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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
[[大阪市]][[十三 (大阪市)|十三]]で生まれ、幼少時に[[豊中市]]へ移り住む。[[東京都立大学]]へ進み、在学中は演劇部で活動した<ref>[https://www.shinchosha.co.jp/writer/991/ 著者プロフィール:大倉徹也] 新潮社</ref>。
[[大阪市]][[十三 (大阪市)|十三]]で生まれ、幼少時に[[豊中市]]へ移り住む。[[東京都立大学 (1949-2011)]]へ進み、在学中は演劇部で活動した<ref>[https://www.shinchosha.co.jp/writer/991/ 著者プロフィール:大倉徹也] 新潮社</ref>。


[[1956年]]から[[永六輔]]の誘いを受けて放送作家の活動を始め、『[[夢であいましょう]]』『[[8時だョ!全員集合]]』『[[小沢昭一の小沢昭一的こころ]]』など、数多くの芸能関係の[[テレビ番組|テレビ]]・[[ラジオ番組|ラジオ]]番組を手がけた。[[日本脚本家連盟]]の理事を20年以上勤めた。
[[1956年]]から[[永六輔]]の誘いを受けて放送作家の活動を始め、『[[夢であいましょう]]』『[[8時だョ!全員集合]]』『[[小沢昭一の小沢昭一的こころ]]』など、数多くの芸能関係の[[テレビ番組|テレビ]]・[[ラジオ番組|ラジオ]]番組を手がけた。[[日本脚本家連盟]]の理事を20年以上勤めた。

2020年3月25日 (水) 02:08時点における版

大倉 徹也(おおくら てつや、1932年 - 2019年2月4日[1][2])は、日本の放送作家

来歴・人物

大阪市十三で生まれ、幼少時に豊中市へ移り住む。東京都立大学 (1949-2011)へ進み、在学中は演劇部で活動した[3]

1956年から永六輔の誘いを受けて放送作家の活動を始め、『夢であいましょう』『8時だョ!全員集合』『小沢昭一の小沢昭一的こころ』など、数多くの芸能関係のテレビラジオ番組を手がけた。日本脚本家連盟の理事を20年以上勤めた。

また、阪急宝塚線沿線で生まれ育ったため阪急ブレーブスのファンとなり、純パの会代表を務めたこともあった[4]ため、パ・リーグに関する著作もある。

2019年2月4日、肺がんのため東京都目黒区の自宅で死去[1]。86歳没。

担当番組

ラジオ
テレビ

著書

  • 『涙をけとばせ - 今晩は森繁久彌です』(文化放送出版部 1967年森繁久彌川崎洋隅田宣と共著)
  • 『駅文化を考える』(日本放送出版協会 1988年
  • 『われらブレーブス人間 - ドキュメント「阪急」から「オリックス」へ』(菁柿堂 1989年田中正恭と共著)
  • 『ブレーブス人間の遺書』(菁柿堂 1991年
  • 『「超」文章読本』(影書房 1995年
  • 『小沢昭一的流行歌・昭和のこころ』(新潮社 2000年2003年に新潮文庫、小沢昭一と共著)
  • 『わが愛しきパ・リーグ』(講談社 2005年
  • 『放送作家の時間』[7](イースト・プレス 2019年)遺作

参考文献

  • 『われらブレーブス人間 - ドキュメント「阪急」から「オリックス」へ』
  • 『放送作家の時間』

脚注