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「マオカラースーツ」の版間の差分

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「マオ」は[[中国]]の[[毛沢東]](英語名:Mao Zedong)に由来<ref name="マオカラー_大辞泉"/>する。[[日本]]国外で[[国民服]]、[[学生服]]に似せた背広を制作したのが始まりだと言われている。日本では上下一揃いで着用するが、日本国外ではスラックスを昼夜の礼服に変えたり、[[チノ・パンツ]]や[[ジーンズ]]に変えたりと、その限りではない。[[英語圏]]では[[インド]]の[[ジャワハルラール・ネルー]]がよく着ていた立襟の上着にちなんで'''ネルージャケット'''({{lang-en-short|Nehru jacket}})と呼ぶ。ネルーが着ていた服は[[1940年代]]以降にインドで開発された。インド人の政治家や官僚の中には、イギリス風の背広よりもインド風の服を着ようという者がいたが、従来のアチュカン({{lang-en-short|Achkan}})などの上着は長さが膝まであり機能的ではなく、アチュカンの丈を腰あたりで切って背広風にしたものがネルージャケットの由来とされる。インドでは礼服などとして用いられるようになり、[[1960年代]]以降に東洋への関心が高まる欧米にも導入された。中国では中国立襟の人民服({{lang-zh-short|中华立领中山装}})などと呼ばれている。
「マオ」は[[中国]]の[[毛沢東]](英語名:Mao Zedong)に由来<ref name="マオカラー_大辞泉"/>する。[[日本]]国外で[[国民服]]、[[学生服]]に似せた背広を制作したのが始まりだと言われている。日本では上下一揃いで着用するが、日本国外ではスラックスを昼夜の礼服に変えたり、[[チノ・パンツ]]や[[ジーンズ]]に変えたりと、その限りではない。[[英語圏]]では[[インド]]の[[ジャワハルラール・ネルー]]がよく着ていた立襟の上着にちなんで'''ネルージャケット'''({{lang-en-short|Nehru jacket}})と呼ぶ。ネルーが着ていた服は[[1940年代]]以降にインドで開発された。インド人の政治家や官僚の中には、イギリス風の背広よりもインド風の服を着ようという者がいたが、従来のアチュカン({{lang-en-short|Achkan}})などの上着は長さが膝まであり機能的ではなく、アチュカンの丈を腰あたりで切って背広風にしたものがネルージャケットの由来とされる。インドでは礼服などとして用いられるようになり、[[1960年代]]以降に東洋への関心が高まる欧米にも導入された。中国では中国立襟の人民服({{lang-zh-short|中华立领中山装}})などと呼ばれている。


日本では馴染みの薄い服装であり、見た目の形状が[[学ラン]]に酷似していることから「学ラン(みたいな)スーツ」と形容する言い方をすることが多い。着用者は[[政治家]]の[[羽田孜]]・[[羽田雄一郎|雄一郎]]親子、[[マジシャン]]の[[Mr.マリック]]、タレントの[[毒蝮三太夫]]、料理研究家の[[服部幸應]]、元力士の[[曙太郎]]、怪談家の[[稲川淳二]]、俳優の[[篠井英介]]といった一部の著名人や[[ヤクザ|暴力団関係者]]など、以上に挙げられるような特殊な立場の者にほぼ限られており、一般人には全くといっていいほど浸透していない。[[ビジネスパーソン]]としてはアジア有数の大富豪である[[馬雲]]([[阿里巴巴集団|アリババ]]創業者)が愛用していることでも知られ、[[ファッション・デザイナー]]の[[小西良幸]]は馬のようなマオカラー愛好者を'''マオラー'''と呼んでいる<ref>{{Cite web|date=2014-10-06|url=https://dot.asahi.com/wa/2014100300048.html|title=アリババ会長は「マオラー」? ドン小西が「センスはお金じゃ買えない」とチェック|publisher=[[AERA dot.]]|accessdate=2018年4月19日}}</ref>。
日本では馴染みの薄い服装であり、見た目の形状が[[学ラン]]に酷似していることから「学ラン(みたいな)スーツ」と形容する言い方をすることが多い。着用者は[[政治家]]の[[羽田孜]]・[[羽田雄一郎|雄一郎]]親子、[[マジシャン]]の[[Mr.マリック]]、タレントの[[毒蝮三太夫]]、料理研究家の[[服部幸應]]、元力士の[[曙太郎]]、怪談家の[[稲川淳二]]、俳優の[[篠井英介]]といった一部の著名人や[[ヤクザ|暴力団関係者]]など、以上に挙げられるような特殊な立場の者にほぼ限られており、一般人には全くといっていいほど浸透していない。[[ビジネスパーソン]]としてはアジア有数の大富豪である[[馬雲]]([[アリババグループ|アリババ]]創業者)が愛用していることでも知られ、[[ファッション・デザイナー]]の[[小西良幸]]は馬のようなマオカラー愛好者を'''マオラー'''と呼んでいる<ref>{{Cite web|date=2014-10-06|url=https://dot.asahi.com/wa/2014100300048.html|title=アリババ会長は「マオラー」? ドン小西が「センスはお金じゃ買えない」とチェック|publisher=[[AERA dot.]]|accessdate=2018年4月19日}}</ref>。


