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[[東京都]][[新宿区]][[歌舞伎町]]の花屋に生まれる。父は[[暴走族]]「[[ブラックエンペラー]]」の2代目総長にあたる瓜田吉寿<ref name="isyo_p20" />(時期は不明だが両親は離婚しており、瓜田は母と暮らしていた)。
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小学校当時、すでに不良少年として知られ、中学2年に進級する際にはあまりの素行の悪さから、通っていた新宿区の中学校から[[杉並区]]内の中学校(高南中学校)へ強制的に転校させられた。そこで後の「関東連合」のメンバーである松島重や、「[[六本木クラブ襲撃事件]]」の主犯格である人物、他には柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男)などと交流をもつ。その後、17歳で暴力団員となり<ref>『遺書 {{small|関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆}}』 {{small|(p.99)}} 2014年 瓜田純士 [[太田出版]] ISBN 978-4-7783-1406-4</ref>、執行猶予期間中の2003年4月に[[覚せい剤取締法]]違反(所持及び使用)で逮捕され、3年半の懲役刑となる。
小学校当時、すでに不良少年として知られ、中学2年に進級する際にはあまりの素行の悪さから、通っていた新宿区の中学校から[[杉並区]]内の中学校(高南中学校)へ強制的に転校させられた。そこで後の「関東連合」のメンバーである松島重や、「[[六本木クラブ襲撃事件]]」の主犯格である人物、他には柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男)などと交流をもつ。その後、17歳で暴力団員となり<ref>『遺書 {{small|関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆}}』 {{small|(p.99)}} 2014年 瓜田純士 [[太田出版]] ISBN 978-4-7783-1406-4</ref>、執行猶予期間中の2003年4月に[[覚剤取締法]]違反(所持及び使用)で逮捕され、3年半の懲役刑となる。


刑務所に服役していた際、5500人が参加した刑務所内の文芸コンクールにて『mother』と題して発表した小説が大賞を獲得。人生初の「[[賞状]]」獲得経験となったこの出来事をきっかけに[[作家]]を志すようになったという<ref>『遺書 {{small|関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆}}』 {{small|(p.139)}} 2014年 '''瓜田純士''' [[太田出版]] ISBN 978-4-7783-1406-4</ref>。暴力団は服役中に脱退。[[カタギ]]となって出所する<ref>『遺書 {{small|関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆}}』 {{small|(p.138-140)}} 2014年 瓜田純士 [[太田出版]] ISBN 978-4-7783-1406-4</ref>。出所後、作家に転身。
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2020年4月22日 (水) 08:19時点における版

うりた じゅんし

瓜田 純士
生誕 (1979-12-04) 1979年12月4日(45歳)
日本の旗 日本
東京都新宿区歌舞伎町
別名  アウトローのカリスマ
元アウトローのカリスマ
出身校 東京・杉並区立高南中学校
職業 作家
活動期間 作家(2008年 - )
暴力団員(1996年 - 2006年)
身長 182 cm (6 ft 0 in)(中学2年生当時)
テンプレートを表示
瓜田 純士
YouTube
チャンネル
活動期間 2016年3月4日 -
ジャンル 映画アニメ
登録者数 約6.38万人
総再生回数 約1957.4万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年4月18日時点。
テンプレートを表示

瓜田 純士(うりた じゅんし[1]1979年12月4日[2] - )は、日本作家[3]。少年の頃より東京都内では有名な不良であり、10代の頃から10年間に渡り暴力団に所属していた[4]。それらの過去から『アウトローのカリスマ』、『元アウトローのカリスマ』の異名をもつ。

これまで様々なトラブルを起こしており(後述)、スキャンダラスな人物としても知られ[5]、「半端じゃない」を意味するインターネットスラング「パネェ」を普及させたともいわれている[6]

2018年4月には、過去に追放となっていた、元プロレスラーの前田日明が主催する総合格闘技イベント『THE OUTSIDER』に10年ぶりに参戦。

日刊サイゾー』では月一で瓜田のインタビューを掲載中。  

来歴

東京都新宿区歌舞伎町の花屋に生まれる。父は暴走族ブラックエンペラー」の2代目総長にあたる瓜田吉寿[2](時期は不明だが両親は離婚しており、瓜田は母と暮らしていた)。

