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[[1685年イングランド総選挙]]で{{仮リンク|バッキンガムシャー選挙区|en|Buckinghamshire (UK Parliament constituency)}}から出馬して当選した<ref name="HOP">{{HistoryofParliament|1660|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1660-1690/member/egerton-john-1646-1701|title=EGERTON, John, Visct. Brackley (1646-1701)|last=Naylor|first=Leonard|accessdate=14 July 2019}}</ref>。本人は選挙にさほど興味がなかったというが、議会に入ると慎重に責務を果たした<ref name="HOP" />。1686年10月26日に父が死去すると、[[ブリッジウォーター伯爵]]の爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。同年に{{仮リンク|バッキンガムシャー統監|en|Lord Lieutenant of Buckinghamshire}}に任命されたが<ref name="HOP" />、翌年に[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]によって罷免され、1688年の[[名誉革命]]では[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]の一員として[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]夫婦に王位を与えることに賛成した<ref name="DNB" />。その後、1689年から1701年までバッキンガムシャー統監を再任したほか、1691年5月7日に{{仮リンク|イングランド枢密院|en|Privy Council of England}}の枢密顧問官に任命され<ref name="Cokayne" />、1695年3月には[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]の葬式に参加した<ref name="DNB" />。1695年から1699年まで[[商務庁長官|第一商務卿]]を務めた後<ref name="HOP" />、1699年5月31日に{{仮リンク|海軍卿 (ファースト・ロード・オブ・ジ・アドミラルティ)|en|First Lord of the Admiralty|label=海軍卿}}に任命され、以降死去まで同職を務めた<ref name="DNB" />。 |
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1701年3月19日に死去、31日に{{仮リンク|リトル・ガズデン|en|Little Gaddesden}}で埋葬された<ref name="Cokayne" />。四男[[スクループ・エジャートン (初代ブリッジウォーター公爵)|スクループ]]が爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。 |
2020年6月2日 (火) 11:50時点における版
第3代ブリッジウォーター伯爵ジョン・エジャートン(英語: John Egerton, 3rd Earl of Bridgewater KB PC、1646年11月9日 – 1701年3月19日)は、イングランド王国の貴族、政治家。エジャートン家出身。
生涯
第2代ブリッジウォーター伯爵ジョン・エジャートンとエリザベス・キャヴェンディッシュ(1626年 – 1663年6月14日、初代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの娘)の長男として、1646年11月9日に生まれた[1]。1661年4月23日[1]、チャールズ2世の戴冠式でバス勲章を授与された[2]。
1685年イングランド総選挙でバッキンガムシャー選挙区から出馬して当選した[3]。本人は選挙にさほど興味がなかったというが、議会に入ると慎重に責務を果たした[3]。1686年10月26日に父が死去すると、ブリッジウォーター伯爵の爵位を継承した[1]。同年にバッキンガムシャー統監に任命されたが[3]、翌年にジェームズ2世によって罷免され、1688年の名誉革命では貴族院の一員としてウィリアム3世夫婦に王位を与えることに賛成した[2]。その後、1689年から1701年までバッキンガムシャー統監を再任したほか、1691年5月7日にイングランド枢密院の枢密顧問官に任命され[1]、1695年3月にはメアリー2世の葬式に参加した[2]。1695年から1699年まで第一商務卿を務めた後[3]、1699年5月31日に海軍卿に任命され、以降死去まで同職を務めた[2]。
1701年3月19日に死去、31日にリトル・ガズデンで埋葬された[1]。四男スクループが爵位を継承した[1]。
家族
1664年11月17日、エリザベス・クランフィールド(Elizabeth Cranfield、1647年/1648年 – 1670年3月3日、第2代ミドルセックス伯爵ジェームズ・クランフィールドの娘)と結婚[1]、1男を儲けた[4]。
- ジョン(1668年1月11日 – 1670年3月31日)
1673年4月2日、ジェーン・ポーレット(1655年頃 – 1716年5月23日、初代ボルトン公爵チャールズ・ポーレットの娘)と結婚[1]、7男2女を儲けた[4]。
- チャールズ(1675年5月7日 – 1687年4月11日) - ブリッジウォーター・ハウスの火事で死去
- メアリー(1676年5月14日 – 1703年4月11日) - 1703年2月、第4代バイロン男爵ウィリアム・バイロンと結婚、子供なし
- トマス(1679年8月15日 – 1687年4月11日) - ブリッジウォーター・ハウスの火事で死去
- スクループ(1681年 – 1745年) - 第4代ブリッジウォーター伯爵、後に初代ブリッジウォーター公爵に叙爵
- ウィリアム(1684年 – 1732年) - 陸軍軍人、庶民院議員
- ヘンリー(1689年 – 1746年) - ヘレフォード主教
- ジョン - 生涯未婚
- エリザベス(1736年2月18日没) - パジェット卿トマス・パジェットと結婚。第2代アクスブリッジ伯爵ヘンリー・パジェットなどを儲けた
脚注
- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 312–313.
- ^ a b c d Smith, George Barnett (1889). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 17. London: Smith, Elder & Co. pp. 157–158.
- ^ a b c d Naylor, Leonard (1983). "EGERTON, John, Visct. Brackley (1646-1701)". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月14日閲覧。
- ^ a b Patrick Cracroft-Brennan, Bridgewater, Earl of (E, 1617 - 1829) in Cracroft's Peerage. Accessed 14 July 2019.
イングランド議会 (en) | ||
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先代 トマス・ウォートン リチャード・ハンプデン |
庶民院議員(バッキンガムシャー選挙区選出) 1685年 – 1686年 同職:トマス・ウォートン |
次代 トマス・ウォートン サー・トマス・リー準男爵 |
名誉職 | ||
先代 ブリッジウォーター伯爵 |
バッキンガムシャー統監 1686年 – 1687年 |
次代 ジェフリーズ男爵 |
先代 ジェフリーズ男爵 |
バッキンガムシャー統監 1689年 – 1701年 |
次代 ウォートン男爵 |
公職 | ||
新設官職 | 第一商務卿 1695年 – 1699年 |
次代 スタンフォード伯爵 |
先代 オーフォード伯爵 |
海軍卿 1699年 – 1701年 |
次代 ペンブルック伯爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 ジョン・エジャートン |
ブリッジウォーター伯爵 1686年 – 1701年 |
次代 スクループ・エジャートン |