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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
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卓越した語学力の持ち主であり、[[セーレン・キェルケゴール|キルケゴール]]、[[ウィリアム・ジェームズ]]、[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ|フォイエルバッハ]]、[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ|フィヒテ]]、[[アンリ・ベルクソン|ベルクソン]]、[[ルネ・デカルト|デカルト]]を翻訳。特にキルケゴールについては、独学でデンマーク語を学んで原典から翻訳し、それまでドイツ語訳を使用することの多かった日本の研究状況を一変させた。現在でも新版が刊行されている。ジェームズも文庫で重版されている。
卓越した語学力の持ち主であり、[[セーレン・キェルケゴール|キルケゴール]]、[[ウィリアム・ジェームズ]]、[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ|フォイエルバッハ]]、[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ|フィヒテ]]、[[アンリ・ベルクソン|ベルクソン]]、[[ルネ・デカルト|デカルト]]を翻訳。特にキルケゴールについては、独学でデンマーク語を学んで原典から翻訳し、それまでドイツ語訳を使用することの多かった日本の研究状況を一変させた。現在でも新版が刊行されている。ジェームズも文庫で重版されている。

2020年3月24日 (火) 23:48時点における版

桝田 啓三郎(ますだ けいざぶろう、1904年4月5日[1] - 1990年)は日本の哲学者(ドイツ・アメリカ哲学)。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。

来歴・人物

愛媛県喜多郡大洲町(現大洲市)生まれ。生糸物商桝田與三郎の三男[1]1930年法政大学文学部哲学科卒業[2]三木清の弟子であった。大学卒業後、法政大学で長く教鞭をとった。千葉大学東京都立大学 (1949-2011)などでも教えた。

卓越した語学力の持ち主であり、キルケゴールウィリアム・ジェームズフォイエルバッハフィヒテベルクソンデカルトを翻訳。特にキルケゴールについては、独学でデンマーク語を学んで原典から翻訳し、それまでドイツ語訳を使用することの多かった日本の研究状況を一変させた。現在でも新版が刊行されている。ジェームズも文庫で重版されている。

岩波書店『三木清全集』の編者の一人である。蔵書は、師の三木と同じく法政大学図書館に所蔵されている。趣味は読書[2]

家族・親族

桝田家

愛媛県大洲市、東京都杉並区天沼[2]

1935年 - 2007年

翻訳

  • 「アイロニーの概念」(三木清共訳)「反復」 キェルケゴール 「選集」改造社、1935
  • 「プラグマティズム」 ウィリアム・ジェイムズ 創元社、1952、のち「著作集」日本教文社 
  • 「形而上学入門」 アンリ・ベルクソン 世界大思想全集:河出書房、1953
  • 「唯心論と唯物論」 フォイエルバッハ 創元社、1953、のち角川文庫 
  • 「第一哲学についての省察 哲学の原理」 ルネ・デカルト 世界大思想全集:河出書房、1956、のち角川文庫
  • 純粋理性批判カント 高峯一愚共訳 世界大思想全集:河出書房、1956
  • 「現代のヨーロッパ哲学」 I.M.ボヘンスキー 岩波書店 1956
  • 「省察」 デカルト 世界文学大系・筑摩書房、1958 のち角川文庫  
  • 「誘惑者の日記 おそれとおののき 死にいたる病」 キルケゴール 世界文学大系・筑摩書房、1958
  • 『理性と革命 ヘーゲルと社会理論の興隆』 マルクーゼ、中島盛夫・向来道男共訳 岩波書店 1961
  • 『宗教的経験の諸相』全2巻、ウィリアム・ジェイムズ、「著作集」日本教文社、1962、新版1988
  • 『二つの教化的講話』 キルケゴール「全集」筑摩書房、1962
  • 「現代の批判 ほか」 キルケゴール 世界の名著・中央公論社、1966、のち新装版 
  • 『あれか-これか』 キルケゴール 「全集」筑摩書房、1966
  • 「個別的因果律の論理・真理と確実性・論理学における客観主義・日本の哲学に対するリッカートの意義」、『三木清全集 第2巻』、岩波書店、1966-三木の独文論文を訳す
  • 「作家と人間 諧謔的・哲学的アフォリズム集」 ルートヴィヒ・フォイエルバッハ 勁草書房 1971
  • ウィリアム・ジェームズ 『根本的経験論』 加藤茂共訳、白水社、1978、新版1998
  • フィヒテ 『フランス革命論-革命の合法性をめぐる哲学的考察』 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、1987

文庫・新書判

  • キルケゴール『反復』 岩波文庫、初版1956、改版1981
  • W・ジェイムズ『プラグマティズム』 岩波文庫、初版1957、改版2010
  • W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 岩波文庫(上下)、1969
  • キルケゴール『現代の批判 他一篇』 岩波文庫、1981
  • キルケゴール『死にいたる病』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1996
  • キルケゴール『誘惑者の日記』 ちくま学芸文庫、1998
  • キルケゴール『死にいたる病 現代の批判』 中央公論新社中公クラシックス〉、2003 

脚注

  1. ^ a b 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』喜多郡まの部94-95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第15版 下』マ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月23日閲覧。

参考文献

  • 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』海南新聞社、1923-1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 桝田啓介「父の思い出-桝田啓三郎とキェルケゴール」、松木真一編『キェルケゴールとキリスト教神学の展望』 関西学院大学出版会に収録

外部リンク