「アラスカ購入」の版間の差分
12行目: | 12行目: | ||
== 購入の影響 == |
== 購入の影響 == |
||
[[ファイル:Alaska Purchase (hi-res).jpg|thumb|アラスカ購入に使用された額面720万USドルの小切手{{Inflation-fn|US|df=yes|r=0}}]] |
[[ファイル:Alaska Purchase (hi-res).jpg|thumb|アラスカ購入に使用された額面720万USドルの小切手{{Inflation-fn|US|df=yes|r=0}}]] |
||
この条約は[[4月9日]]に[[アメリカ合衆国上院]]で批准されたものの、当初スワードは「巨大な保冷庫を購入した」などとアメリカ国民に非難された<ref>{{cite journal|url=http://www.jstor.org/stable/3001132|last=Welch|first=Richard E|title=American Public Opinion and the Purchase of Russian America|woark=American Slavic and East European Review|year=1958|volume=17|number=4|pages=481-494| |
この条約は[[4月9日]]に[[アメリカ合衆国上院]]で批准されたものの、当初スワードは「巨大な保冷庫を購入した」などとアメリカ国民に非難された<ref>{{cite journal|url=http://www.jstor.org/stable/3001132|last=Welch|first=Richard E|title=American Public Opinion and the Purchase of Russian America|woark=American Slavic and East European Review|year=1958|volume=17|number=4|pages=481-494|doi=10.2307/3001132|access-date=2016-10-19}}</ref><ref>{{cite journal|last=Kushner|first=Howard I|title=Seward's Folly'?: American Commerce in Russian America and the Alaska Purchase|work=California Historical Quarterly|year=1975|volume=54|number= 1 (Spring)|publisher=University of California Press |page=26|url= http://www.jstor.org/stable/25157541|access-date=2016-10-19}}</ref>。 |
||
しかし、1896年にはアラスカで[[金鉱]]が発見されるなど資源の宝庫であることが判明した他、軍事上においてもアラスカの位置が[[ベーリング海峡]]や[[北極海]]を挟んでロシアと直接国境を接することから、特にソ連との間で発生した[[冷戦]]期には極めて重要な役割を果たすなど、スワードのアラスカ購入に関する評価は上がっている<ref>{{cite web|url=http://www.thecanadianencyclopedia.ca/en/article/british-columbia-and-confederation/|title=British Columbia and Confederation|series=The Canadian Encyclopedia|publisher=Historica Canada|date=2014-12-19|accessdate=2016-10-19}}</ref>。 |
しかし、1896年にはアラスカで[[金鉱]]が発見されるなど資源の宝庫であることが判明した他、軍事上においてもアラスカの位置が[[ベーリング海峡]]や[[北極海]]を挟んでロシアと直接国境を接することから、特にソ連との間で発生した[[冷戦]]期には極めて重要な役割を果たすなど、スワードのアラスカ購入に関する評価は上がっている<ref>{{cite web|url=http://www.thecanadianencyclopedia.ca/en/article/british-columbia-and-confederation/|title=British Columbia and Confederation|series=The Canadian Encyclopedia|publisher=Historica Canada|date=2014-12-19|accessdate=2016-10-19}}</ref>。 |
2020年1月25日 (土) 07:28時点における版
![]() |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/29/Czar%27s_Ratification_of_the_Alaska_Purchase_Treaty_-_NARA_-_299810.pdf/page1-220px-Czar%27s_Ratification_of_the_Alaska_Purchase_Treaty_-_NARA_-_299810.pdf.jpg)
アラスカ購入(アラスカこうにゅう、英語: Alaska Purchase)またはアラスカの売却(ロシア語: продажа Аляски)とは、1867年にアメリカ合衆国とロシア帝国の両政府間で行われた取引であり、その結果としてロシアの植民地であったアラスカ(ロシア領アメリカ)をアメリカ合衆国が買い取ることになった。
購入への経緯
ロシア人は18世紀末から、毛皮獣の狩猟や交易のため露米会社を設立し北米大陸太平洋岸一帯に進出しており、一部はカリフォルニア州にまで達していた。その後1853年から1856年にかけてのクリミア戦争により、大打撃を被って経済的に疲弊し、また、毛皮獣の枯渇が進み、アラスカの植民地経営が行き詰まるようになった。そのため、ロシアはアラスカを売却することにしたが、クリミア戦争でも敵対したイギリスに売却することを避け、アメリカ合衆国を取引の相手に選んだ。
ロシアは1859年にアメリカに売却意向を打診していたが、南北戦争の影響もありその時点での進展はなかった。1867年3月、ロシア皇帝アレクサンドル2世は在米外交官 Eduard de Stoeckl に命じ、国務長官ウィリアム・H・スワードと交渉を行わせた。
その結果3月30日午前4時にアメリカがアラスカをロシアから購入する条約が調印された[1]。購入価格は720万USドル(2016年現在の貨幣価値で1億2300万ドル[2]。1871年 円-USドルの為替が開始した時の相場は1ドル1円)で、面積単価は約2セント/エーカー(1エーカー=約4047平方メートル)だった。
購入の影響
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/20/Alaska_Purchase_%28hi-res%29.jpg/220px-Alaska_Purchase_%28hi-res%29.jpg)
この条約は4月9日にアメリカ合衆国上院で批准されたものの、当初スワードは「巨大な保冷庫を購入した」などとアメリカ国民に非難された[3][4]。
しかし、1896年にはアラスカで金鉱が発見されるなど資源の宝庫であることが判明した他、軍事上においてもアラスカの位置がベーリング海峡や北極海を挟んでロシアと直接国境を接することから、特にソ連との間で発生した冷戦期には極めて重要な役割を果たすなど、スワードのアラスカ購入に関する評価は上がっている[5]。
現在アラスカ州ではアラスカ購入に関して2つの記念日が設けられている。1つは10月18日で、アラスカのフォートシトカで領土移譲式が執り行われ、アラスカが名実ともにアメリカ領になった1867年10月18日に基づく。もう1つはそのおよそ半年前、ロシアとアメリカ購入の条約調印にのぞんだ国務長官を記念するスワード・デーである。日付は条約調印が行われた1867年3月30日にちなみ、3月の最終月曜日に制定されている。
一方、アラスカを放棄したロシア帝国は、毛皮の代わりに綿織物の材料となる綿花に注目した。そのため、ロシアは、関心をアラスカから中央アジアに向けた。その結果、ロシアは、東トルキスタン(新疆)への支配を強めつつあった中国(清朝)と、中央アジアで衝突を起こすことになった。
関連項目
脚注
- ^ Gibson, James R. “The Sale of Russian America to the United States”. Acta Slavica Iaponica (Collegivm Slavicvm Academiae Hokkaido) 1: 22 2016年10月19日閲覧。.
- ^ a b Federal Reserve Bank of Minneapolis Community Development Project. "Consumer Price Index (estimate) 1800–" (英語). Federal Reserve Bank of Minneapolis. 2019年1月2日閲覧。
- ^ Welch, Richard E (1958). American Public Opinion and the Purchase of Russian America. 17. pp. 481-494. doi:10.2307/3001132 2016年10月19日閲覧。.
- ^ Kushner, Howard I (1975). “Seward's Folly'?: American Commerce in Russian America and the Alaska Purchase”. California Historical Quarterly (University of California Press) 54 (1 (Spring)): 26 2016年10月19日閲覧。.
- ^ “British Columbia and Confederation”. Historica Canada (2014年12月19日). 2016年10月19日閲覧。