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|画像説明 = 北口(2019年) |
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|よみがな = たるい |
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|ローマ字 = Tarui |
|ローマ字 = Tarui |
2020年2月15日 (土) 03:51時点における版
垂井駅 | |
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北口(2019年) | |
たるい Tarui | |
◄CA77 大垣* (8.1 km) (5.7 km) 関ケ原 CA79► | |
所在地 | 岐阜県不破郡垂井町1682-4 |
駅番号 | CA 78 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | 東海道本線(上り本線・垂井線) |
キロ程 | 418.1 km(東京起点) |
電報略号 | タル |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
2,655人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1884年(明治17年)5月25日 |
備考 |
業務委託駅 JR全線きっぷうりば 有 |
* この間に南荒尾信号場有り(当駅から5.0km先)。 |
垂井駅(たるいえき)は、岐阜県不破郡垂井町垂井[注釈 1]にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。駅番号はCA78。
当駅より西側の東海道本線(JR東海管内)の駅には発車標(電光掲示板)が設置されていないため、当駅が発車標の設置されている最西端の駅になる。運行形態の詳細は「東海道線 (名古屋地区)」を参照。
歴史
※測量の結果、ルートが変更され現在の武豊線が資材輸送線となる。
- 1884年(明治17年)5月25日:一般駅として当駅開業。
- 1889年(明治22年)7月1日:下りホームを新設。
- 1895年(明治28年)4月1日:線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
- 1901年(明治34年)8月23日:当駅 ‐ 大垣駅間が複線化。
- 1902年(明治35年)2月10日:当駅 ‐ 関ケ原駅間が複線化。
- 1941年(昭和16年)3月:東側にあった跨線橋を西側へ移動。
- 1944年(昭和19年)10月11日:新たな下り本線となる迂回線が完成し新垂井駅が開業する。当駅を通る下り本線は撤去され、上り列車のみの営業となる。補助機関車を廃止。当駅 - 新垂井駅間は省営バス(府中線)が走る[1]。
- 1946年(昭和21年)11月1日:旧下り本線が垂井線(単線)として復活したことにより、下り列車の停車が再開。
- 1965年(昭和40年)10月8日:2代目駅舎が落成。
- 1971年(昭和46年)10月4日:貨物の取り扱いを廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日:下り本線専用の新垂井駅が廃止。同日に国鉄バス府中線が廃止される。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が継承。
- 1995年(平成7年)3月4日:3代目駅舎が落成。(橋上駅舎化)
- 2000年(平成12年)2月16日:降雪により立ち往生した下り普通列車を救援するために向かった重連のディーゼル機関車(JR貨物)が当駅の安全側線に突っ込み脱線。事故から約20時間後に復旧。
- 2002年(平成14年)11月12日:自動改札機設置。
- 2003年(平成15年)4月16日:北口駅前広場(ロータリー、歩道、駐輪場)の整備が完了。これにより以前から進められていた一連の駅周辺整備事業が完成。
- 2006年(平成18年)11月25日:ICカード「TOICA」の利用が可能となる。
- 2008年(平成20年)11月2日:当駅で開催されたさわやかウォーキングの輸送のため、大垣止め新快速(大垣08:26着 5303F列車)が当駅まで延長運転される。
- 2009年(平成21年)5月3日、5月10日:当駅で開催されたさわやかウォーキングの輸送のため、名古屋発垂井行き臨時快速と大垣発垂井行き臨時列車が運転される。
- 2010年(平成22年) 2月13日:上下線ホームにエレベーター設置。駅構内に多目的トイレ設置。
- 2012年(平成24年)9月18日:大雨により当駅 ‐ 米原駅間が不通となった為、当駅止まりの列車が運転される。
- 2016年(平成28年)3月26日:ダイヤ改正に伴い、京都・大阪方面に直通する普通電車の運用及び「ホームライナー関ケ原」の運転区間縮小により当駅に停車する運用が廃止される。
- 2018年(平成30年)3月:駅ナンバリングが導入される。
- 2019年(令和元年)8月21日:自動改札機が更新され、新たにICカード専用改札機が設置される。
駅構造
- 構内北側に単式ホーム1面1線と南側に島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅である。橋上駅舎を備え、南北に駅前広場をもつ。
- 駅前広場から改札までは南口、北口ともにエレベーターと上りエスカレーターを一基ずつ備える。改札から各ホームまではエレベーターがそれぞれ一基あり、2・3番線には上りエスカレーターが一基設置されている。そのため駅前広場と各ホーム間は自由通路を含めバリアフリーに対応している。
- 東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で大垣駅が当駅を管理している。JR全線きっぷうりば・自動券売機・自動改札機などがある。
