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「1981年7月31日の日食」の版間の差分

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== 観測 ==
== 観測 ==
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== 脚注 ==
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2020年1月25日 (土) 18:31時点における版

1981年7月31日の日食は、1981年7月31日に観測された日食である。ソ連で皆既日食が観測され、アジアの大部分、ヨーロッパ北東部及び周辺の一部で部分日食が観測された[1]

通過した地域

皆既帯が通過した、皆既日食が見えた地域は黒海北東部、ユーラシア大陸、北太平洋で、そのうち陸地は全てソ連の領土だった。詳細は現在のジョージア北西部、ロシアヨーロッパ部分南部、カザフスタン、ロシアのシベリア南部だった[2][3]

また、皆既日食が見えなくても、部分日食が見えた地域はノルウェースウェーデンフィンランドデンマーク北部と東部、中央ヨーロッパ東部、ルーマニアのほとんど(南西部を除く)、ブルガリア中東部、ギリシャ北東端の小さい部分、西アジアのほとんど(トルコ西部沿岸、アラビア半島南西部を除く)、南アジア中北部、東アジアのほとんど(中国雲南省南部、南シナ海沿岸を除く)、ビルマ(現在通称ミャンマー)の北半分、ソ連全国、デンマーク領グリーンランド中北部、カナダの北西半分、アメリカのアラスカ州ミクロネシア北部、北西ハワイ諸島。そのうちヨーロッパとアジアではだいたい7月31日に日食が見え、北アメリカではだいたい7月30日に見え、白夜のあるグリーンランドの一部などでは深夜0時をまたいで7月30日から7月31日まで見えた[1][4]

観測

アメリカ大気研究センター高地天文台英語版アメリカ海軍研究所英語版のE・O・ハルバート宇宙研究センター、現在のロシア科学アカデミーの前身であるソ連科学アカデミーなどの科学者はこの皆既日食を機に上層コロナの研究をした。アメリカとソ連の合同観測隊はソ連イルクーツク州ブラーツクで皆既日食を観測した。科学者はコロナグラフの観測結果、ブラーツクで撮影されたコロナの映像、P78-1衛星に搭載されたソルウィンド英語版の観測結果により、コロナの3D構造について研究した[5]

脚注

  1. ^ a b Fred Espenak. “Total Solar Eclipse of 1981 Jul 31”. NASA Eclipse Web Site. 2016年3月5日閲覧。
  2. ^ Fred Espenak. “Total Solar Eclipse of 1981 Jul 31 - Google Maps and Solar Eclipse Paths”. NASA Eclipse Web Site. 2016年3月5日閲覧。
  3. ^ Xavier M. Jubier. “Eclipse Totale de Soleil du 31 juillet 1981 - Cartographie Interactive Google (1981 July 31 Total Solar Eclipse - Interactive Google Map)”. 2016年3月5日閲覧。
  4. ^ Fred Espenak. “Catalog of Solar Eclipses (1901 to 2000)”. NASA Eclipse Web Site. 2016年3月5日閲覧。
  5. ^ R. R. Fisher, L. B. Lacey, K. A. Rock, E. A. Yasukawa, N. R. Sheeley Jr., D. J. Michels, R. A. Howard, M. J. Koomen, A. Bagrov (1983-03). “The Solar Corona on 31 July, 1981”. Solar Physics 83: 233-242. ISSN 0038-0938. http://articles.adsabs.harvard.edu/cgi-bin/nph-iarticle_query?1983SoPh...83..233F&data_type=PDF_HIGH&type=PRINTER&filetype=.pdf 2016年3月6日閲覧。.