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「大宮 (大阪市東淀川区)」の版間の差分

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== 交通アクセス ==
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== 出典 ==
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2020年3月23日 (月) 16:16時点における版

大宮
所在地 大阪市東淀川区大道南3丁目2-2
位置 北緯34度44分31.5秒 東経135度32分49.6秒 / 北緯34.742083度 東経135.547111度 / 34.742083; 135.547111座標: 北緯34度44分31.5秒 東経135度32分49.6秒 / 北緯34.742083度 東経135.547111度 / 34.742083; 135.547111
主祭神 安閑天皇
社格 旧村社
例祭 4月17日(春祭)7月20日(夏祭)
10月22日(例祭)
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大宮(おおみや)は、大阪市東淀川区大道南に鎮座する神社。旧称で大宮神社(おおみやじんじゃ)とも呼ばれる。古くは蔵王権現牛頭天王大宮大権現大宮大明神と呼ばれた。

祭神

相殿

歴史

日本書紀』に 安閑天皇がしばしば当地に行幸、牛を放牧して開発をはかったとあり、後にその遺徳を偲び地主の神、素盞鳴命の社に祭祀。また、『大正大阪風土記』(1926)には聖徳太子は初め四天王寺を当地に計画したが、洪水が多いため今の天王寺に建立されたと記し、大阪市に編入される大正14年(1925年)まで西成郡豊里村天王寺庄と称し、豊里の名も太子の別称豊聡耳皇子による。

  • 明治5年(1872年)、村社に列し、大宮神社と称す。
  • 明治33年(1900年)5月25日、淀川改修のため、旧淀川北岸より遷座。
  • 明治43年(1910年)、大宮と改める。
  • 明治43年(1910年)10月、上の島の豊国神社(天手力男命)を合祀。
  • 明治44年(1911年)5月、神饌幣帛料供進社に指定される。
  • 大正8年(1919年)6月、橋多賀神社(大己貴命)を合祀。

境内

かつては樹木多く、大宮森と呼ばれ、淀川を通る船の目印とされ、江戸時代には京都東本願寺の棟木に松を献上したという。

交通アクセス

出典

  • 井上正雄「大阪府全志」(1922年)全国書誌番号:73012615
  • 大阪府神道青年会「大阪府神社名鑑」(1971年)
  • 大宮社務所編「豊里鎮守 大宮略記」

外部リンク