- TOICAおよび提携ICカードの利用が可能である。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 東海道本線 | 上り | 大垣・名古屋方面[注釈 2] | |
2 | 関ケ原駅始発・待避列車 | |||
3 | 東海道本線 (垂井線) |
垂井駅始発列車 | ||
下り | 米原・京都方面[注釈 2] |
-
北口(2017年)
-
南口(2007年)
配線図
← 大垣・ 名古屋方面 |
→ 米原方面 |
|
↓ 美濃赤坂駅 | ||
凡例 出典:[2] |
- 関ケ原始発の上り列車は、当駅まで垂井線(詳細)を走行する都合上、上り本線の1番線には進入できないため、2番線を使用する。該当する列車は朝の2本(土曜・休日は1本)である。なお、2番線は上り本線側からの列車の入線も可能であり、2016年3月25日までは特急しなのの通過待ちで使われていた。また、下りの関ケ原止まりの列車は大垣車両区へ回送するため2番線に進入する。
- キヤ95系による垂井線検測列車、東海旅客鉄道名古屋工場の検査出場等の試運転列車は関ケ原駅で折り返すため、2番線にて運転停車する。
- 関ケ原・米原方面の下り停車列車はすべて垂井線経由のため、3番線を使用する。
- 3番線に名古屋方面の表記があるのは過去に存在した当駅始発着のためのもの。
垂井線
垂井線 | |
---|---|
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 岐阜県 |
起点 | 南荒尾信号場 |
終点 | 関ケ原駅 CA79 |
駅数 | 2駅 |
経由路線 | 東海道本線 |
開業 | 1946年11月1日 |
所有者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
運営者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
車両基地 | 大垣車両区 |
使用車両 | 313系、311系 |
路線諸元 | |
路線距離 | 10.7km |
軌間 | 1,067mm |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 直流1,500V 架空電車線方式 |
最大勾配 | 25‰ |
閉塞方式 | 自動閉塞式 |
保安装置 | ATS-PT |
最高速度 | 85km/h |
垂井線(たるいせん)は、東海道本線南荒尾信号場 - 関ケ原駅間の上り本線に並行して敷設された別線の通称である。線路等級が低いため、貨物列車や特別急行列車は通常入線しない。下り本線は、太平洋戦争中に輸送力増強のために迂回して敷設された旧新垂井駅を経由する。
概要
- 南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間は、一見複線に見えるが、これは上り本線と「垂井線」と呼ばれる別線との単線並列であり、貨物列車や特急列車の通過する現在の下り本線は太平洋戦争中の輸送力増強のため、この区間の勾配で補機を連結せずに輸送できるよう設けられた下り列車専用の勾配緩和別線(最大10パーミル)である。新垂井駅はその迂回線に設けられた駅である。その際、南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り本線は撤去されており「垂井線」は戦後その場所に敷設し直したものであるため、前述したように上り本線と並行している[注釈 3]。「垂井線」の南荒尾信号場 - 垂井駅間は下り専用で、垂井駅 - 関ケ原駅間は上下双方向に運転可能な単線となっており、当駅に停車する下り列車及び関ケ原始発の上り列車は垂井線を走行する。(垂井駅構造参照)
- 垂井線は特別な場合を除き普通列車のみが走行するため、垂井線の軌道は本線に比べて簡易な造りとなっており、最高運転速度も85km/hと低い。関ケ原始発列車は、関ケ原駅の垂井方で上り本線と垂井線の間に下り本線が割り込んできている配線のため、垂井線から上り本線へ進入できない。そのため、当駅まで垂井線を走行し、当駅関ヶ原方の金蓮寺踏切付近の分岐で中線(2番のりば)に入り、当駅大垣方の相川橋梁を通過後上り本線に進入する。このように関ヶ原駅ー当駅間は上り本線の隣(右側)を上り方向に進むことがあるため逆走しているように見えてしまう。
- 2015年までは特急型車両がホームライナーとして当線を走行していたが、この年のダイヤ改正で廃止となったため、臨時サンライズ出雲以外の特急列車は走行しない。
- 東海道本線と垂井線
路線 | 方向 | 経由 | 通過列車 | 最高速度 |
---|---|---|---|---|
東海道本線 | 上り | 垂井駅 | 全ての列車 | 120km/h |
東海道本線 | 下り | 新垂井駅(廃駅) | 特急列車、貨物列車のみ(臨時列車除く) | |
東海道本線(垂井線) | 南荒尾信号場ー垂井駅:下りのみ
垂井駅 - 関ケ原駅:双方向に走行可能 |
垂井駅 | 普通列車のみ(臨時列車除く) | 85km/h |
駅一覧
支線内の駅・信号場と接続路線を以下に一覧表で示す。
- 全列車、すべての旅客駅に停車する
- 全駅・信号場とも岐阜県に所在
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | その他 |
---|---|---|---|
南荒尾信号場 | 0.0 | - | 下り本線との分岐点 |
垂井駅 | 5.0 | 5.0 | 上り本線への転線設備あり |
関ケ原駅 | 5.7 | 10.7 | 下り本線と合流 |
利用状況
「垂井町史」、「岐阜県統計書」、「垂井町勢要覧」によると、各年度の1日平均乗車人員は以下の通りである。大垣駅 - 米原駅の途中にある駅では最も利用客が多い。
年度別1日平均乗車人員(1884年 - 1911年)
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1884年(明治17年) | 24 |