小学校当時、すでに不良少年として知られ、中学2年に進級する際にはあまりの素行の悪さから、通っていた新宿区の中学校から杉並区内の中学校(高南中学校)へ強制的に転校させられた。そこで後の「関東連合」のメンバーである松島重や、「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格である人物、他には柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男)などと交流をもつ。その後、17歳で暴力団員となり[7]、執行猶予期間中の2003年4月に覚醒剤取締法違反(所持及び使用)で逮捕され、3年半の懲役刑となる。

刑務所に服役していた際、5500人が参加した刑務所内の文芸コンクールにて『mother』と題して発表した小説が大賞を獲得。人生初の「賞状」獲得経験となったこの出来事をきっかけに作家を志すようになったという[8]。暴力団は服役中に脱退。カタギとなって出所する[9]。出所後、作家に転身。

2008年、デビュー作『ドブネズミのバラード』(太田出版)を発表。翌2009年には『ピラニア 〜雨の街、俺たちの絆〜』(太田出版)、2010年には3冊目となる『泥だらけのありがとう』(武田ランダムハウスジャパン)を上梓[10]。2014年には『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』(太田出版)を発表。

その後も2015年に『國殺 ~国が國を殺している~』(竹書房)、2017年11月には電子書籍にて「熱帯夜」を発表。

2011年からタトゥーナビにて「瓜田純士の僕の心は顔面タトゥー」を不定期連載中。

その他

2009年に自身が主演するショートムービー『ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜』(GPミュージアム)を全国発売。同年には音楽イベント「新宿アースダム 〜KING OF TATTOO LIVE〜」に参加している。 

地下格闘技参戦

2008年
3月30日、前田日明のプロデュースによる格闘技大会「THE OUTSIDER」の旗揚げ大会に『新宿のカリスマ』として出場[11]。aym-jetと対戦し、aym-jetの負傷によるドクターストップにてTKO勝ち[12]
7月19日、「THE OUTSIDER 第弐戦」に出場[13]。大谷匡弘と対戦し、1R28秒レフェリーストップで敗北。[14]
12月26日、地下格闘技イベント「喧王」Zepp Osakaに参戦。招待戦スペシャルワンマッチでチョコボール金山と対戦し、判定により敗北。
2009年
1月18日、国立代々木第2体育館で開催されたムエタイ興行「ムエローク Japan 2009 〜最大最強のムエタイ祭り〜」で元ルンピニー・スタジアム認定ライト級王者チャンデー・ソーパランタレーと2分2Rのエキシビションマッチを行った。
4月10日、「喧王」2戦目、ジャックナイフ林にKO負け。
2010年
「KICK the ROOTS in 宇都宮」に参戦。智也と対戦し、1R58秒、KO負け。
2011年
11月6日、地下格闘技イベント「益荒男-MASURAO-第伍陣」に出場。覆面選手「ミスターX」と対戦。1ラウンド終了後、休息中のミスターXに攻撃を加え反則行為により没収試合となる[15]
2012年
1月15日、地下格闘技イベント「BERSERKER(バーサーカー)」の旗揚げ大会に出場[16]。この大会における内藤裕との「1分1ラウンド・ノーグローブ・判定ナシ」の金網戦をもって、地下格闘技から引退した[17]
2018年
10年ぶりに前田日明と和解し、4月28日「THE OUTSIDER」に復帰。
「瓜田純士に勝ったら10万円」という企画も付き、ファイナルマッチにて挑戦者と対戦するも、1R2分35秒、TKO負け。

諸騒動

自著や自作映画などによれば、不良として台頭した少年時代から15年間のうちに傷害覚醒剤使用などで12回もの逮捕歴があるという[18]。(日刊サイゾー 2012年5月8日のインタビューでは逮捕歴は23回と発言 )かつて参加していた地下格闘技界にあっても、「THE OUTSIDER」から、試合以外での規則違反などから追放処分を受ける等、問題児としてその名を馳せた[19]。(2018年4月、OUTSIDERを主宰する前田日明と和解。10年ぶりにOUTSIDERのリングに立った) 

JOYの姉、脅迫事件(2012年)

