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「J-3100シリーズ」の版間の差分

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== 歴史 ==
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[[1989年]]、A4判サイズ・低価格を売りに'''J-3100SS DynaBook'''を発売。外回りの営業マン、ワープロユーザー、まだパソコンを所有していない個人ユーザーまでをターゲットに開発された。3kg未満、A4サイズ、FDD内蔵というスペックもさることながら、20万円を切る価格は話題となり大ヒットした<ref name=":0" />。後継の小型ノートパソコンはJ-3100の型番を継承しつつも、'''[[ダイナブック (東芝)|DynaBook]]'''ブランドとしてシリーズ化された<ref>『日経産業新聞』 1990年3月14日、29面。</ref>。[[1991年]]にはデスクトップモデルがJ-3100型番で投入された<ref>『日経産業新聞』 1991年1月25日、7面。</ref>。同年10月にVGAを搭載した'''DynaBook Vシリーズ'''および[[OADG]]に準拠した[[DOS/V]]が発表されると<ref>戸塚正康『日本IBMのパソコン新戦略 DOS/Vの衝撃波』、日本工業新聞社、1991年、173頁。</ref>、主力は[[DOS/V機]]に移行し、J-3100アーキテクチャーは終息に向かった。
[[1989年]]、A4判サイズ・低価格を売りに'''J-3100SS DynaBook'''を発売。外回りの営業マン、ワープロユーザー、まだパソコンを所有していない個人ユーザーまでをターゲットに開発された。3kg未満、A4サイズ、FDD内蔵というスペックもさることながら、20万円を切る価格は話題となり大ヒットした<ref name=":0" />。後継の小型ノートパソコンはJ-3100の型番を継承しつつも、'''[[ダイナブック (東芝)|DynaBook]]'''ブランドとしてシリーズ化された<ref>『日経産業新聞』 1990年3月14日、29面。</ref>。[[1991年]]にはデスクトップモデルがJ-3100型番で投入された<ref>『日経産業新聞』 1991年1月25日、7面。</ref>。同年10月にVGAを搭載した'''DynaBook Vシリーズ'''および[[OADG]]に準拠した[[DOS/V]]が発表されると<ref>戸塚正康『日本IBMのパソコン新戦略 DOS/Vの衝撃波』、日本工業新聞社、1991年、173頁。</ref>、主力は[[DOS/V機]]に移行し、J-3100アーキテクチャーは終息に向かった。

2020年1月25日 (土) 15:51時点における版

東芝 J-3100シリーズ
J-3100GT(1987年)
製造元 東芝
種別 ラップトップ
発売日 1986年10月 (37年前) (1986-10)[1]
標準価格 ¥498,000 (J-3100B11)
¥698,000 (J-3100B12)[1]
OS MS-DOSWindows
前世代ハード パソピア
次世代ハード ダイナブック
関連商品 T3100
J-3100SS(1989年)

J-3100シリーズ(ジェイサンゼンヒャクシリーズ)は、1986年東芝(現・Dynabook)が販売を開始したビジネス向けパーソナルコンピューター(パソコン)のシリーズ名である。

シリーズ共通の特徴として、PC/AT互換機でありながら日本語の表示を可能にする独自仕様のハードウェアを搭載し、対応するオペレーティングシステムおよびソフトウェアとの組み合わせで日本語を扱えるようにしている。当初はラップトップパソコンのJ-3100シリーズ、デスクトップパソコンのJ-3300シリーズとして展開されたが、後にJ-3100型番に統一された。1991年の東芝版DOS/Vの発表をきっかけに徐々にDOS/V機に移行し、J-3100アーキテクチャーは終息に向かった。

