「鈴木斌 (言語学者)」の版間の差分
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'''鈴木 斌'''(すずき たけし、[[1932年]][[10月9日]] - [[2005年]][[1月4日]])は、[[ウルドゥー語]]を専門のフィールドにした日本の学者([[言語学]]、[[文学]])<ref name="hagita" />、翻訳家である。 |
'''鈴木 斌'''(すずき たけし、[[1932年]][[10月9日]] - [[2005年]][[1月4日]])は、[[ウルドゥー語]]を専門のフィールドにした日本の学者([[言語学]]、[[文学]])<ref name="hagita" />、翻訳家である。 |
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[[東京府]]生まれ。1956年[[東京外国語大学]][[ヒンドゥー語|インド]]・[[パキスタン語|パーキスターン語]]科卒業、1958年[[東京都立大学]]大学院修士課程修了、1963年東京外国語大学[[講師 (教育)|講師]]、[[助教授]]、[[教授]]、1996年定年退官、名誉教授。1971年印度学仏教学会賞受賞。 |
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2020年3月25日 (水) 01:20時点における版
鈴木 斌(すずき たけし、1932年10月9日 - 2005年1月4日)は、ウルドゥー語を専門のフィールドにした日本の学者(言語学、文学)[1]、翻訳家である。
東京府生まれ。1956年東京外国語大学インド・パーキスターン語科卒業、1958年東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了、1963年東京外国語大学講師、助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。1971年印度学仏教学会賞受賞。
著書
- 『基礎ウルドゥー語』大学書林、1981年。
- 『基礎ウルドゥー語読本』大学書林、1986年。
- 『ウルドゥー語文法の要点』大学書林、1996年。
共編・編
- 『ウルドゥー語基礎会話』編 泰流社、1976年。
- 『ウルドゥー語会話練習帳』編 大学書林、1978年。
- 『ウルドゥー語基礎1500語』編 大学書林、1978年[2]。
- 『ウルドゥー語常用6000語』麻田豊共編、大学書林、1979年[2]。
- 『実用ウルドゥー語会話』ムハンマド・ライース・アラヴィー共著、大学書林、1987年。
- 『日本語ウルドゥー語小辞典』麻田豊共編、大学書林、1992年。
翻訳
- アフマド・ナディーム・カースミー『パルメーシャル・スィング カースミー短編集』編訳、大同生命国際文化基金〈アジアの現代文芸. パキスタン〉、1987年。
- サアーダット・ハサン・マントー『黒いシャルワール マントー短編集』片岡弘次共編訳、大同生命国際文化基金〈アジアの現代文芸. パキスタン〉、1988年。
- アフマド・ナディーム・カースミー『静寂 カースミー短編集』編訳、大同生命国際文化基金〈アジアの現代文芸. パキスタン〉、1988年。
- サアーダット・ハサン・マントー『グルムク・スィングの遺言 マントー短編集』片岡弘次共編訳、大同生命国際文化基金〈アジアの現代文芸. パキスタン〉、1990年。
- ハディージャ・マストゥール『ダーダーと呼ばれた女 K.マストゥール短編集』編訳、大同生命国際文化基金〈アジアの現代文芸. パキスタン〉、1992年。
- 『百葉花(1-3)』ムハンマド・ライース共編訳、大同生命国際文化基金、1991年-1994年。 - 萬葉集のウルドゥー語訳。
出典
- ^ 萩田, 博. “土井久彌氏、鈴木斌氏旧蔵寄贈文献について”. 2017年9月22日閲覧。
- ^ a b “日本のウルドゥー語教育の歩み”. 大阪大学外国語学部. 2017年9月22日閲覧。
参考
- 『現代日本人名録』2002年