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2020年3月23日 (月) 10:37時点における版

デビッド・グリスマン
David Grisman
基本情報
別名 "Dawg"
生誕 (1945-03-23) 1945年3月23日(79歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州 ハッケンサック
ジャンル ブルーグラス, プログレッシブ・ブルーグラス, ニュー・アコースティック, フォーク, ジャズ, アメリカーナ
職業 ミュージシャン, 作曲家, プロデューサー
担当楽器 マンドリン, マンドラ, マンドセロ, バンジョー, ピアノ, サクソフォン, キーボード
レーベル Electra, Sugar Hill, Pastel Records, A&M, Warner Bros., Acoustic Disc
共同作業者 Even Dozen Jug Band, Old and in the Way, デビッド・グリスマン・クインテット, アース・オペラ, ピーター・ローワン, ミュール・スキナー, アンディ・スタットマン, マーティン・テイラー, DGBX
公式サイト www.dawgnet.com

デビッド・グリスマン(David Grisman, 1945年5月23日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ハッケンサック出身のマンドリン弾き。ブルーグラスニューグラスのジャンルで演奏をする他、作曲も行う。1990年代初頭にはアコースティックやインストゥルメンタルミュージックの普及の為に、自ら「Acoustic Disc Record label」を立ち上げた。

略歴

グリスマンはニュージャージー州パサイクの保守的なユダヤ教の家庭で育った。グリスマンの父はプロのトロンボーン奏者であり、デビッドは7歳の頃からピアノのレッスンを受けさせられていた。1950年代初め、グリスマンはロックブームの始まりやポップ・ミュージック、それに彼が耳にした音楽の全てから様々な影響を受ける事になる。デビッドが10歳の頃に父が他界し、それと共にグリスマンはピアノから遠ざかる事になる。アメリカン・フォーク・リバイバルを通して、キングストン・トリオが人気を博してきた、デビッドが13,14歳のころ、再び音楽の道に入る事となる。

デビッドと学校の三人の友人は民俗学者でミュージシャンのラルフ・ラインツァーとニュージャージー州パサイクで出会い、彼の伝統音楽の膨大な知識にデビッド達は触発された。この期間、ニューヨークのグリーンウィッチ・ビレッジはフォーク・ミュージシャン達でにぎわっていた。デビットは自分が人生を音楽に委ねたいと願っている事に気が付いた。1963年、グリスマンはEven Dozen Jug Bandに加入しミュージシャンとしての活動を始めた。その年にElektra Recordsでアルバムのレコーディングを行った。

1963年にはレッド・アレンやフランク・ウェイクフィールドとのセッションをFolkways Recordsでレコーディング、その後1966年までレッド・アレン&ケンタッキアンズとの共演はなかった。同1966年、グリスマンは"Early Dawg"のレコーディングを行った。ニューヨークでのライブのレコーディングは、ギタリストでボーカルのデル・マークリーや、ベースのジェリー・マークリーをフィーチャリングしている。このアルバムは、1980年までリリースされなかった。1967年にはトム・パキスタンのアルバム"Morning Again"でマンドセロを演奏している。

1967年には、ピーター・ローワンと共に、アース・オペラ(Earth Opera)と呼ばれるサイケデリック・ロックバンドを結成。1973年にはOld in the Wayというブルーグラスバンドを結成。メンバーは、ピーター・ローワン、バッサー・クレメンツジェリー・ガルシア、ジョン・コーアン。このバンドにおいて、ガルシアがグリスマンに"Dawg"のニックネームをつけた。その由来はというと、スティンサン・ビーチで運転するグリスマンの姿が犬によく似ていたからである。1974年、グリスマン、ローワン、リチャード・グリーン(Richard Greene)、ビル・キース、クラレンス・ホワイト(Clarence White)と共にミュールスキナーに加入。同1974年、グリスマンはThe Great American Music Bandにも在籍。1975年に自らのバンド、デビッド・グリスマン・クインテット(David Grisman Quintet, DGQ)を結成。1977年に最初のアルバムをリリース。

