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チャージャーズのヘッドコーチだった[[ボビー・ロス (アメリカンフットボール)|ボビー・ロス]]によるとランナーとしてだけでなく、パスプロテクションにも優れており良いレシーバーと評価されている<ref name="freelibrary"/>。
チャージャーズのヘッドコーチだった[[ボビー・ロス (アメリカンフットボール)|ボビー・ロス]]によるとランナーとしてだけでなく、パスプロテクションにも優れており良いレシーバーと評価されている<ref name="freelibrary"/>。

2019年10月30日 (水) 12:07時点における版

レナード・ラッセル
Leonard Russell
基本情報
ポジション ランニングバック
生年月日 (1969-11-17) 1969年11月17日(54歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ
身長: 6' 2" =約188cm
体重: 240 lb =約108.9kg
経歴
大学 アリゾナ州立大学
NFLドラフト 1991年 - 1巡目全体14位
初出場年 1991年
初出場チーム ニューイングランド・ペイトリオッツ
所属歴

受賞歴・記録

NFL 通算成績
ラッシング獲得ヤード 3,973ヤード
ラッシングTD 29回
レシービング回数 122回
レシービング獲得ヤード 846ヤード
出場試合数 85
先発出場試合数 71
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

レナード・ラッセル(Leonard Russell 1969年11月17日- )はカリフォルニア州ロングビーチ出身の元アメリカンフットボール選手。現役時代のポジションはランニングバック

アリゾナ州立大学から1991年のNFLドラフト1巡目全体14番目にニューイングランド・ペイトリオッツに指名されて入団した。1991年には全16試合に出場し959ヤードを走り4タッチダウンをあげてAP通信が選ぶオフェンシブルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いたが2年目の1992年には11試合出場390ヤードに終わった。1993年のシーズン開幕前にボストンナイトクラブで刺される事件もあったが[1]、再び全16試合に出場し1088ヤードを走り7タッチダウンをあげたがNFLへのフリーエージェント制度導入に伴い、彼の代理人はペイトリオッツ以外のチームとの契約を目指したがなかなか興味を持つチームは現れなかった。あるゼネラルマネージャーは彼は良いランニングバックだがもっとヤードを稼げる場面でもプレーを終える場面が多く見られたため我々は彼の獲得に興味はないと言われた[2]

デンバー・ブロンコスと契約した彼は14試合でチームトップの620ヤードを走りAFC5位タイの9タッチダウンをあげたが首の負傷のため最後の2試合は起用されなかった[1]。1995年セントルイス・ラムズでは最初に2試合で1プレーあたり5.4ヤードを稼いだがホールドアウトしていたエースRBのジェローム・ベティスが復帰すると出番が減り、13試合に出場したもののキャリア最低の203ヤードしか走れなかった[1]。シーズン中彼はラムズにトレードに出してもらうよう訴えたが聞き入れられずシーズン終了と共にクビになった[1]。1996年にサンディエゴ・チャージャーズのGM、ボビー・ベサードは5年キャリアのある選手としては最低年俸にあたる275,000ドル及びインセンティブつき契約で彼を獲得した[1]。彼はネイトロン・ミーンズジャクソンビル・ジャガーズに去り、ロドニー・カルバーバリュージェット航空592便墜落事故で失った[1]チームの先発RBとなった[3]がそのシーズンでNFLでのキャリアを終えた。

チャージャーズのヘッドコーチだったボビー・ロスによるとランナーとしてだけでなく、パスプロテクションにも優れており良いレシーバーと評価されている[1]

脚注

外部リンク

先代
エミット・スミス
AP NFLオフェンシブルーキー・オブ・ザ・イヤー
1991年
次代
カール・ピケンズ
先代
ジョン・スティーブンス
ニューイングランド・ペイトリオッツ先発RB
1991年
次代
ジョン・ボーン
先代
ジョン・ボーン
ニューイングランド・ペイトリオッツ先発RB
1993年
次代
マリオン・バッツ
先代
ロッド・バーンスタイン
デンバー・ブロンコス先発RB
1994
次代
テレル・デービス
先代
ネイトロン・ミーンズ
サンディエゴ・チャージャーズ先発RB
1996年
次代
ゲイリー・ブラウン
先代
クリス・シングレトン
レイ・アグニュー
ニューイングランド・ペイトリオッツドラフト1巡指名
1991年
パット・ハーロー
次代
ユージン・チャン