コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「岡田豊日」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 首都大学東京関連1(リンクの修正、カテゴリ修正) - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 首都大学東京関連1(リンクの修正、カテゴリ修正) - log
50行目: 50行目:
[[Category:日本の昆虫学者]]
[[Category:日本の昆虫学者]]
[[Category:日本の分類学者]]
[[Category:日本の分類学者]]
[[Category:東京都立大学の教員]]
[[Category:東京都立大学の教員]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1910年生]]
[[Category:1910年生]]

2020年3月25日 (水) 02:46時点における版

岡田 豊日
生誕 1910年5月20日
日本の旗 日本 東京都港区
死没 (2000-01-27) 2000年1月27日(89歳没)
日本の旗 日本 群馬県前橋市
国籍 日本の旗 日本
研究分野 昆虫学
研究機関 東京大学台北帝国大学東京都立大学 (1949-2011)
主な業績 ショウジョウバエ科の分類学的研究
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

岡田 豊日 (おかだ とよひ、1910年5月20日 - 2000年1月27日) は、日本の昆虫学者東京都立大学 (1949-2011)名誉教授日本昆虫学会名誉会員、日本動物分類学会名誉会員。

日本のショウジョウバエ科昆虫分類学的研究を進めたことで知られる。息子は地質学者の岡田昭明[1]

略歴

1910年5月20日東京府麻布区笄町 (現:東京都港区麻布) に生まれた[1]

1933年、東京帝国大学(現:東京大学理学部動物学科に進学。丘英通に師事し、双翅目昆虫の形態学を研究[1]。卒業後東京市水道局日本大学第三中学校教諭を経て、東京帝国大学農学部の副手に着任[1]

第二次世界大戦時に台北に移り、台北帝国大学医学部助手、台湾省立衛生試験所顧問を歴任しながら研究活動を行った[2]。その後1946年12月に日本に帰還し、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) 経済科学局科学技術部顧問に就任[2]

1950年に東京都立大学 (1949-2011)理学部助教授に就任。ショウジョウバエの分類学、形態学、発生学的研究を進めた[2]。1956年にショウジョウバエ科の分類学的研究の結果をまとめたモノグラフ「Systematic Study of Drosphilidae and Allied Families of Japan」を出版し、これによって北海道大学理学博士を取得[2]。1960年、ショウジョウバエ科の比較形態学的研究の業績によって日本動物学会賞を受賞[1]。博士論文の題は 「日本産シヨウジヨウバエ科及びその類縁科の分類学的研究 」。 [3]

1958年に東京都立大学教授に就任。昆虫学者の多田内修など多くの後進を育てた[1]。1974年に同大を定年退職後、自宅に研究室を立てて研究活動を続けた[1]

2000年1月27日、群馬県前橋市前橋赤十字病院で、急性呼吸不全により死去。享年89。

著作

以下に示した著書、モノグラフの他に、150篇を数える原著論文がある[1]

  • こん虫の生活 (1955年、金子書房 絵:戸沢辰雄)
  • Systematic Study of Drosphilidae and Allied Families of Japan (1956年、技報堂)
  • Systematic study of the early stages of Drosophilidae (1968年、文化園芸社)
  • 岡田豊日博士論文選集 (1988年、岡田豊日博士論文集刊行会) - 非売品

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 鈴木邦雄 (2000) 岡田豊日先生を偲ぶ. 昆蟲. ニューシリーズ 3(1), 27-29
  2. ^ a b c d 山根柄根 (2000) 岡田豊日先生を偲んで. タクサ : 日本動物分類学会誌 (9), 1-3
  3. ^ 博士論文書誌データベースによると理学博士は 1957年3月とある