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2020年3月23日 (月) 15:52時点における版

太閤園(たいこうえん)は、大阪府大阪市都島区網島町にある藤田観光によって運営されている宴会場結婚式場レストラン

概要

外観

藤田財閥の総帥である藤田伝三郎が建てた「網島御殿」、「あかがね御殿」などと称された広大な藤田邸がもととなっている。藤田邸の敷地は伝三郎の死後子息達にそれぞれ相続されたが、次男の徳次郎が受け継いだ東邸を中心とする東部が太閤園の直接の母体となった。

1945年昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲により藤田邸は東邸・鉄筋コンクリート造りの蔵・多宝塔を残して大半が焼失、戦後、その敷地は分割される事となった。

藤田邸の中央部は1954年(昭和29年)に鉄筋コンクリート造りの蔵を本館とし、多宝塔を擁する藤田美術館として開館した。そして、東邸を中心とする東部は藤田観光が1959年(昭和34年)に、東邸を「淀川邸」と名称を改めて新たに多数の建物をも建築してオープンした。現在では日本庭園や淀川邸を始めとした12の宴会場の他、多数の結婚式場やレストランを備えている。

淀川邸

現在は淀川邸と呼ばれている旧藤田家東邸は、1910年明治43年)に伝三郎が次男の徳次郎の住まいとして設計し、伝三郎の死後の1914年大正3年)に竣工した御殿である。料亭淀川邸として全13室で営業を行っている。なかでも、藤田家は皆、を嗜んでいたこともあって、書院造の客間である羽衣の間は十五畳敷き三室の建具を外し、畳を上げると能舞台及び橋掛かりとして使用できる作りとなっており、現在でも引き続いて使用されている。

「心」の字に配された池を中心とした築山式回遊庭園は約8000平方メートルの敷地内のほぼ半分を占めており、無料で見学ができる。庭園には東大寺のものであったという大きな礎石の他、石仏石塔などが展示されている。

なお、かつての藤田邸の敷地は現在中央部が藤田美術館、東部が太閤園、南部が大阪市公館(現:ザ・ガーデンオリエンタル大阪)、北西部が藤田邸跡公園となっている。

交通

周辺情報

参考文献

  • 砂川幸雄『藤田伝三郎の雄渾なる生涯』草思社、1999年

外部リンク