「フランチェスコ・グイドリン」の版間の差分
Maruyaki kombu (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
|||
45行目: | 45行目: | ||
|監督年15=2007|監督チーム15={{Flagicon|ITA}} [[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]] |
|監督年15=2007|監督チーム15={{Flagicon|ITA}} [[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]] |
||
|監督年16=2007-2008|監督チーム16={{Flagicon|ITA}} [[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]] |
|監督年16=2007-2008|監督チーム16={{Flagicon|ITA}} [[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]] |
||
|監督年17=2008-2010|監督チーム17={{Flagicon|ITA}} [[ |
|監督年17=2008-2010|監督チーム17={{Flagicon|ITA}} [[パルマ・カルチョ1913|パルマ]] |
||
|監督年18=2010-2014|監督チーム18={{Flagicon|ITA}} [[ウディネーゼ・カルチョ|ウディネーゼ]] |
|監督年18=2010-2014|監督チーム18={{Flagicon|ITA}} [[ウディネーゼ・カルチョ|ウディネーゼ]] |
||
|監督年19=2016|監督チーム19={{Flagicon|WAL}} [[スウォンジー・シティAFC|スウォンジー]] |
|監督年19=2016|監督チーム19={{Flagicon|WAL}} [[スウォンジー・シティAFC|スウォンジー]] |
||
68行目: | 68行目: | ||
2006-07シーズンには再びパレルモの監督に就任。[[エウジェニオ・コリーニ]]と[[アマウリ・カルヴァーリョ・デ・オリヴェイラ|アマウリ]]を中核としてチームはまたも躍進するが、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権獲得を目指すザンパリーニはグイドリンを再び解任。成績が再び悪化するとまたもグイドリンを呼び戻した。2007-08シーズンにも、ザンパリーニは[[ステファノ・コラントゥオーノ]]監督を解任してグイドリンを呼び戻し、再び解任するなど、ザンパリーニ会長に振り回され続けた。 |
2006-07シーズンには再びパレルモの監督に就任。[[エウジェニオ・コリーニ]]と[[アマウリ・カルヴァーリョ・デ・オリヴェイラ|アマウリ]]を中核としてチームはまたも躍進するが、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権獲得を目指すザンパリーニはグイドリンを再び解任。成績が再び悪化するとまたもグイドリンを呼び戻した。2007-08シーズンにも、ザンパリーニは[[ステファノ・コラントゥオーノ]]監督を解任してグイドリンを呼び戻し、再び解任するなど、ザンパリーニ会長に振り回され続けた。 |
||
2008年9月末、セリエBの[[ |
2008年9月末、セリエBの[[パルマ・カルチョ1913|パルマ]]監督に就任。[[アルベルト・パロスキ]]、[[ダニエレ・ヴァンタッジャート]]らの活躍でセリエA昇格を達成した。2009-10シーズン、昇格1年目にして8位という好成績を残したものの、シーズン終了後に退団、ウディネーゼの監督に復帰した。就任1年目の2010-11シーズンから2年連続でチームを[[UEFAチャンピオンズリーグ]]予選プレーオフ出場に導き、2012-13シーズンも[[UEFAヨーロッパリーグ]]出場権を確保する成績を収めるなど、主力の流出が続くクラブにおいて好成績を残してきた。2013年7月18日に契約を2017年6月まで延長したものの、2013-14シーズンは苦しみ13位に終わると、シーズン終了後に退任することとなった<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20140521/191645.html ウディネーゼのグイドリン監督が退任「新たな冒険に出る」] - サッカーキング 2014年5月21日</ref>。 |
||
2016年1月18日、[[イングランド]]・[[プレミアリーグ]]の[[スウォンジー・シティAFC]]の監督に就任し<ref>[http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2016/01/20/19512942/スウォンジーの選手たちはグイドリン新監督を知らなかった-主将がグーグルで調べた スウォンジーの選手たちはグイドリン新監督を知らなかった 主将が「グーグルで調べた」] - Goal.com 2016年1月20日</ref>、同シーズンの降格回避に貢献。しかし翌2016-17シーズンは第7節終了時点で1勝1分5敗の17位と低迷し、2016年10月03日に解任された<ref>[https://jp.reuters.com/article/soccer-premier-league-idJPKCN12403I サッカー=スウォンジー、グイドリン監督の解任を発表] - ロイター通信 2016年10月4日</ref>。 |