== 基本的な構成 ==
== 基本的な構成 ==

2020年3月1日 (日) 06:49時点における版

マオカラースーツを着用した服部幸應

マオカラースーツ (Mao-collar suit) とは、立襟背広服の上下一揃いをいう[1]ブレザーと同じく略礼装と見なされる。

概要

APECでマオカラースーツを着用する安倍晋三ら各国首脳

「マオ」は中国毛沢東(英語名:Mao Zedong)に由来[1]する。日本国外で国民服学生服に似せた背広を制作したのが始まりだと言われている。日本では上下一揃いで着用するが、日本国外ではスラックスを昼夜の礼服に変えたり、チノ・パンツジーンズに変えたりと、その限りではない。英語圏ではインドジャワハルラール・ネルーがよく着ていた立襟の上着にちなんでネルージャケット: Nehru jacket)と呼ぶ。ネルーが着ていた服は1940年代以降にインドで開発された。インド人の政治家や官僚の中には、イギリス風の背広よりもインド風の服を着ようという者がいたが、従来のアチュカン(: Achkan)などの上着は長さが膝まであり機能的ではなく、アチュカンの丈を腰あたりで切って背広風にしたものがネルージャケットの由来とされる。インドでは礼服などとして用いられるようになり、1960年代以降に東洋への関心が高まる欧米にも導入された。中国では中国立襟の人民服(: 中华立领中山装)などと呼ばれている。

日本では馴染みの薄い服装であり、見た目の形状が学ランに酷似していることから「学ラン(みたいな)スーツ」と形容する言い方をすることが多い。着用者は政治家羽田孜雄一郎親子、マジシャンMr.マリック、タレントの毒蝮三太夫、料理研究家の服部幸應、元力士の曙太郎、怪談家の稲川淳二、俳優の篠井英介といった一部の著名人や暴力団関係者など、以上に挙げられるような特殊な立場の者にほぼ限られており、一般人には全くといっていいほど浸透していない。ビジネスパーソンとしてはアジア有数の大富豪である馬雲アリババ創業者)が愛用していることでも知られ、ファッション・デザイナー小西良幸は馬のようなマオカラー愛好者をマオラーと呼んでいる[2]

