1987[1]
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不動川砂防歴史公園(ふどうがわさぼうれきしこうえん)とは、京都府木津川市山城町平尾地内、木津川水系不動川の上流部にある歴史公園。 この公園は、デ・レーケ堰堤群と山腹工によってよみがえった緑の山々に囲まれ、自然環境と土木遺産が見事に調和した「水と緑の憩いの場」として地域の人々に愛されている。

概要

  • 山城地方の山々は、花崗岩でできており、風化しやすいことに加え、都を建設するために多くの木が伐採されて、はげ山になった。そこで、クロマツヤシャブシ等の木を植えるとともに渓流の底が削れるのを防ぐために造られた石積みの堰堤がいくつも存在する[2]
  • ファミリーやグループにキャンプ、バーベキュー目的でよく利用されている。

歴史

  • 花崗岩でできたはげ山に雨が降ると、山肌が崩れ土砂が川に流れる。それが大阪湾や淀川に影響を及ぼした。この対策に頭を痛めた江戸幕府は、様々な方策を講じたが、効果はなかった。明治政府は重要な港湾の舟運を確保するため、オランダからデ・レーケ等の技術者を呼んだ。彼らがこの川の上流を調査した結果、たまった土砂を取り除き、荒れた山を緑に返すことが重要であると判断し、京都府の技師市川義方らと協力し、荒れた山をオランダ工法と日本古来の工法を工夫した技術をもって緑に返そうとした。その結果、荒れたはげ山がほぼ緑の山となり、流れ出す土砂を食い止める役割を果たしている[3]
  • 1953(昭和28年)8月14日~15日相楽、綴喜の両群一帯を襲った南山城水害は,山間部(和束町、東和束)での豪雨による山崩れの為土石流が生じた大災害となった。また、同年9月24日~25日に日本土を襲った台風13号は豪雨をもたらし、京都府にも被害をもたらした。そのため、当地域では砂防事業においても、通常砂防事業に加え、緊急砂防事業、災害復旧事業が取り組まれるなどして砂防事業が進められてきた[4]
  • 昭和57年度から62年度にかけて、京都府によりデ・レーケ堰堤を含む歴史的砂防施設の保存と「水と緑の憩いの空間」の提供を目的として、砂防環境整備事業が行われ、当公園が開園した[5][6]

脚注

  1. ^ 関西の公共事業・土木遺産探訪 第1集 P.20
  2. ^ 京都府土木建築砂防課・京都府木津土木事務所『不動川砂防歴史公園 美しい自然をいつまでも美しく』〔京都府〕、〔1997.3〕、3頁。 
  3. ^ 京都府土木建築砂防課・京都府木津土木事務所『不動川砂防歴史公園 美しい自然をいつまでも美しく』〔京都府〕、〔1997.3〕、3頁。 
  4. ^ 山田雄績 寺尾忠勝『砂防と治水 <第37号>』全国治水砂防協会、1982年6月、60頁。 
  5. ^ 全国治水砂防協会編『砂防と治水』22(6)72 p.64
  6. ^ 木津川市. “不動川砂防歴史公園”. 木津川市. 2019年7月31日閲覧。

参考文献

  • 京都府土木建築砂防課・京都府木津土木事務所『不動川砂防歴史公園 美しい自然をいつまでも美しく』〔京都府〕、〔1997.3〕
  • 山田雄績 寺尾忠勝『砂防と治水 <第37号>』全国治水砂防協会、1982年6月
  • 坂下泰幸 関西の公共事業・土木遺産探訪 第1集 北斗書房 2013.9

関連項目

外部リンク