2016年1月18日、[[イングランド]]・[[プレミアリーグ]]の[[スウォンジー・シティAFC]]の監督に就任し<ref>[http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2016/01/20/19512942/スウォンジーの選手たちはグイドリン新監督を知らなかった-主将がグーグルで調べた スウォンジーの選手たちはグイドリン新監督を知らなかった 主将が「グーグルで調べた」] - Goal.com 2016年1月20日</ref>、同シーズンの降格回避に貢献。しかし翌2016-17シーズンは第7節終了時点で1勝1分5敗の17位と低迷し、2016年10月03日に解任された<ref>[https://jp.reuters.com/article/soccer-premier-league-idJPKCN12403I サッカー=スウォンジー、グイドリン監督の解任を発表] - ロイター通信 2016年10月4日</ref>。 |
||
93行目: | 93行目: | ||
* {{flagicon|MON}} [[ASモナコ]] 2005-2006 |
* {{flagicon|MON}} [[ASモナコ]] 2005-2006 |
||
* {{flagicon|ITA}} [[USチッタ・ディ・パレルモ]] 2006-2007.4、2007.5-2007.6、2007.11-2008.3 |
* {{flagicon|ITA}} [[USチッタ・ディ・パレルモ]] 2006-2007.4、2007.5-2007.6、2007.11-2008.3 |
||
* {{flagicon|ITA}} [[ |
* {{flagicon|ITA}} [[パルマ・カルチョ1913|パルマFC]] 2008-2010 |
||
* {{flagicon|ITA}} [[ウディネーゼ・カルチョ]] 2010-2014 |
* {{flagicon|ITA}} [[ウディネーゼ・カルチョ]] 2010-2014 |
||
* {{flagicon|WAL}} [[スウォンジー・シティAFC]] 2016.1-2016.10 |
* {{flagicon|WAL}} [[スウォンジー・シティAFC]] 2016.1-2016.10 |
2020年2月4日 (火) 12:05時点における版
![]() |
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
| ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Francesco Guidolin | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1955年10月3日(68歳) | |||||
出身地 | カステルフランコ・ヴェーネト | |||||
ユース | ||||||
![]() | ||||||
1972-1975 |
![]() | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1975-1984 |
![]() | 102 | (14) | |||
1977-1978 |
→![]() | 35 | (3) | |||
1979-1980 |
→![]() | 35 | (5) | |||
1982-1983 |
→![]() | 24 | (1) | |||
1984-1986 |
![]() | 41 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
1976-1977 |
![]() | 5 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1986-1988 |
![]() | |||||
1988-1989 |
![]() | |||||
1989-1990 |
![]() | |||||
1990-1991 |
![]() | |||||
1991-1992 |
![]() | |||||
1992-1993 |
![]() | |||||
1993 |
![]() | |||||
1994-1998 |
![]() | |||||
1998-1999 |
![]() | |||||
1999-2003 |
![]() | |||||
2004-2005 |
![]() | |||||
2005 |
![]() | |||||
2005-2006 |
![]() | |||||
2006-2007 |
![]() | |||||
2007 |
![]() | |||||
2007-2008 |
![]() | |||||
2008-2010 |
![]() | |||||
2010-2014 |
![]() | |||||
2016 |
