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「和田倉橋」の版間の差分

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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
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* {{Cite book |和書 |author=松村博 |title=【論考】江戸の橋 制度と技術の歴史的変遷 |date=2007-07-20 |publisher=鹿島出版会 |ISBN=978-4-306-09387-4 |ref=harv}}
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2020年1月25日 (土) 18:17時点における版

和田倉橋
和田倉橋 風景
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都千代田区
着工 1953年12月
竣工 1955年1月
座標 北緯35度41分00.8秒 東経139度45分42.7秒 / 北緯35.683556度 東経139.761861度 / 35.683556; 139.761861座標: 北緯35度41分00.8秒 東経139度45分42.7秒 / 北緯35.683556度 東経139.761861度 / 35.683556; 139.761861
構造諸元
全長 44.6 m
7.5 m
地図
和田倉橋の位置(東京都区部内)
和田倉橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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和田倉橋(わだくらばし)とは、東京都千代田区にある、江戸城跡の内郭門のひとつである和田倉門に架かっていた

概要

明暦の大火により多くの橋が消滅し、江戸城下町計画は大きく変わった。和田倉橋は江戸警護の一環。和田倉門の警護の目的で造られた。全長44.6メートル (m)、幅7.5 mで、1590年頃に和田倉門橋が完成。明暦の大火を経て1661年に和田倉門と二代目和田倉門橋が建造された。1923年関東大震災により橋が落ち、1953年に三代目の和田倉橋が建造された。

歴史

脚注

参考文献

  • 東京今昔研究会(編著)『東京今昔橋めぐり』ミリオン出版、2013年1月24日。ISBN 978-4-8130-2205-3 
  • 「宮城和田倉橋工事」『土木技術』、土木技術社、1955年3月、ISSN 02855046 
  • 酒井茂之『江戸・東京 橋ものがたり』明治書院、2011年4月20日。ISBN 978-4-625-68464-7 
  • 松村博『【論考】江戸の橋 制度と技術の歴史的変遷』鹿島出版会、2007年7月20日。ISBN 978-4-306-09387-4 

外部リンク