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「ルイス・フィーザー」の版間の差分

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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[オハイオ州]][[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]に生まれる。1920年に[[ウィリアムズ大学]]で学士号を取得し、1924年に[[ハーバード大学]]の[[ジェームズ・コナント]]の下で[[博士|博士号]]を取得した。博士論文はキノンの[[酸化還元電位]]に関するものであった<ref name="Lenoir">{{cite journal|author=Lenoir, D.; Tidwell, T. T.|title=Louis Fieser: An Organic Chemist in Peace and War|year=2008|journal=Eur. J. Org. Chem.| volume=2008|pages=pp. 481-491|DOI=10.1002/ejoc.200800969}}</ref>。1924年から1925年まで[[博士研究員]]として、イギリス・[[オックスフォード大学]]の[[ウィリアム・パーキン・ジュニア]]と、またドイツ・[[ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト大学]]で[[ユリウス・フォン・ブラウン]]と共に研究を行った。1925年から1930年まで[[ブリンマー大学]]で働き、後に妻となるマリーとここで出会った。その後ハーバード大学へと戻り助教授となった。
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フィーザーは1939年ごろビタミンKの構造決定競争に加わっており、年末には合成の達成を報告していた<ref>{{cite journal|author=Fieser, L. F.|title=Synthesis of Vitamin K<sub>1</sub>|journal=[[アメリカ化学会誌|J. Am. Chem. Soc.]]|year=1939|volume=61|pages=pp. 3467-3475|doi=10.1021/ja01267a072}}</ref>。フィーザーの追悼記事によれば、受賞者なしとされていた1941年および1942年の[[ノーベル生理学・医学賞]]の候補者であったという<ref name="Lenoir" />。しかしながら、他の研究者が1943年にビタミンK発見者としてノーベル賞を受けている。
フィーザーは1939年ごろビタミンKの構造決定競争に加わっており、年末には合成の達成を報告していた<ref>{{cite journal|author=Fieser, L. F.|title=Synthesis of Vitamin K<sub>1</sub>|journal=[[アメリカ化学会誌|J. Am. Chem. Soc.]]|year=1939|volume=61|pages=pp. 3467-3475|doi=10.1021/ja01267a072}}</ref>。フィーザーの追悼記事によれば、受賞者なしとされていた1941年および1942年の[[ノーベル生理学・医学賞]]の候補者であったという<ref name="Lenoir" />。しかしながら、他の研究者が1943年にビタミンK発見者としてノーベル賞を受けている。

2020年1月25日 (土) 12:28時点における版

1965年の写真

ルイス・フレデリック・フィーザー(Louis Frederick Fieser, 1899年4月7日 - 1977年7月25日)はアメリカ合衆国有機化学者。1943年にナパームを発明・実用化した。ビタミンKの初合成をはじめとする血液凝固因子の研究、抗マラリア薬としてのキノン類の合成・探索、のちにコルチゾンの化学合成達成に繋がるステロイド類に関する研究、多環芳香族炭化水素の性質に関する研究を行った。

経歴

オハイオ州コロンバスに生まれる。1920年にウィリアムズ大学で学士号を取得し、1924年にハーバード大学ジェームズ・コナントの下で博士号を取得した。博士論文はキノンの酸化還元電位に関するものであった[1]。1924年から1925年まで博士研究員として、イギリス・オックスフォード大学ウィリアム・パーキン・ジュニアと、またドイツ・フランクフルト大学ユリウス・フォン・ブラウンと共に研究を行った。1925年から1930年までブリンマー大学で働き、後に妻となるマリーとここで出会った。その後ハーバード大学へと戻り助教授となった。

フィーザーは1939年ごろビタミンKの構造決定競争に加わっており、年末には合成の達成を報告していた[2]。フィーザーの追悼記事によれば、受賞者なしとされていた1941年および1942年のノーベル生理学・医学賞の候補者であったという[1]。しかしながら、他の研究者が1943年にビタミンK発見者としてノーベル賞を受けている。

1962年、アメリカ合衆国公衆衛生局長官の諮問委員会に加わり、同委員会は1964年に喫煙と健康の関連性についての報告書を出版した。フィーザーはチェーン・スモーカーであったが、1965年に肺がんであると診断され、回復してからは喫煙の習慣をやめ、同委員会の提出した結論の啓蒙に努めた。1968年にハーバード大学の名誉教授となった。

活動

妻であり助手であったマリー・フィーザーと共に8冊の本、および「フィーザー・アンド・フィーザー」として知られる有機化学における叢書 Reagents for Organic Synthesis(有機合成試薬)の第7巻までを著した。Organic Syntheses(有機合成)の編集者・寄稿者でもあった。

フィーザーの名を冠する試薬は2つある。「フィーザー試薬」は酸化クロム(IV)酢酸溶液であり、有機化合物の酸化に使われる。「フィーザー溶液」は水酸化カリウムチオ硫酸ナトリウムアントラキノン-2-スルホン酸ナトリウムの水溶液で、気流中の酸素の除去に用いられる[3]

1942年7月4日に、ハーバード大学のサッカー場で最初のナパーム弾実験を行っており、ナパームの開発を主導していた[4]。また第二次世界大戦中に、コウモリにナパームを付けた爆弾を使って、日本を攻撃する計画「プロジェクト・Xレイ」があり、フィーザーはこれに参加していた。ダウ・ケミカルは、フィーザーの開発した配合に基づいて、コウモリ爆弾用のナパームを製造したが、コウモリの制御は困難であり、テスト中に何匹かが逃げ出してアメリカ空軍基地に火災を発生させた。

このような事件があったが、兵器としてナパーム弾の使用が問題となったのは、ベトナム戦争の時であった。フィーザーは「ナパームの開発者として、責任を感じることはない」と述べた[5]

出典

  1. ^ a b Lenoir, D.; Tidwell, T. T. (2008). “Louis Fieser: An Organic Chemist in Peace and War”. Eur. J. Org. Chem. 2008: pp. 481-491. doi:10.1002/ejoc.200800969. 
  2. ^ Fieser, L. F. (1939). “Synthesis of Vitamin K1”. J. Am. Chem. Soc. 61: pp. 3467-3475. doi:10.1021/ja01267a072. 
  3. ^ Fieser, L. F. (1924). “A New Absorbent for Oxygen in Gas Analysis”. J. Am. Chem. Soc. 46: pp. 2639–2647. doi:10.1021/ja01677a005. 
  4. ^ ナパーム空爆史 日本人をもっとも多く殺した兵器 ロバート・M・ニーア著 ISBN 978-4-7783-1506-1
  5. ^ Time』1968年1月5日号。

参考文献

  • Gates, M. Biographical Memoirs of the National Academy of Science 1994, vol. 65, pp. 161–175.
  • "Steroids", Scientific American, January 1955, Vol.192, No.1, pp.52–60.

関連項目