![]() | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランチェスコ・グイドリン(Francesco Guidolin、1955年10月3日 - )は、イタリア・カステルフランコ・ヴェーネト出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
経歴
1975年、エラス・ヴェローナFCでプロデビュー。その後は、サンベネデッテーゼ、ACピストイエーゼ、ボローニャFCといったチームへの移籍と、ヴェローナへの復帰を繰り返す。1986年に引退(当時はSSCヴェネツィア所属)。
現役を引退した1986年にジョルジョーネ・カルチョのユースチームの監督に就任。1988年には当時セリエC2に在籍していたジョルジョーネのトップチームの監督に就任する。
ヴィチェンツァ(1994-98)時代、戦力的に恵まれているとはいえないクラブでコッパ・イタリア優勝(1996-97)、UEFAカップウィナーズカップ準決勝進出の実績をあげ、「ミラクル・ヴィチェンツァ」と称された。
その後、ウディネーゼ・カルチョの監督を務め(1998-99)、UEFAカップ出場権を確保するが、オーナーとの確執で解任される。1999-2000シーズンにはボローニャFC監督に就任。2003年まで監督を務め、常に中位を確保する安定した成績を残した。
2004年にはセリエBのUSチッタ・ディ・パレルモに招聘されパレルモの監督に就任し、見事にパレルモを32年ぶりのセリエA昇格に導く。翌2004-05シーズン、優れたカウンター攻撃と戦術でチームを躍進させるが、ザンパリーニ会長から守備的な戦術と批判され、シーズン後解任の憂き目にあう。
その後、セリエBのジェノアCFCの監督に就任。ここではエンリコ・プレツィオージ会長の買収工作が発覚し、クラブは降格処分を受け、グイドリンは辞任を余儀なくされる。
2005年、ディディエ・デシャンが辞任したフランスのASモナコ監督に就任する。ここではデシャンの攻撃重視から守備重視へチームをシフトするも結果を残せず、10位に終わる。
2006-07シーズンには再びパレルモの監督に就任。エウジェニオ・コリーニとアマウリを中核としてチームはまたも躍進するが、UEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得を目指すザンパリーニはグイドリンを再び解任。成績が再び悪化するとまたもグイドリンを呼び戻した。2007-08シーズンにも、ザンパリーニはステファノ・コラントゥオーノ監督を解任してグイドリンを呼び戻し、再び解任するなど、ザンパリーニ会長に振り回され続けた。
2008年9月末、セリエBのパルマ監督に就任。アルベルト・パロスキ、ダニエレ・ヴァンタッジャートらの活躍でセリエA昇格を達成した。2009-10シーズン、昇格1年目にして8位という好成績を残したものの、シーズン終了後に退団、ウディネーゼの監督に復帰した。就任1年目の2010-11シーズンから2年連続でチームをUEFAチャンピオンズリーグ予選プレーオフ出場に導き、2012-13シーズンもUEFAヨーロッパリーグ出場権を確保する成績を収めるなど、主力の流出が続くクラブにおいて好成績を残してきた。2013年7月18日に契約を2017年6月まで延長したものの、2013-14シーズンは苦しみ13位に終わると、シーズン終了後に退任することとなった[1]。
2016年1月18日、イングランド・プレミアリーグのスウォンジー・シティAFCの監督に就任し[2]、同シーズンの降格回避に貢献。しかし翌2016-17シーズンは第7節終了時点で1勝1分5敗の17位と低迷し、2016年10月03日に解任された[3]。
クラブ歴
エラス・ヴェローナFC 1975-1984
- →
SSサンベネデッテーゼ・カルチョ 1977-1978 (期限付き移籍)
- →
USピストイエーゼ1921 1979-1980 (期限付き移籍)
- →
ボローニャFC 1982-1983 (期限付き移籍)
ヴェネツィアFC 1984-1986
指導歴
ジョルジョーネ・カルチョ 1988-1989
トレヴィーゾFC 1989-1990
ファーノ・カルチョ 1990-1991
エンポリFC 1991-1992
ラヴェンナ・カルチョ 1992-1993
アタランタBC 1993
ヴィチェンツァ・カルチョ 1994-1998
ウディネーゼ・カルチョ 1998-1999
ボローニャFC 1999-2003
USチッタ・ディ・パレルモ 2004-2005
ジェノアCFC 2005
ASモナコ 2005-2006
USチッタ・ディ・パレルモ 2006-2007.4、2007.5-2007.6、2007.11-2008.3
パルマFC 2008-2010
ウディネーゼ・カルチョ 2010-2014
スウォンジー・シティAFC 2016.1-2016.10
脚注
- ^ ウディネーゼのグイドリン監督が退任「新たな冒険に出る」 - サッカーキング 2014年5月21日
- ^ スウォンジーの選手たちはグイドリン新監督を知らなかった 主将が「グーグルで調べた」 - Goal.com 2016年1月20日
- ^ サッカー=スウォンジー、グイドリン監督の解任を発表 - ロイター通信 2016年10月4日