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2020年3月25日 (水) 02:09時点における版
森本 清吾 (もりもと せいご) | |
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生誕 |
深澤 清吾 1900年1月26日 群馬県前橋市[1] |
死没 | 1954年6月19日(54歳没) |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 数学 |
研究機関 |
東京物理学校 広島高等工業学校 東北帝国大学 群馬大学 |
プロジェクト:人物伝 |
森本 清吾(もりもと せいご、1900年(明治33年)1月26日 - 1954年(昭和29年)6月19日[2])は、日本の数学者。妻は女性数学者の先駆け森本治枝で、清吾の急逝後に女手一つで育て上げた子供4人とも大学教授となっている。
略歴
「群馬近代蚕糸業の祖」といわれる養蚕製糸業「研業社」オーナーで、前橋英和女学校(現・共愛学園前橋国際大学)創設者の深沢(深澤)利重[3][4]の五男として生まれる。
勢多農林学校卒業後、独学で教員検定試験に合格する。東京物理学校(現・東京理科大学)講師、東北帝国大学(現・東北大学)理学部数学科の助手、広島高等工業学校(現・広島大学工学部)教授などを経て1950年(昭和25年)群馬大学教授となる。
第二次世界大戦前の1938年、数学教育誌「高等数学研究」に「ランチェスターの2次則モデルの兵力集中効果の応用として、敵兵力分断の各個撃破戦術」を論じている。このランチェスター・モデルの拡張研究は「欧米では第二次世界大戦中の米海軍のORG(オペレーションズ・リサーチ)の研究まで待たねばならない」のに比べて、早い段階で研究していた点を「注目に値する」と執筆から70年以上経った現在、軍事ORの専門家から高く評価されている[5]。
人物
東北帝大の助手だった1924年、新入生の森本治枝に交際を申し込み、1927年(昭和2年)3月の治枝の卒業を待って同年6月、周囲から反対されたが結婚した。この時、姓を深澤から「森本」に改称している。(妻・治枝の姓に合わせた)。
その後、子供4人に恵まれたが、清吾が群馬大学教授に就任4年後に急逝。(享年54)。残された妻の治枝は女手で子供を育て上げ、長男の治樹は数学者(大阪市立大学名誉教授)、次男の雅樹は天文学者(国立天文台と鹿児島大学の名誉教授)、三男の芳樹は経済学者(九州大学元経済学部長で名誉教授)、四男の英樹は生物物理学者(元大阪大学助教授)と、4人とも第一線の研究者になっている。
次男の雅樹は、父である清吾について「ああ嫌だな、こんな大人になりたくないな、と思ったこともあった」とし、「それが今、全部、自分」に引き継がれ、雅樹の「一貫性なく場当たり的」な性格を生んでいるとした上で、それでも兄弟4人とも教授になれたのは「(何事も理屈で考える)母が偉かった」おかげ、と学者夫婦の父母を評している[6]。
なお、清吾と治枝は葬儀をめぐり後日談がある。治枝は、結婚に合わせ清吾と同じキリスト教(正教徒)の洗礼を受けていたが清吾の死後、教会から足も遠のいていた。ただ、治枝は最期を迎える時も清吾への愛情と「理屈」を均等に重んじ、「私が(仏式で)極楽に行ったのでは(天国の清吾に)会えない」として、清吾と同じ日本ハリストス正教会教団の東京復活大聖堂(ニコライ堂)で葬儀を希望。1995年(平成7年)治枝の葬儀(埋葬式)が営まれ、学者夫婦は41年ぶり“天国”で再会した[7]。
著書
脚注
- ^ 産経新聞1997年(平成9年)8月18日夕刊【話の肖像画】宇宙に乾杯!電波天文学の権威 森本雅樹さん(4)
- ^ 森本清吾(もりもと せいご)とは - コトバンク
- ^ 深沢利重(ふかさわ とししげ)とは - コトバンク
- ^ 産経新聞1997年8月18日夕刊【話の肖像画】宇宙に乾杯!電波天文学の権威 森本雅樹さん(4)
- ^ 国防の危機管理と軍事OR(飯田耕司著、三恵社、2011年)
- ^ 産経新聞1997年8月18日夕刊【話の肖像画】宇宙に乾杯!電波天文学の権威 森本雅樹さん(4)
- ^ 産経新聞1995年3月18日朝刊 葬送 数学者・森本治枝さん(17日東京都千代田区・ニコライ堂)