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「アレッサンドロ・ルカレッリ」の版間の差分

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|クラブ成績更新日=2018年5月18日
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1996年に[[ピアチェンツァ・カルチョ|ピアチェンツァ]]でプロデビュー。ピアチェンツァでは6年間を過ごし、下部リーグの[[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]]、[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]などでのプレーも経験。2004-05シーズンには[[ASリヴォルノ・カルチョ|リヴォルノ]]の[[セリエA (サッカー)|セリエA]]残留に貢献。2005年からは[[レッジーナ・カルチョ|レッジーナ]]で守備陣の中核として活躍した。
1996年に[[ピアチェンツァ・カルチョ|ピアチェンツァ]]でプロデビュー。ピアチェンツァでは6年間を過ごし、下部リーグの[[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]]、[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]などでのプレーも経験。2004-05シーズンには[[ASリヴォルノ・カルチョ|リヴォルノ]]の[[セリエA (サッカー)|セリエA]]残留に貢献。2005年からは[[レッジーナ・カルチョ|レッジーナ]]で守備陣の中核として活躍した。


2007-08シーズンは[[ジェノアCFC]]のセリエA残留に貢献し、翌シーズンは[[SSDパルマ・カルチョ1913|パルマFC]]にて兄と共にセリエA昇格に貢献。キャプテンとしてチームを牽引した。
2007-08シーズンは[[ジェノアCFC]]のセリエA残留に貢献し、翌シーズンは[[パルマ・カルチョ1913|パルマFC]]にて兄と共にセリエA昇格に貢献。キャプテンとしてチームを牽引した。


[[2015年]]6月にパルマFCの破産が確定し、クラブが消滅したことに伴ってリーグの規定でルカレッリも自由契約となった。後にパルマFCの後継として[[SSDパルマ・カルチョ1913]]が発足し、[[セリエD (サッカー)|セリエD]]に所属することとなったが、パルマFCで長らくキャプテンを務めていたルカレッリはSSDパルマ・カルチョ1913と契約を結んだ<ref name="ds1">[http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20150703/327446.html 財政破産のパルマ主将ルカレッリが男気「セリエDでもプレーする」] - サッカーキング 2015年7月3日</ref>。
[[2015年]]6月にパルマFCの破産が確定し、クラブが消滅したことに伴ってリーグの規定でルカレッリも自由契約となった。後にパルマFCの後継として[[パルマ・カルチョ1913]]が発足し、[[セリエD (サッカー)|セリエD]]に所属することとなったが、パルマFCで長らくキャプテンを務めていたルカレッリはSSDパルマ・カルチョ1913と契約を結んだ<ref name="ds1">[http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20150703/327446.html 財政破産のパルマ主将ルカレッリが男気「セリエDでもプレーする」] - サッカーキング 2015年7月3日</ref>。


[[2018年]][[5月27日]]、引退を発表した。
[[2018年]][[5月27日]]、引退を発表した。

2020年2月4日 (火) 12:12時点における版

アレッサンドロ・ルカレッリ
名前
ラテン文字 Alessandro LUCARELLI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1977-07-22) 1977年7月22日(46歳)
出身地 リヴォルノ
身長 182cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2002 イタリアの旗 ピアチェンツァ 89 (0)
1997-1998 イタリアの旗 レッフェ (loan) 29 (0)
2002-2003 イタリアの旗 パレルモ 28 (0)
2003-2004 イタリアの旗 フィオレンティーナ 31 (0)
2004-2005 イタリアの旗 リヴォルノ 27 (4)
2005-2007 イタリアの旗 レッジーナ 67 (4)
2007 イタリアの旗 シエナ 0 (0)
2007-2008 イタリアの旗 ジェノア 29 (1)
2008-2018 イタリアの旗 パルマFC/SSDパルマ 333 (21)
通算 633 (30)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレッサンドロ・ルカレッリイタリア語: Alessandro Lucarelli, 1977年7月22日- )は、イタリアリヴォルノ出身の元サッカー選手。ポジションはDF

兄は元イタリア代表クリスティアーノ・ルカレッリ

経歴

1996年にピアチェンツァでプロデビュー。ピアチェンツァでは6年間を過ごし、下部リーグのパレルモフィオレンティーナなどでのプレーも経験。2004-05シーズンにはリヴォルノセリエA残留に貢献。2005年からはレッジーナで守備陣の中核として活躍した。

2007-08シーズンはジェノアCFCのセリエA残留に貢献し、翌シーズンはパルマFCにて兄と共にセリエA昇格に貢献。キャプテンとしてチームを牽引した。

2015年6月にパルマFCの破産が確定し、クラブが消滅したことに伴ってリーグの規定でルカレッリも自由契約となった。後にパルマFCの後継としてパルマ・カルチョ1913が発足し、セリエDに所属することとなったが、パルマFCで長らくキャプテンを務めていたルカレッリはSSDパルマ・カルチョ1913と契約を結んだ[1]

2018年5月27日、引退を発表した。

脚注

外部リンク