2012年には、モデルでタレントのJOYの姉(ソフィア・グリーンウッド[20])に対し、「家族や事務所ごと潰してやる」「芸能界から消えろ、弟がどうなっても知らないぞ」などと脅迫したとして逮捕されている[21]。この女性を歌手デビューさせようとして進めていたプロデュース計画が頓挫したことが事件の発端であったという[22]。当人いわく「つまらない痴話喧嘩」であるとのことで、結局無罪放免となり10日で釈放された[23]

刺傷被害事件(2013年)

2013年10月、千葉市内で何者かに腹部などを刺され重傷を負う[24]。この事件で最初に襲われた内藤裕(地下格闘技引退試合の相手でもあった。瓜田は内藤を助けようとして刺された)は首などに刺傷を受け、生死の境をさまよったものの、一命を取り留めた。[25]

「関東連合」との関係

2007年の出所後より、自身のブログ等で「関東連合」との繋がりを示す書き込みをなどを行っていた。これは、中学校の時より関東連合の実質的統率者にあたる人物(後の「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格。2018年5月現在、全国指名手配中))や実質的ナンバー2である松嶋重ほか、後の関東連合を形成するメンバーと親交があった為である。また、関東連合系の暴走族「宮前愚連隊」の柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男。『いびつな絆 関東連合の真実』の著者)などの面々とも同様に中学生の頃から交流があった。松嶋重は杉並区立高南中学校の一年先輩にあたり、同人とともに企てた襲撃をきっかけに知り合う形となったのが近隣の、杉並区立東田中中学校に通っていた「実質的統率者」他、後の関東連合の面々であった。松嶋と「実質的統率者」両名との親交関係は「六本木クラブ襲撃事件」(2012年)の時期まで継続していたという。

松嶋らより三学年下の関東連合元リーダーである、石元太一とは過去しばらく抗争状態と言える緊張関係にあった。石元が当事者として関与した歌舞伎俳優・市川海老蔵の暴行被害事件、いわゆる「海老蔵事件」に関してテレビ番組『Mr.サンデー』(フジテレビ)に、瓜田はコメンテーターとして出演したことがあり、石元がそれに対して難癖をつけてきたことがその一連の揉め事の始まりであり、その背景は石元の芸能界進出をプロデュースしようとしていた松嶋による画策であったという(『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p.189)

他にも「六本木クラブ襲撃事件」に関して、2013年、「(自身は)一連の事件とは一切関係ない」と断ったうえで、『SPA!』と『週刊大衆ヴィーナス』の取材を受け、真っ先に実行犯として出頭した2名を名指しで批判し、また、関係人物らの過去の写真を週刊誌メディアに提供してきた者を激しく批判するなどし、[26]自身のブログにも記事を掲載した。しかしこの一連の流れについても「松嶋らに利用されてしまった」ものと記している(『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p.205)

この、「六本木クラブ襲撃事件」は人違いにより起こった事件とされていたが、本来の標的であったとされる人物とその兄である関東連合と長年の抗争関係にあった兄弟については、地元新宿の幼馴染であった。(10代当時の関東連合周辺で、連合への加入を断わったのはこの兄弟の兄と瓜田だけであった)この兄弟の兄は、10代の一時期には関東連合側として抗争に参加するなどしていたが、その後、兄弟ともに関東連合との関わりを絶ち、関東連合との抗争に突入。弟はその後、暴力団に加入していった。

「六本木クラブ襲撃事件」の伏線にあたる事件とされる2008年の「西新宿・関東連合関係者撲殺事件」の頃には、兄弟は被害者(「新宿ジャックス」の初代メンバーで当時の関東連合の世話役でもあった)が所属していた「新宿ジャックス」の後輩という立場であったが、関東連合と敵対していた為、関東連合側からは事件への関与が疑われていたという。同著では、この疑いから「六本木クラブ襲撃事件」が起こったとされている。

瓜田は「西新宿・関東連合関係者撲殺事件」で殺害された人物とも10代の頃から交流があり(p.163-164)事件の2週間後に開催された格闘技大会「THE OUTSIDER」の旗揚げに出場した際、自身の着用していたガウンにハングル文字を彫り込み、出場。これは出自が大韓民国であったその人物への自身なりの餞(はなむけ)であったという(『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p.171)

