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2020年3月23日 (月) 16:33時点における版
大阪市立南港緑小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
校訓 | 強いからだ・豊かな心・耐え抜く力 |
設立年月日 | 1980年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒559-0033 |
北緯34度37分39.4秒 東経135度25分39.2秒 / 北緯34.627611度 東経135.427556度座標: 北緯34度37分39.4秒 東経135度25分39.2秒 / 北緯34.627611度 東経135.427556度 | |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:学校/小学校テンプレート |
大阪市立南港緑小学校(おおさかしりつ なんこうみどり しょうがっこう)は、大阪府大阪市住之江区(咲洲)にあった公立小学校。2013年4月の児童数は152人[1]だった。
南港ポートタウンで2番目の小学校として、1980年に大阪市立南港光小学校より分離開校した。地域の諸団体と連携し、老人会との交流や田植え体験活動などを実施していた。
児童数減少の影響に伴い、近隣の南港渚小学校と統合して、南港南中学校と小中一貫の南港みなみ小学校に改編され、2018年3月に閉校した。
沿革
- 1980年4月1日 - 大阪市立南港緑小学校として開校。当初は大阪市立南港光小学校に仮校舎を設置。
- 1980年8月25日 - 現在地に校舎竣工、移転。
- 1980年9月1日 - 現在地での授業を開始。
- 1981年2月23日 - 校歌・校章制定。
- 2018年3月31日 - 閉校。
通学区域
- 大阪市住之江区 南港中1丁目・2丁目、南港東5丁目。
- 卒業生は大阪市立南港南中学校に進学する。
交通
出身者
公募校長の辞任
2012年7月、大阪市で市立学校活性化条例が成立し[2]、2013年4月、公募で採用された外資系証券会社などで働いた経験を持つ、38歳の民間人校長が着任し、児童が校長室に入りやすいよう、室内を隠す仕切りを取り払ったりしていたが[1]、就任からわずか3ヶ月の6月25日付けで退職した。退職理由として年功序列による校長の中で最も低い給料、自身の経験が生かせる英語教育に力を生かせる学校ではなく、基礎学力の習得を重視する必要のある学校に配属されたこと[2]、若いことから小規模校に配属されたことに不満をもらした[3]。
脚注
- ^ a b “「給料最低」「外資の経験生かせぬ」3カ月で辞めた38歳・公募民間校長がぶちまけた“不満の中身”…謝罪なし、児童たちは泣き出した 1/3”. 産経新聞 (2013年6月29日). 2013年7月9日閲覧。
- ^ a b “「給料最低」「外資の経験生かせぬ」3カ月で辞めた38歳・公募民間校長がぶちまけた“不満の中身”…謝罪なし、児童たちは泣き出した 1/3”. 産経新聞 (2013年6月29日). 2013年7月9日閲覧。
- ^ “給料最低・小規模校…民間人校長、謝罪なき退職”. 読売新聞 (2013年6月26日). 2013年7月9日閲覧。