同1977年にはボニー・ライッツ(Bonnie Raitt)のアルバム"Sweet Forgiveness"にてマンドセロも演奏している。

DelFestでのDavid Grisman Bluegrass Experienceの演奏, 05/30/2010

クインテットでの演奏に加えて、自身のブルーグラスバンドであるDGBX(David Grisman Bluegrass Experience)でも演奏をしている。DGBXの他のメンバーは、バンジョーにキース・リトル(Keith Little)、フィドルにチャド・マニング(Chad Manning)、ギターにジム・ヌナリー(Jim Nunally)、アップライトベースにサムソン・グリスマン(Samson Grisman)である。その他、ジョン・セバスチャン(John Sebastian)とのデュオでのツアーやアルバムのレコーディングを行っている。また、トラディショナルやコンテンポラリーなフォークチューンのアルバム"Common Chord"にも参加している。

Dawgについて

彼のニックネームである"Dawg"は1973年に彼の盟友であるジェリー・ガルシアによって親しみを込めて名付けられた。二人の出会いは、1964年にペンシルバニア州ウェストグルーブのサンセット・パークで開かれたビル・モンローのライブであった。後に言われるようになる"Dawg Music"とは、グリスマンがブルーグラスとジャズを融合させた音楽の事である。彼のアルバム"Hot Dawg"(1978年8月レコーディング、1979年リリース)にもその名が現れている。グリスマンが用いたジャズは、ジャンゴ・ラインハルトステファン・グラッペリの影響を大きく受けている。ステファン・グレッペリは"Hot Dawg"で二曲の演奏に参加し、1981年にはグリスマンと共にライブのレコーディングも行った。"Dawg Music"にはジャズ・フュージョンやジャズ、ブルーグラス、フォーク、オールド・ワールドミュージック、地中海の弦楽演奏などが混合され反映されている。

メディア

  • ドキュメンタリー映画、"Grateful Dawg"(08/14/2001)。ジェリー・ガルシアとデビッド・グリスマンの深い友情を収めた映画。
  • グレイトフル・デッドのアルバム"American Beauty"(1970)に出演
  • グリスマンは多くのブルーグラス曲をBig Bad Mama(Roger Corman, 1974)のために書いている。これらの曲はGreat American Music Bandによって演奏され、Bill Wolfによってレコーディングとミックスが行われた。その他、Capone(1975), Eat My Dust!(1975), King of the Gypsies(1978)にも楽曲を提供している。
  • 2007年5月、デビッド・グリスマンはアップロードされた自身の楽曲を保護する義務があるとしてYouTubeを連邦裁判所に提訴。グリスマンの弁護士は、訴訟を自主的に取り下げた。
  • グリスマンは第6回、第7回のIndependent Music Awardsの審査員を務めた。
  • グリスマンの曲、Dawggy Mountain BreakdownはNPR's Automotive Talk Show Car Talkのオープニングに使われている。

家族

グリスマンは現在3番目の妻であるTracy Bigelowと結婚している。グリスマンにはサムソン、ギリアン、モンローの3人の子供たちがいる。

サムソンはベーシストで、ナッシュビルに住んでおり、しばしばデビッドと共演する。ギリアンは、映画製作者で、カルフォルニア州ノーバートに在住。Grateful Dawgや、ミュージック・ドキュメンタリー Village Music: Last of the Great Record Storesのディレクターを務めている。

モンローはブルーグラスのパイオニアであるビル・モンローにちなんで名づけられた。彼はフェアファックスに住んでおり、トム・ペティー(Tom Petty)のトリビュートバンドであるPetty Theftで演奏をしている。

ディスコグラフィー

グリスマンは自身のバンド(DGQ, Old and the Way)からアルバムをリリースしてきた。また、ジェリー・ガルシア、アンディ・スタットマン、マーティン・テイラー、ジョン・セバスチャン、トニー・ライスといった仲間たちと演奏をしたり、ピーター・ローワンとサイケデリック・バンドであるEarth Operaで演奏をしてきた。また多くのソロレコードや様々なジャンルのアーティストたちとのレコーディングを行ってきた。

Acostic Discは1990年にグリスマンによって作られたレコードレーベルである。このレーベルはカルフォルニアのサン・ラファエルに拠点をおき、フォーク、ブルーグラス、ニュー・アコースティック・ミュージックを専門とする。

脚注