1885年(明治18年) | 14 |
1886年(明治19年) | 11 |
1887年(明治20年) | 25 |
1888年(明治21年) | 47 |
1889年(明治22年) | 54 |
1890年(明治23年) | 62 |
1891年(明治24年) | 65 |
1902年(明治35年) | 151 |
1903年(明治36年) | 140 |
1904年(明治37年) | 107 |
1905年(明治38年) | 121 |
1906年(明治39年) | 129 |
1907年(明治40年) | 154 |
1908年(明治41年) | 161 |
1909年(明治42年) | 167 |
1910年(明治43年) | 175 |
1911年(明治44年) | 207 |
年度別1日平均乗車人員(1912年 - 1925年)
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1912年(大正元年) | 249 |
1913年(大正2年) | 265 |
1914年(大正3年) | 298 |
1915年(大正4年) | 260 |
1916年(大正5年) | 263 |
1917年(大正6年) | 294 |
1918年(大正7年) | 366 |
1919年(大正8年) | 394 |
1920年(大正9年) | 434 |
1921年(大正10年) | 455 |
1922年(大正11年) | 453 |
1923年(大正12年) | 525 |
1924年(大正13年) | 538 |
1925年(大正14年) | 614 |
年度別1日平均乗車人員(1926年 - 1988年)
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1926年(昭和元年) | 610 |
1927年(昭和2年) | 634 |
1928年(昭和3年) | 658 |
1929年(昭和4年) | 659 |
1930年(昭和5年) | 645 |
1931年(昭和6年) | 589 |
1932年(昭和7年) | 574 |
1933年(昭和8年) | 583 |
1934年(昭和9年) | 636 |
1935年(昭和10年) | 689 |
1936年(昭和11年) | 733 |
1937年(昭和12年) | 902 |
1938年(昭和13年) | 918 |
1939年(昭和14年) | 1,045 |
1940年(昭和15年) | 1,148 |
1941年(昭和16年) | 1,406 |
1942年(昭和17年) | 1,462 |
1943年(昭和18年) | 1,951 |
1944年(昭和19年) | 1,662 |
1945年(昭和20年) | 1,496 |
1946年(昭和21年) | 1,280 |
1947年(昭和22年) | 1,892 |
1955年(昭和30年) | 2,246 |
1956年(昭和31年) | 2,460 |
1957年(昭和32年) | 2,652 |
1960年(昭和35年) | 3,182 |
1961年(昭和36年) | 3,222 |
1962年(昭和37年) | 3,442 |
1965年(昭和40年) | 4,099 |
1970年(昭和45年) | 3,402 |
1975年(昭和50年) | 3,348 |
1980年(昭和55年) | 3,224 |
1984年(昭和59年) | 2,927 |
1988年(昭和63年) | 2,862 |
年度別1日平均乗車人員(1989年 - 2018年)
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1989年(平成元年) | 2,880 |
1990年(平成2年) | 2,951 |
1991年(平成3年) | 3,125 |
1998年(平成10年) | 2,949 |
1999年(平成11年) | 2,930 |
2000年(平成12年) | 2,889 |
2001年(平成13年) | 2,784 |
2002年(平成14年) | 2,715 |
2003年(平成15年) | 2,704 |
2004年(平成16年) | 2,710 |
2005年(平成17年) | 2,677 |
2006年(平成18年) | 2,800 |
2007年(平成19年) | 2,621 |
2008年(平成20年) | 2,763 |
2009年(平成21年) | 2,669 |
2010年(平成22年) | 2,682 |
2011年(平成23年) | 2,666 |
2012年(平成24年) | 2,544 |
2013年(平成25年) | 2,600 |
2014年(平成26年) | 2,520 |
2015年(平成27年) | 2,599 |
2016年(平成28年) | 2,642 |
2017年(平成29年) | 2,655 |
2018年(平成30年) | 2,621 |
駅周辺
- 南口側を中心にコインパーキングや月極駐車場が分布している。
- 平成期に構内のキヨスクが撤退したため、最寄りのコンビニは南口から500メートルほど離れている。また、最寄りのスーパーマーケットは北口から100メートルの場所にある。なお、キヨスク跡地には飲料・惣菜・アイスクリームの自販機が設置されている。
北口
南口
バス路線
- 北口
- 南口
- 垂井町巡回バス
<運行日:平日>- 栗原・表佐・東線
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ 「運輸省告示第489・490号」『官報』1944年10月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 川島令三、『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、pp.20-21, 講談社、2009年7月、ISBN 978-4062700153)
- ^ [1]不破高校スクール線の運行開始について