「道頓堀東映」の版間の差分
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2020年3月23日 (月) 17:44時点における版
道頓堀東映 Dohtonbori Toei | |
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情報 | |
通称 | 道頓堀東映、道頓堀東映パラス |
正式名称 | 道頓堀東映 |
旧名称 | 大阪東映劇場 |
完成 | 1955年 |
開館 | 1955年3月28日 |
開館公演 | 喧嘩奉行 / 百面童子[1] |
閉館 | 2007年4月20日 |
最終公演 |
鉄道員(東映) 蟲師(パラス) |
収容人員 | (2館合計)945人 |
設備 | ドルビーデジタル |
用途 | 映画上映 |
運営 | 東映株式会社 |
所在地 |
〒542-0071 大阪府大阪市中央区道頓堀1丁目4-27 |
アクセス |
大阪市営地下鉄御堂筋線なんば駅14番出口から東へ徒歩5分 大阪市営地下鉄堺筋線・千日前線日本橋駅2番出口から西へ徒歩3分 |
道頓堀東映(どうとんぼりとうえい)は、かつて大阪府大阪市中央区道頓堀に所在していた東映系の映画館である。
歴史
- 前身は承応元年(1652年)開業の朝日座。明治41年(1908年)に松竹が買収し、それから3年後の明治44年(1911年)から映画興行を開始していたが、昭和20年(1945年)に発生した大阪大空襲により焼失。その後廃座となった。
- 昭和30年(1955年)3月28日、朝日座跡地を東映が買い取り、関西地区初となる東映系映画館として「大阪東映劇場」がオープン。4年後の昭和34年(1959年)3月20日、梅田東映が開館したのを機に「道頓堀東映」に改称。その後洋画ロードショー館「道頓堀東映パラス」を地下に新設した。
- 大阪市内における東映系のチェーンマスターとして長らく営業してきたが、建物の老朽化や、浪速区難波中にある複合商業施設『なんばパークス』内にシネマコンプレックス「なんばパークスシネマ」がオープンすることも重なり、平成19年(2007年)4月20日をもって閉館。最後の2日間となる4月19日と20日は“転生・道頓堀東映52年物語”と題したイベントを開催。浜村淳や北大路欣也のトークショーなどが行われ52年の歴史に幕を閉じた[1]。この劇場の閉館により、「東映パラス」と名の付く映画館はすべて姿を消した。
- 跡地は同年9月にゴールドマン・サックスグループが64億6千万円で取得したと報じられたが[2]、その後は進展のないまま更地状態が続いていた。2016年(平成28年)、道頓堀東映跡地に「道頓堀ベニスビル1」が竣工。同ビルの1階に「マツモトキヨシ道頓堀1丁目店[3]」、2階に「エディオン道頓堀店」(同年9月24日オープン[4])が入居している。
データ
関連項目
出典
- ^ a b c “北大子欣也“華麗なる”道頓堀東映エンディング”. ZAKZAK (産業経済新聞社). (2007年4月13日) 2015年8月29日閲覧。
- ^ “【売買】ゴールドマン・サックス、大阪の道頓堀東映を約65億円で取得”. 日経不動産マーケット情報 (日経BP). (2007年9月19日) 2015年8月29日閲覧。
- ^ a b “マツモトキヨシ道頓堀1丁目店”. お店検索. マツモトキヨシ. 2016年12月13日閲覧。
- ^ a b "「エディオン道頓堀店」グランドオープンのお知らせ" (Press release). エディオン. 9 September 2016. 2016年12月13日閲覧。