「敷津松之宮」の版間の差分
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2020年3月23日 (月) 10:06時点における版
敷津松之宮 | |
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所在地 | 大阪府大阪市浪速区敷津西1丁目2-12 |
位置 | 北緯34度39分27.4秒 東経135度29分50.1秒 / 北緯34.657611度 東経135.497250度座標: 北緯34度39分27.4秒 東経135度29分50.1秒 / 北緯34.657611度 東経135.497250度 |
主祭神 | 素盞嗚尊、大国主命 |
創建 | 神功皇后時代 |
札所等 |
大阪七福神(大黒天) 南海沿線七福神(大黒天) |
例祭 | 10月17日 |
地図 |
敷津松之宮(しきつまつのみや)は、大阪府大阪市浪速区敷津西にある神社。地元では「木津の大国さん」と呼ばれて親しまれている。
境内摂社の大国主神社がよく知られており、付近の町名(浪速区大国)や駅名(大国町駅)の由来にもなっている。敷津松之宮・大国主神社との併記も見受けられるが、宗教法人としての登録名は敷津松之宮である。
由緒
神功皇后が三韓征伐より帰朝し、住吉大社から敷津の浜を航行していると、海岸に荒波が打ち寄せており、渚に松を3本植えて、ここより潮が満ちないよう祈願し、その松の下に素盞嗚尊を祀ったのが由緒とされている。
主祭神
境内・摂社
1744年(延享元年)2月に神託があり、出雲大社を勧請して摂社の大国主神社が建てられた。以来、今宮戎神社と並んで大阪市街からの参拝が多い神社となり、甲子の日には大変な賑わいを見せた。また、戎橋の由来と同様に、道頓堀川に架かる大黒橋は当社への参道に由来する。大国主神社は大阪七福神めぐりの一社でもある。
境内には現在の浪速区や大正区にあたる地域の開発に尽力した中村勘助(木津勘助)の像がある。西成郡木津村の北部(関西本線以北)が大阪市へ編入された後、当社由来の「木津大国町」のほか、中村勘助由来の「木津勘助町」という町名も誕生。1980(昭和55)年に現行町名に変更されるまで存在した。