「大阪市立東中学校」の版間の差分
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2020年3月23日 (月) 13:20時点における版
大阪市立東中学校 | |
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国公私立 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
併合学校 |
大阪市立東中学校(旧) 大阪市立船場中学校 |
設立年月日 | 1988年4月1日 |
創立記念日 | 6月26日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | なし |
分校 | なし |
所在地 | 〒540-0008 |
大阪市中央区大手前4丁目1番5号 北緯34度40分59.4秒 東経135度31分5.3秒 / 北緯34.683167度 東経135.518139度座標: 北緯34度40分59.4秒 東経135度31分5.3秒 / 北緯34.683167度 東経135.518139度 | |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:学校/中学校テンプレート |
大阪市立東中学校(おおさかしりつ ひがしちゅうがっこう)は、大阪府大阪市中央区大手前にある公立中学校。
沿革
都心部の人口の減少により、当時の東区にあった大阪市立東中学校(1947年創立)と大阪市立船場中学校(1950年創立)の2校を統合して、1988年に東区(現・中央区)大手前に新設した。なお、旧・東中学校と現・東中学校は同名だが、旧・東中学校は船場中学校と対等統合して閉校し、新たに現在の東中学校を設置した形になっている。
旧・大阪市立東中学校(現在の中央区釣鐘町)の跡地は、大阪市立中央高等学校(1992年開校)となっている。また旧・船場中学校(現在の中央区糸屋町)の跡地は1992年11月、旧関西電力扇町営業所跡地(現在の北区役所・北区民センター・キッズプラザ大阪)との土地交換で関西電力所有となり、その後2007年1月に高層マンションが完成した。
前身校の沿革
1947年の学制改革により、当時の東区に大阪市立東第一中学校が設置された。東第一中学校は旧北大江国民学校[1]跡を転用する形で設置し、当時の東区全域を校区とした。
大阪市立中学校の名称は、学制改革直後は「行政区名+番号」の仮称で出発した。しかし中学校名に番号ではなく地名などを取り入れた名称へと変更する方針が出された。これに伴い東第一中学校は1949年に大阪市立東中学校へと改称した。
また1949年には東中学校の分教場を、戦災で廃校となった旧中大江東国民学校[2]跡に設置した。分教場は1950年に独立校となり、大阪市立船場中学校となった。
年表
- 1947年 - 大阪市立東第一中学校を設置。
- 1949年 - 大阪市立東第一中学校を大阪市立東中学校と改称。
- 1949年 - 東中学校の分教場を設置。
- 1950年 - 東中学校の分教場が独立校となり、大阪市立船場中学校として発足。
- 1988年3月31日 - 東・船場の両校が閉校。
- 1988年4月1日 - 従来の2中学校を統合、大阪市立東中学校として開校。
- 1989年6月26日 - 開校式を実施。この日を創立記念日とする。
通学区域
出身者
現・大阪市立東中学校
- 川辺泰三 - プロバスケットボール選手(bjリーグ・京都ハンナリーズ所属):1998年卒業
旧・大阪市立東中学校
旧・大阪市立船場中学校
- 山本義隆 - 予備校講師、元東大全共闘議長
- 船場太郎 - 大阪市会議員、喜劇俳優、元吉本新喜劇団員
- 権世幸蔵 - 元大阪市会議員
- ひろさちや - 仏教評論家
- 石井好二郎 - 同志社大学教授
- 内藤剛志 - 日本の俳優、タレント、司会者
- 福田進一 - クラシックギター奏者
- 加納 繁照 - 加納総合病院院長(大阪市北区)
- 杉本末雄 - 立命館大学名誉教授
- 森本兼ひさ - 大阪大学名誉教授
- 湯川秀男 - 丸二倉庫株式会社社長
- 新川賢一郎 - 精神科医、新川医院長