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== 略歴 ==
== 略歴 ==
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[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]で埼玉8区から出馬し比例で2選<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-11-10/01_03.html しんぶん赤旗、2003年11月10日]</ref>。

2020年3月24日 (火) 23:22時点における版

塩川 鉄也
しおかわ てつや
生年月日 (1961-12-18) 1961年12月18日(63歳)
出生地 日本の旗埼玉県入間郡日高町(現:日高市
出身校 東京都立大学 (1949-2011)人文学部
前職 日本民主青年同盟埼玉西南地区委員長
日本共産党埼玉西南地区委員長
地方公務員(日高市)
日本共産党政党専従職員
現職 中央委員
経済産業部会長
総務部会長(郵政担当)
所属政党 日本共産党
称号 人文学士
公式サイト 塩川てつやホームページ

選挙区 比例北関東ブロック
当選回数 7回
在任期間 2000年 - 現職
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塩川 鉄也(しおかわ てつや、1961年12月18日 - )は、日本政治家日本共産党所属の衆議院議員(7期)。

略歴

埼玉県入間郡日高町(現:日高市)生まれ。埼玉県立川越高等学校を卒業して東京都立大学 (1949-2011)人文学部に入学して日本共産党に出会う[1][2]。東京都立大学では学生自治会委員長を務めながら、日本民主青年同盟に加入し埼玉西南地区委員長や日本共産党埼玉西南地区委員長も務める。大学卒業後、日高市役所に就職した。その後市役所勤務を経て日本共産党専従職員になり[2]1996年第41回衆議院議員総選挙に共産党公認で埼玉9区から出馬するが、落選。2000年第42回衆議院議員総選挙では埼玉8区に国替えし、小選挙区では落選するも重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し初当選した。

2003年第43回衆議院議員総選挙で埼玉8区から出馬し比例で2選[3]

2005年第44回衆議院議員総選挙で埼玉8区から出馬し比例で3選[4]

2006年1月、第24回党大会で党中央委員に選出された。

2009年第45回衆議院議員総選挙にて埼玉8区から出馬し比例で4選[5]

2012年第46回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、5選。

2014年第47回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、6選。

2017年第48回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、7選。

2020年1月第28回党大会第1回中央委員会総会で幹部会委員に選出された。[6]

政策・活動

人物

中学・高校と陸上部に在籍しており、走るのが速い。普段は赤坂議員宿舎を利用しているが、朝の時間に余裕がある時は自宅から国会議事堂へ通う。その際は自宅から新所沢駅まで30分歩いて、列車通勤(乗車時間約1時間)するという[14]

によると、几帳面な性格で、綿密な作業が得意であるという[15]

日高市の農家の出身。祖父は村長経験者。父は農業三富新田所沢市側にある自宅で妻と3人の娘、と暮らす。趣味は映画鑑賞、郷土史研究。漫画「ワンピース」が好き。家庭菜園の作業も行う。座右の銘は「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン[16][2]

所属団体・議員連盟

出演番組

脚注

外部リンク