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516部隊関連のものに限らず、日本軍の生産した[[化学兵器]]が、敗戦直後に中国領内に遺棄されたのではないかといわれる。[[日本政府]]の主張では、その多くが集められた[[ハルバ嶺]]には30~40万発の化学[[砲弾]]・化学剤容器などが埋没されたほか、中国各地にも存在するとみられ、ハルバ嶺以外では2007年2月までに3万7千発が日本の事業で回収された<ref>ハルバ嶺の埋没化学兵器は、1950年代~1960年代に中国側が2つの砲弾孔に埋めたものである。当初は67万4千発と推定されたが、追加調査により30万~40万発と推定値が修正されている。[ |
516部隊関連のものに限らず、日本軍の生産した[[化学兵器]]が、敗戦直後に中国領内に遺棄されたのではないかといわれる。[[日本政府]]の主張では、その多くが集められた[[ハルバ嶺]]には30~40万発の化学[[砲弾]]・化学剤容器などが埋没されたほか、中国各地にも存在するとみられ、ハルバ嶺以外では2007年2月までに3万7千発が日本の事業で回収された<ref>ハルバ嶺の埋没化学兵器は、1950年代~1960年代に中国側が2つの砲弾孔に埋めたものである。当初は67万4千発と推定されたが、追加調査により30万~40万発と推定値が修正されている。[https://www8.cao.go.jp/ikikagaku/shori.html 中国における遺棄化学兵器処理事業] - [[内閣府]]遺棄化学兵器処理担当室。</ref>。中国政府は、1990年に日本政府に対して、遺棄化学兵器の処理を非公式に打診した。日本政府は、1991年から現地調査などを進め、1995年の[[化学兵器禁止条約]]批准の後には、同条約の規定に基づいて残存する化学兵器の処理を進めている<ref>[https://www8.cao.go.jp/ikikagaku/mondai.html 中国における遺棄化学兵器問題について] - 内閣府遺棄化学兵器処理担当室。</ref>。 |
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2020年2月27日 (木) 13:06時点における版
516部隊(-ぶたい)とは、大日本帝国陸軍の化学戦研究機関であった関東軍化学部のこと。その通称号の「満州第516部隊」の略。その前身は、1937年8月に創設された関東軍技術部化学兵器班で、1939年5月に技術部から独立した。
遺棄化学兵器
→詳細は「遺棄化学兵器問題」を参照
516部隊関連のものに限らず、日本軍の生産した化学兵器が、敗戦直後に中国領内に遺棄されたのではないかといわれる。日本政府の主張では、その多くが集められたハルバ嶺には30~40万発の化学砲弾・化学剤容器などが埋没されたほか、中国各地にも存在するとみられ、ハルバ嶺以外では2007年2月までに3万7千発が日本の事業で回収された[1]。中国政府は、1990年に日本政府に対して、遺棄化学兵器の処理を非公式に打診した。日本政府は、1991年から現地調査などを進め、1995年の化学兵器禁止条約批准の後には、同条約の規定に基づいて残存する化学兵器の処理を進めている[2]。
注釈
- ^ ハルバ嶺の埋没化学兵器は、1950年代~1960年代に中国側が2つの砲弾孔に埋めたものである。当初は67万4千発と推定されたが、追加調査により30万~40万発と推定値が修正されている。中国における遺棄化学兵器処理事業 - 内閣府遺棄化学兵器処理担当室。
- ^ 中国における遺棄化学兵器問題について - 内閣府遺棄化学兵器処理担当室。