基本的な構成

背広
黒色又は濃紺の背広。生地は羅紗カシミヤドスキンウーステッドモヘヤなど。ノーベント(センターベンツ・サイドベンツでない、つまり背中や両脇に切り込みが入っていない)が最もフォーマルに相応しい。
慶事は拝みボタンか普通のボタン(くるみボタンにしても良い)
弔事は普通のボタン(くるみボタンにしても良い)
袖口は本切羽ならより正装に相応しい。
スラックス
スラックスはシングルかモーニング・カット(ダブル―折り返しではない)。
朝の慶事では無地かコールズボンを用いる(縞は太めでも良い)
夜の慶事では無地か側章パンツを用いる。
弔事はコールズボンの縞は細目の物にする。
前ボタンと前開きはボタン。
ウェストコート
ウェストコートは慶事は白か、シルバーグレイ
弔事は黒か、上着と共布、白衿を外す。
シングル・ダブル何れでも良い(ラペルは立襟には無い)
上着がダブルブレストの場合は不要。
ワイシャツ
ワイシャツは慶事は昼は白無地のウィングカラーで前立てはスタッドで留めて使用する、袖はシングルカフ、テニスカフス、ダブル(フレンチ)カフスの何れかを着用。
夜は烏賊胸・襞胸の何れかと上記を合わせる。
弔事はレギュラーカラーの白無地。
スタンドカラーのワイシャツでも良い。
カラーステイ
カラーステイはワイシャツの襟の後側の穴に入れる。プラスチック製と金属製がある。
Tシャツ
Tシャツ・薄いベージュらくだ色キャメルの無地を着用する(薄い、灰やベージュや伽羅色・キャメルなどの茶色系統はシャツの衿や袖口が透けにくく、柄や濃いめだと色がワイシャツに透けてしまう)。
Vネック付き(第2ボタンが隠れる辺り)を着用する。
下着用とトップス用かは問われない。
タイ
タイ慶事の午前ではシルバーグレイの無地(白ではない)、白黒ストライプ(黒を基準としたものならなお良い)のモーニングタイアスコットタイ
慶事の午後では蝶ネクタイ
弔事では無地の黒色、ディンプルを作らない、光沢のある物は控える。
法事では、無地の黒色か鈍色(濃い灰色)、ネイビー紺色勝色などの黒に近い強い青。ディンプルを作らない、光沢のある物は控える。
カラーピン
カラーピンはネクタイを浮かせるときに用いる(アスコットタイには使わない)。
金具は色を合わせる。
慶事のみで弔事には用いない。
ネクタイピン
ネクタイピンはカフリンクスに合わせる、背広の第1ボタンの近くに付ける。ネクタイのみに用いる。
スティックピン
スティックピンは頭部には宝石真珠が付いた物を選ぶ。金具の色は合わせる。アスコットタイのみに用いる。
スタッドボタン
スタッドボタンはカフリンクスに合わせる。
カフリンクス
カフリンクスは慶事では昼閒は真珠か白蝶貝を使ったもの、夜間はオニキスか黒蝶貝のものなど、フォーマルでは台座が銀かグレーを用いる。チェーン式、紐式、ゴム・布・プラスチック製、台座が金の物は用いない
弔事では付けないか、銀台に黒オニキスか黒蝶貝のものなど。光沢のある物は控える。
ポケットチーフ
ポケットチーフは慶事では白かシルバーグレーの無地でスリーピークス綿の中で絹が最もフォーマルとされている。
弔事では差さないか、黒無地をTVホールドにして入れる。光沢のある物は控える。
法事では差さないか、黒無地か鈍色をTVホールドにして入れる、光沢のある物は控える。
ドレスグローブ
ドレスグローブはウェストコートに合わせる、白・グレーで、革製または布製、甲の部分に三つ山のピンタックがあるもの
弔事は塡めないか、濃灰か黒を塡める。
ベルト
ベルトは革製で無地の黒の尾錠止め。バックル仕様や布製のベルトは使わない。金具はシルバーが望ましい。
真ん中の穴に合わせる。
幅の広すぎたり、細すぎたりするベルトもスーツには合わないので避ける(3cm - 2.5cm位が目安)。
サスペンダー
慶事は白黒の縞柄か白のサスペンダー
弔事は黒のサスペンダー
アームバンド
アームバンドはフック式とスプリング式がある。
金具は色を合わせる。
革靴
革靴は黒色紐付き靴。種類はストレートチッププレーントゥ(プレーン・トゥの場合、通常は外羽根式だが、内羽根式の方がフォーマル)。
靴底は革。
靴紐は正式には蝋引の丸紐(平紐でも構わない)。
厳密にする必要はないが、トゥはポインテッド・トゥラウンド・トゥがフォーマルとされている。
羽根飾りは無いもの。
縫い目は内縫い
結び目はパラレルシングル
はき口の高さはオクスフォードハイライザー
コバが張ってなく底が薄いもの。
金属が付いた物は使わない。
夜はオペラ・パンプスか上記の靴でも良い(慶事のみ)。
靴下
慶事は黒無地のロングホーズ。または、白黒の縞柄
弔事は黒無地。
透ける薄さの靴下は避ける。
ハンカチ
ハンカチはネクタイの色に合わせる。
慶事は問わない。
弔事は白無地か黒無地。
法事は白無地か黒無地か無地の鈍色、ネイビーや紺色、勝色などの黒に近い強い青。
マフラー
マフラーは慶事では白の絹。
弔事では黒。
帽子
無帽または黒のソフト帽ミルキー (帽子)ホンブルグ・ハット山高帽シルクハットオペラハットのいずれか。
弔事では帽子の羽根は外す。
外套
黒・紺のチェスターフィールド・コートインバネスコートスタンドカラーコート
弔事では皮革毛皮は避けること。
時計
慶事では、鎖の付いた銀色の懐中時計を着用。金色は認められない。またはドレスウォッチか無地の黒革のベルトと銀の尾錠の銀色の腕時計
弔事では付けないか、無地の黒革のベルトと銀の尾錠の銀色の腕時計を着用。
アナログにすること(デジタルだと派手、音が鳴る、時間の予測がしにくいなど)。
薄い文字盤(10mm - 13mm辺り)、小さいケース(30mm - 38mm辺り)の方が目立ちにくく、腕から取りやすくなる。
文字盤は白の方が一般的で無難。
服装の合わせ方
金属・革は色を合わせる(革は黒、金属は銀が無難)。
艶消しも可。
糸の縫い目・ボタンの色は服の色に合わせる。
柄は基本は無地。
ポケットは蓋無し、貼り付けないポケットが正式。
ポケットは外は蓋を出しておき、室内に入ったら蓋を仕舞っておく。初めから蓋を仕舞っておくのも可能。
ネクタイピンかカラーピンはどれか1つを着用する(カラーピンと併用するならば、ネクタイの小剣にネクタイピンを着用する)。

その他の装飾品

画像

脚注

関連項目

外部リンク