歴史

1986年に発売された初代機のJ-3100B11/B12は、同年に米国で発売されたPC/AT互換機 T3100 をベースに日本語処理機能を追加[2]。英語モードはPC/AT互換+CGA互換グラフィック、日本語モードは640x400ドットのグラフィック画面と漢字ROMを使ってソフトウェアで日本語を表示した。標準では日本語モード用の日本語MS-DOSが付属し、PC/AT互換の英語モードで使うには別売の英語版MS-DOSが必要であった。PC/AT互換を大きくアピールしたにもかかわらず、実際にはJ-3100ユーザーの中で英語版MS-DOSを購入したユーザーは1割しかいなかった[3]。しかしながら、その高性能とコンパクトさが企業を中心に魅力を集め、1988年までの2年間にシリーズ累計で7万台を販売[4]。ラップトップという新たなジャンルを確立した。

1989年、A4判サイズ・低価格を売りにJ-3100SS DynaBookを発売。外回りの営業マン、ワープロユーザー、まだパソコンを所有していない個人ユーザーまでをターゲットに開発された。3kg未満、A4サイズ、FDD内蔵というスペックもさることながら、20万円を切る価格は話題となり大ヒットした[3]。後継の小型ノートパソコンはJ-3100の型番を継承しつつも、DynaBookブランドとしてシリーズ化された[5]1991年にはデスクトップモデルがJ-3100型番で投入された[6]。同年10月にVGAを搭載したDynaBook VシリーズおよびOADGに準拠したDOS/Vが発表されると[7]、主力はDOS/V機に移行し、J-3100アーキテクチャーは終息に向かった。

代表的なモデル

J-3100B11/B12 1986年10月13日発表、11月出荷
シリーズ初代機。80286 8MHz、RAM 640KB+2MB搭載。B11モデルは3.5インチ2DD FDDx2、B12モデルは3.5インチ2DD FDDおよび3.5インチ10MB HDDを内蔵。640x400ドットプラズマディスプレイ(モノクロ)を搭載。外部カラーディスプレイを接続可能(英語モードのみ)。オプションの外部拡張スロットは8ビット(PC/XT互換)スロットx5。重量はB11モデルが6.6kg、B12モデルが6.8kg。
J-3100SS DynaBook 1989年6月26日発表、7月24日出荷
「A4ファイルサイズ」のノートパソコン。80C86 10MHz、RAM 640KB+896KB、3.5インチ2HD(1.2MB) FDDx1、640×400ドットELバックライト液晶ディスプレイ(モノクロSTN)搭載。バッテリ2.5時間駆動。サイズはW310×D254×H44mm、重量は2.7kg[8]。FDDを内蔵しながらA4判サイズというコンパクトさ、198,000円という低価格が話題になり、1990年6月末までに累計17万台を販売した[9]

脚注

  1. ^ a b 東芝 (1986). “携帯が可能な高機能パーソナルワークステーションの発売について”. 情報科学 (情報科学研究所) 1986-11: 162. ISSN 03683354. 
  2. ^ 「新機種緊急レポート」『月刊アスキー』 1986年12月号、140 - 141頁。
  3. ^ a b 小林紀興「東芝の奇襲で日本電気が受けた深傷」、光文社、1990年、128頁。
  4. ^ “戦略研究パソコン・ビジネス―東芝”. 日経パソコン (日経マグロウヒル): 174-191. (1988-12-26). ISSN 02879506. 
  5. ^ 『日経産業新聞』 1990年3月14日、29面。
  6. ^ 『日経産業新聞』 1991年1月25日、7面。
  7. ^ 戸塚正康『日本IBMのパソコン新戦略 DOS/Vの衝撃波』、日本工業新聞社、1991年、173頁。
  8. ^ “あの日あの時あのコンピュータ(4) 理想のコンピュータを目指して - 東芝「DynaBook J-3100SS」” (日本語). マイナビニュース. https://news.mynavi.jp/article/history-4/ 2018年5月23日閲覧。 
  9. ^ 『日本経済新聞』 1990年7月31日朝刊、23面。

参考文献

  • 「ASCII EXPRESS:東芝とエプソンがノートサイズのラップトップマシンを開発」『月刊アスキー』 1989年8月号、242 - 243頁。

関連項目

外部リンク