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2020年3月23日 (月) 15:22時点における版
大阪府立泉尾高等学校 | |
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大阪府立泉尾高等学校 | |
過去の名称 |
大阪府立第七高等女学校 大阪府立泉尾高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
校訓 | 純真清楚・質実剛健 |
設立年月日 | 1921年3月31日 |
創立記念日 | 6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
高校コード | 27131E |
所在地 | 〒551-0031 |
北緯34度39分31.4秒 東経135度28分12.9秒 / 北緯34.658722度 東経135.470250度座標: 北緯34度39分31.4秒 東経135度28分12.9秒 / 北緯34.658722度 東経135.470250度 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立泉尾高等学校(おおさかふりつ いずお こうとうがっこう)は、大阪府大阪市大正区にある公立の高等学校。
概要
1921年に創立。高等女学校時代からの校訓は「純真清楚」。校是は、学制改革時の交流先旧制今宮中学校から引き継いだ「質実剛健」。校章は泉尾高等女学校校章の『純真清楚』を象徴する白百合のふちと、今宮中学校校章の星から『たくましく知性の燦めき』 という意味で有名なオリオン星の三稜(三ツ星)をとり、それらを組み合わせたものの中央に「高」の字を配置したデザインを採用している。
全日制普通科だがコース制も導入し、多様な選択科目を設置している。また、英語と数学の授業では少人数指導も導入し、2007年度から大阪府教育委員会からアクティブ・ハイスクールに指定され、教頭2人体制、キャリアアドバイザー配置などを実施し、夏には隣接のセミナーハウス(同窓会館「白稜会白百合会館」)で勉強合宿を実施している。
6月の体育祭と11月の文化祭をあわせて「泉高祭(いずこうさい)」と呼ぶ。体育祭は、各学年を6つないし7つに分割し、上下級生で一体の「団」と呼ばれる“縦割り”チーム編成で激しい応援を競うのが特色。11月に開かれる文化祭は模擬店の多さ、全クラスが個別に垂れ幕を作りPRするのが特色。舞台演劇、ヒップホップダンス、軽音楽部によるバンド演奏のほか、同校教師陣による「先生バンド」がフィナーレを飾る。
毎夏、生徒会執行部が24時間テレビチャリティーキャンペーンにあわせ地元商店街に夜店を出し、売上げ金を寄付している。また、大阪市環境局の協力で、地域清掃活動「泉高クリーンウォーク」を定期的に行っている。
沿革
1921年3月31日付で大阪府立第七高等女学校として設立認可され、同年4月8日より大阪市西区市岡町(現在の港区波除2丁目)の大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を仮校舎として授業を開始した。
翌1922年4月1日付で大阪府立泉尾高等女学校と改称し、同年6月1日に西区泉尾町(現在地)に移転している。現在地へ移転した6月1日を創立記念日としている。
1923年6月には制服が制定された。府立高等女学校で制服が制定されたのは、泉尾高等女学校が初めてである。また1924年2月には府立高等女学校で初となる鉄筋コンクリートの新校舎が落成している。
1934年9月21日の室戸台風では校舎が被災し、しばらく授業中止となった。
1940年には校内に大阪府泉尾臨時教員養成所を併設した。臨時教員養成所は終戦直後の1945年9月に閉鎖されている。
同窓会・白百合会(1982年白稜会に改称)が母体となり、1941年に郊外学舎・白百合学園設立を決定した。白百合学園は奈良県生駒郡生駒町俵口(現在の生駒市俵口町)に設置され、郊外農園での農作業のほか、白百合幼稚園を併設して保育実習も実施していた。