発売作品

書籍
映画
DVD
  • History 瓜田純士ドキュメント(2011年・NOTO)

脚注

  1. ^ 事務所に断られブチギレ!JOYさん姉脅迫“顔面タトゥー”タレントとは(1/2)』 2012年3月30日 MSN産経ニュース
  2. ^ a b 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆(p.20) 2014年 瓜田純士 太田出版 ISBN 978-4-7783-1406-4
  3. ^ 関東連合関係者が激白「襲撃事件裏の主役は今も六本木に」』 2014年7月26日 『週刊FLASH 7月29日・8月5日号女性自身 - ライブドアニュース
  4. ^ K-1より面白い! 不良同士のガチバトル『THE OUTSIDER 第弐戦』詳報』 2008年7月23日 日刊サイゾー - ライブドアニュース
  5. ^ 「関東連合」内紛勃発か? 瓜田純士がブログで“告発”』 2013年1月31日 日刊SPA!
  6. ^ 知らないのはもったいない! ネットスラングの意味 Part.4【気になるトレンド用語】』 2010年11月15日 ライブドアニュース
  7. ^ 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆(p.99) 2014年 瓜田純士 太田出版 ISBN 978-4-7783-1406-4
  8. ^ 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆(p.139) 2014年 瓜田純士 太田出版 ISBN 978-4-7783-1406-4
  9. ^ 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆(p.138-140) 2014年 瓜田純士 太田出版 ISBN 978-4-7783-1406-4
  10. ^ 「ボコボコにしてから、ブスッと」″アウトローのカリスマ″瓜田純士が吼える!(1/2)』 2010年10月4日 日刊サイゾー - ライブドアニュース
  11. ^ 【アウトサイダー】前田日明プロデュース不良大会、無事終わる』 2008年3月31日 ライブドアニュース
  12. ^ 第1回THE OUTSIDERを、前田CEOは「70点」「(乱闘の数は)想定以下」と評価 angle JAPAN 2008年3月31日
  13. ^ 【アウトサイダー】乱闘、秒殺、超満員!前田日明プロデュース不良大会第2弾で…』 2008年7月20日 ライブドアニュース
  14. ^ 試合数、盛り上がり、動員、乱闘がパワーアップしたTHE OUTSIDER第弐戦! angle JAPAN 2008年7月19日
  15. ^ 「日本刀&青龍刀持参で!?」"アウトローのカリスマ"瓜田純士が地下格闘技に衝撃参戦!』 2011年11月10日 日刊サイゾー
  16. ^ 「さらば、愛しのアウトロー」カリスマ・瓜田純士引退試合 雄々しき華の散った夜(前編)』 2012年1月20日 日刊サイゾー
  17. ^ 「さらば、愛しのアウトロー」カリスマ・瓜田純士引退試合 雄々しき華の散った夜(後編)』 2012年1月21日 日刊サイゾー
  18. ^ 顔面にタトゥー、髪の毛は紫色 JOYの姉脅迫した「アウトローのカリスマ」』 2012年3月30日 J-CASTニュース
  19. ^ 「関東連合内紛」を告発した瓜田純士氏を直撃』 2013年2月16日 日刊SPA!
  20. ^ 『JOYさんの姉を脅迫した容疑 警視庁、格闘家の男逮捕』 2012年3月29日 共同通信 - 47NEWS
  21. ^ JOYさんの姉脅す 格闘家の男を逮捕』 2012年3月29日 日テレNEWS24
  22. ^ JOY姉を脅迫 全身タトゥー格闘家を逮捕「弟がどうなっても…」』 2013年10月9日(2012年3月30日付) デイリースポーツ
  23. ^ 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆(p.188) 2014年 瓜田純士 太田出版 ISBN 978-4-7783-1406-4
  24. ^ “元アウトローのカリスマ”瓜田純士氏ら刺され重傷 犯人は依然逃走中──』 2013年10月18日 日刊サイゾー
  25. ^ 路上刺傷事件から2カ月──“元アウトローのカリスマ”瓜田純士と“人刺し裕”内藤裕が怪気炎!』 2013年12月10日 日刊サイゾー
  26. ^ 「関東連合」内紛勃発か? 瓜田純士がブログで“告発”』 2013年1月31日 日刊SPA! - ライブドアニュース

外部リンク