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チャールズ・パーシー・スノー Charles Percy Snow | |
---|---|
生誕 |
1905年10月15日 レスター(イギリス) |
死没 | 1980年7月1日 |
国籍 | イギリス |
研究分野 | 物理学 |
プロジェクト:人物伝 |
スノー男爵、チャールズ・パーシー・スノー(Charles Percy Snow, Baron Snow, CBE、1905年10月15日 - 1980年7月1日)は、イギリスの物理学者および小説家。また、イギリス政府の下でいくつかの重要な位置に務めた人物でもある[1]。シリーズ小説『他人と同胞』(Strangers & Brothers)、および『二つの文化と科学革命』(The Two Cultures)の著者として有名である。
生涯
イギリスのレスターで生まれたスノーは、レスターシャー・ラトランド大学(現在のレスター大学)、およびケンブリッジ大学で物理学を学んだ。1930年、ケンブリッジ大学のクライツス・カレッジのフェローとなる。
彼はイギリスの政府におけるいくつかの上級職(労働省の技術部長(1940年 - 1944年)、イギリス電力会社重役(1945年 - 1960年)、科学技術大臣の議会秘書(1964年 - 1966年))を務めた後、1957年にナイト爵を授けられて一代貴族となった。この間、処女作『帆の下の殺人』の出版を機に創作活動を行い、シリーズ小説『他人と同胞』を出版する。
1950年、スノーは小説家のパミラ・ハンスフォード・ジョンソンと結婚し、1人の息子をもうけた。友人には数学者ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ、物理学者パトリック・ブラケット、エックス線研究者ジョン・デスモンド・バナール、および歴史研究者ジャック・バーザンがいた[2]。ハーディについては、晩年に彼の著書『ある数学者の生涯と弁明』の序文を書くほどの関係であった。
1960年、スノーはハーバード大学でゴドキン講演(en:Godkin Lectures)を行った。テーマは、第二次世界大戦頃にイギリス政府へ科学的助言を行った2人の人物、ヘンリー・ティザード(en:Henry Tizard)とフレデリック・リンデマン(後のチャーウェル卿、en:Frederick Lindemann, 1st Viscount Cherwell)の衝突に関するものであった。 講演は後に、『科学と政府』('Science and Government')としてまとめられた。
アカデミックイヤーの1961年から1962年には、スノー夫妻は教授陣の上のフェローとしてウェールズ大学の先端研究センターに勤めている[3]。
文芸活動
スノーの最初の小説は推理小説『帆の下の殺人』(Death Under Sail)であった。 また、彼はアンソニー・トロラプの伝記を書いた。
しかしながら、小説家としての彼の代表作は、現代の科学知と現代における政府設定について表現したシリーズ小説『他人と同胞』(Strangers and Brothers)である。 新しい学寮長(Master)の選出過程を描いた『学寮長』(The Masters)は、このシリーズの最もよく知られた作品であり、ケンブリッジ大学の内部の政治に対応したものである。そこでは、一貫して内部者の視点があり、厳密な学問的議論の場合を除いて、学者の関心がどう推定上客観的な決定に影響を及ぼすかを明らかにしている。1954年、この『学寮長』は同シリーズの『新しい人々』(New Men)とともにジェームス・テート・ブラック・メモリアル賞(the James Tait Black Memorial Prize)を受賞した[4]。さらにスノーは、『権力の回廊』(Corridor of Power)において現代の言語にある句を追加し、『現実主義者たち』(The Realists)ではチャールズ・ディケンズやフョードル・ドストエフスキーら8人の小説家の業績についての試論を展開して写実小説の防衛に力を注いだ。
『二つの文化と科学革命』
1959年5月7日、スノーは『二つの文化と科学革命』(The Two Cultures) と題する著書を発表した(邦訳は松井巻之助、みすず書房、1967年)。この書は広範囲かつ加熱した論争を引き起こした[1]。
タイトルにある「二つの文化」とは、現代において世界の問題の解決に貢献してきた"自然科学"と"人文科学"を指す。そしてスノーは、「二つの文化」の間でコミュニケーションが成り立たなくなっていることを指摘している。特に、多くの科学者がチャールズ・ディケンズを一度も読んだことがない、芸術家は等しく科学的な事柄に無頓着である、といった、世界の教育の質の偏りを強調している。彼は次のように書いている。
私はよく(伝統文化のレベルからいって)教育の高い人たちの会合に出席したが、彼らは科学者の無学について不信を表明することにたいへん趣味をもっていた。どうにもこらえきれなくなった私は、彼らのうち何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は「あなたはシェイクスピアの作品を何か読んだことがあるか」というのと同等な科学上の質問をしたわけである。もっと簡単な質問「質量、あるいは加速度とは何か」(これは、「君はものを読むことができるか」というのと同等な科学上の質問である)をしたら、私が彼らと同じことばを語っていると感じた人は、その教養の高い人びとの十人中の一人ほどもいなかっただろうと、現在思っている。このように現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていないのである[5]。
なお、イギリスの音楽アーティスト"フランダースとスワン"は、この引用の最初の部分をもとにして、短いモノローグおよび「第1および第2の法」という風刺の歌を制作している。
業績
- 『他人と同胞』(Strangers and Brothers)シリーズ
- Time of Hope, 1949
- George Passant (当初は"Strangers and Brothers"として出版), 1940
- The Conscience of the Rich, 1958
- The Light and the Dark, 1947
- The Masters, 1951
- The New Men, 1954 (邦訳『新しい人間たち』工藤昭雄訳、白水社、1963年)
- Homecomings, 1956
- The Conscience of the Rich, 1958
- The Affair, 1959
- Corridors of Power, 1963
- The Sleep of Reason, 1968
- Last Things, 1970
- その他のフィクション作品
- Death Under Sail, 1932 (邦訳『ヨット船上の殺人』桜井益雄訳、弘文堂、1964年)
- The Search, 1934
- The Malcontents, 1972
- In Their Wisdom, 1974
- A Coat of Varnish, 1979
- ノンフィクション作品
- Science and Government, 1961 (邦訳『科学と政治』朱牟田夏雄訳、音羽書房、1961年)
- The two cultures and a second look, 1963
- Variety of men, 1967 (邦訳『人間この多様なるもの』梅田敏郎・井上日雄訳、紀伊国屋書店、1970年)
- The State of Siege, 1968
- Public Affairs, 1971
- Trollope, 1975
- The Realists, 1978
- The Physicists, 1981
注釈
- ^ a b The Columbia Encyclopedia (6th Edition, 2001-2005). "Snow, C. P." Accessed 26 July 2007.
- ^ C. P. Snow Christ's College Magazine 231, 67-9, (2006)
- ^ Wesleyan University Archived 2007年9月24日, at the Wayback Machine.
- ^ The James Tait Black Memorial Prizes: The Prize Winners Archived 2007年1月15日, at the Wayback Machine.
- ^ 邦訳版『二つの文化と科学革命』p24-25。文中の太字は原文では傍点で強調されている。引用に当たって、いかにもまずい部分を修正した
関連項目
外部リンク
- 日本語サイト
- 英語サイト