太平洋戦争の戦局悪化により、生徒は1944年以降近隣の工場に勤労動員された。1945年3月13日の第一次大阪大空襲では校舎が被災した。
1945年3月から終戦まで大阪府立泉尾高等女学校・大阪府立市岡高等女学校・私立明浄高等女学校の大半の生徒は、国家の命により、大阪府枚方市にあった陸軍造兵廠香里製造所において、昼夜二交代で火薬の粉塵が舞う劣悪な環境の中、爆弾・砲弾の製造作業に従事。この体験を無にしないため、同地には非戦の誓いの碑が建てられている。
1948年の学制改革により、大阪府立泉尾高等学校となった。大阪府立今宮高等学校(旧制今宮中学校)および大阪市立南高等学校(旧制南高等女学校)と生徒・教職員を交流し、男女共学となった。
1978年に校舎改築工事が開始され、1981年3月に完成している。
大阪府教育委員会は、2016年11月18日の教育委員会会議において、泉尾高等学校を大阪府立大正高等学校と再編統合することを決定した。そして、2018年から生徒の募集を停止した。2018年4月1日、両校を統合し、泉尾高等学校校地に大阪府立大正白稜高等学校が開校した。[1]2020年2月28日、第72回卒業証書授与式及び閉校式が実施された[2]。
年表
- 1921年3月31日 - 大阪府立第七高等女学校として開校。
- 1921年4月8日 - 大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を仮校舎として授業を開始。
- 1922年4月1日 - 大阪府立泉尾高等女学校と改称。
- 1922年6月1日 - 現在地に移転。
- 1940年 - 校内に大阪府泉尾臨時教員養成所を併設。
- 1948年 - 学制改革により大阪府立泉尾高等学校と改称する。大阪府立今宮高等学校・大阪市立南高等学校と生徒を交流、男女共学制に移行する。新制高校としての校歌を制定。
- 1960年11月3日 - 長野県・白馬乗鞍高原に山岳・スキー合宿施設「泉嶺ヒュッテ」竣工。
- 1961年 - 新プール竣工。
- 1978年 - 校舎の全面改築が始まる。
- 1981年1月13日 - 新体育館兼講堂竣工。
- 2002年 - 制服デザインを一新(翌2003年新入生から導入)。
- 2018年 - 生徒募集停止。同年、4月1日、大阪府立大正高等学校と統合され、泉尾高等学校校地に大阪府立大正白稜高等学校開校。
- 2020年 2月28日- 閉校式。
- 2020年 3月31日- 閉校予定。
出身者
学者
- 姫野洋司 - 元大阪府立大学副学長
- 小見山二郎 - 東京工業大学名誉教授
- 本間琢也 - 筑波大学名誉教授、元NEDO理事、燃料電池開発情報センター顧問
- 谷口靖弘 - 大阪芸術大学短期大学部教授
- 近藤嘉秀 - 近畿大学原子力研究所
- 米田敏幸 - 考古学者
- やすいゆたか(保井温) - 哲学者
- 和田隆夫 - 大阪体育大学名誉教授
芸術・芸能
- 礒田保男 - 建築家
- 菊伊都典江 - 箏曲・地歌
- 黒木曜子 - 歌手
- 柏木百代 - 元タカラジェンヌ(宝塚歌劇団35期生)、宝塚歌劇団卒業生、女優
- 樋本栄 - オペラ歌手
- 水野正敏 - ベーシスト
- 高嶋悠光 - 書道家
- 西前忠久 - 声優
- KiYO - ミュージシャン
- 都賀豊子 - 元宝塚歌劇団男役、宝塚歌劇団卒業生
- 黒川博行 - 小説家
- 松尾太陽 - 俳優・超特急 (音楽グループ)タカシ
経済
スポーツ
- 田尾安志 - 元プロ野球選手
- 小久保浩樹 - 元プロ野球選手
- 星川学 - 元社会人野球ヤマハ硬式野球部主将。
- 奥野剛 - プロスケートボードライダー(プロスケーター)
- 鹿間梨沙 - ボウリング(プロボウラー)
その他
- 岩根忍 - 将棋(女流棋士)
関係者
交通
- 大阪環状線・Osaka Metro長堀鶴見緑地線大正駅 南西へ約1.2 km。
- 大阪シティバス 永楽橋筋バス停 西へ約400m。または泉尾三丁目バス停 東へ約200m。
- 大阪環状線・Osaka Metro中央線 弁天町駅 南西へ約2km。
参考文献
- 大阪府立泉尾高等学校『創立80周年記念誌』2001年。