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2019年10月1日 (火) 12:49時点における版

くりむら さとる
栗村 智
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 広島県
生年月日 (1953-08-23) 1953年8月23日(70歳)
血液型 A型
最終学歴 中央大学法学部卒業
職歴 ニッポン放送スポーツ部→フジテレビ編制制作局アナウンス室→制作部アナウンサールーム→ニッポン放送スポーツ部
活動期間 1977年 -
ジャンル スポーツ実況
公式サイト オフィス栗好み
出演番組・活動
出演経歴 #過去の出演番組を参照

栗村 智(くりむら さとる、1953年8月23日 - )は、広島県広島市出身のアナウンサー血液型はA型[1]

来歴

  • 広島学院高等学校中央大学法学部法律学科卒[1]
  • 1977年ニッポン放送入社[1](同期は塚越孝)。
  • 初めて担当した全国放送のプロ野球中継は、1981年ヤクルト - 広島[1]
  • ニッポン放送再編により2006年4月3日付で、ニッポン放送スポーツ部からフジテレビに転籍。
  • 同年7月に、ニッポン放送に再転籍。制作部アナウンサーとして所属し、スポーツ中継から離れていたが、2012年度のナイターシーズンよりスポーツ中継に復帰。
    • 栗村は、2013年9月25日付けの自らのブログ[2]で、「体調不安でスポーツ中継から離れたが、スポーツの現場の迫力や興奮が忘れられずスポーツ中継に復帰した」と述べている
  • 2013年8月31日付でニッポン放送を定年[2]となり、嘱託社員アナウンサーになった。その5年後には嘱託契約が満了し、フリーアナウンサーになった。

エピソード

  • 2006年3月腎臓を患い、以降人工透析を受けている。現在は週3回の透析の合間をぬってラジオ出演を続けている。2014年4月上旬には脳出血を患ったが症状は軽く、5月上旬に職場復帰した。
  • カープファンである。1975年のカープ初優勝時の実況中継で、NHKアナウンサーの鈴木文弥の「広島カープに過去は有りません。現在あるのみです」のアナウンスに感動したという[1]
  • 趣味が寄席鑑賞。落語への造詣が深く、空いた時間に都内の寄席に出向いては落語を楽しんでおり、ニッポン放送のリスナー感謝イベントである『ラジオパーク』では自ら落語を披露するほどの落語好きである。だが、3代目古今亭志ん朝が死去して以降は2004年まで寄席通いをやめていた。
  • 高校2年の時に上京して5代目柳家小さんに弟子入りを志願するが、小さん本人から「あんちゃん、学校だけは卒業しな。」と諭され断念しており、栗村本人も「もしアナウンサーになっていなかったら?」の問いに対して、「5代目柳家小さん師匠に入門して噺家になっていただろう。」と答えている[1]
  • 中央大学では落語研究会に所属し、あたり家 大穴(9代目…11代目はテレビ朝日アナウンサーの小木逸平)という高座名を名乗っていた。大学3年生の時に六大学落研対抗戦で優秀賞を受賞した[1]
  • 2017年JRA最優秀障害馬の投票でGI 2勝のオジュウチョウサンがいるにもかかわらず、ただ一人「該当馬なし」に一票を投じた[3]

担当番組

過去の担当番組

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脚注

外部リンク