コンテンツにスキップ

「岡崎潤司」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: リクルートをパイプリンクにする - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: Template:基礎情報 アナウンサーの引数変更 - log
21行目: 21行目:
|ジャンル=
|ジャンル=
|配偶者=
|配偶者=
|家族=
|著名な家族=
|公式サイト=
|公式サイト=
|現在の出演番組= <!--代表的なもののみ-->
|現在の出演番組= <!--代表的なもののみ-->

2019年10月1日 (火) 14:53時点における版

おかざき じゅんじ
岡崎 潤司
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 北海道余市町
生年月日 (1962-02-24) 1962年2月24日(62歳)
血液型 B型
最終学歴 早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業
勤務局 TBSホールディングス
部署 経営企画局
職歴 アナウンス部→広報部(1996年頃)→TBSテレビ編成局アナウンス部(デスク→部次長)→グループ企業部担当部長
活動期間 1986年 - 2017年
担当番組・活動

岡崎 潤司(おかざき じゅんじ、1962年2月24日 - )は、日本のアナウンサーTBSホールディングス経営企画局グループ企業部担当部長。

北海道余市町出身。実家は米穀店。小樽潮陵高等学校早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。

来歴・人物

大学時代、高校教員採用試験にも合格していたが[1]、卒業後1986年4月にTBSにアナウンサー22期生として入社(同期には岡田泰典武方直己戸崎貴広[2][3]。入社から約10年間はアナウンサーとして活躍。森本毅郎時代の『モーニングEye』では、マッハ文朱とのコンビで出演していたこともあった[1]

1996年2月に業務部に異動。同月9日23時55分のラジオニュースがアナウンサーとして最後の出演となり、前番組(YO!HO!)のエンディングで後輩の小林豊から感謝とねぎらいを受けての登場となった。

2017年頃からTBSテレビ編成局アナウンス部次長から異動になった。

エピソード

出演番組

テレビ

ラジオ

  • 岡崎潤司のハリキリらじお(1987年)[4][5]
  • これからアクション(1987年)[5]
  • もってけナイト 〜100万円クイズジャーナル〜(1991年)[4][5]
  • TBSラジオ・どん!(1992年)[4][5]
  • ヤンアナジョッキー(1992年)[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 月刊ラジオパラダイス 1987年11月号「お答えしませう」コーナーより。
  2. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"1986.4<22期生> 4人入社(男4) 岡崎潤司 岡田泰典 武方直己 戸崎貴広"。 
  3. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月。"86.4 <22期生>4人入社 岡崎 潤司 岡田 泰典 武方 直己 戸崎 貴広"。 
  4. ^ a b c d e f 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"岡崎潤司 R「岡崎潤司のハリキリらじお」「もってけナイト」「TBSラジオどん」 TV「週刊有線ベストヒット(1987)」「ビッグモーニング」「親どき子どき」"。 
  5. ^ a b c d e f g h i 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月。"岡崎 潤司… R「岡崎潤司のハリキリらじお(87)」「これからアクション(87)」「もってけナイト(91)」「TBSラジオどん!(92)」「ヤンアナジョッキー(92)」 TV「週刊有線ベストヒット(87)」「ホットチャート有線(90)」「ビッグモーニング(92)」「親どき子どき(93)」"。 

参考文献

外部リンク