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[[サー]]・トマス・ハーヴィー(1694年5月27日没)とイサベラ・メイ({{lang|en|Isabella May}}、サー・ハンフリー・メイの娘)の次男(長男は早世)として、1665年8月27日に生まれた<ref name="HOP">{{HistoryofParliament|1690|url= |
[[サー]]・トマス・ハーヴィー(1694年5月27日没)とイサベラ・メイ({{lang|en|Isabella May}}、サー・ハンフリー・メイの娘)の次男(長男は早世)として、1665年8月27日に生まれた<ref name="HOP">{{HistoryofParliament|1690|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1690-1715/member/hervey-john-1665-1751|title=HERVEY, John (1665-1751), of Aswarby, Lincs.; St. James’s Square, Westminster; and Ickworth, Suff.|last=Hayton|first=D. W.|accessdate=16 July 2019}}</ref>。1683年6月28日に[[ケンブリッジ大学]]{{仮リンク|クレア・カレッジ (ケンブリッジ大学)|en|Clare College, Cambridge|label=クレア・カレッジ}}に入学、1705年に[[博士(法学)|LL. D.]]の学位を修得した<ref name="ACAD">{{Acad|id=HRVY683J|name=John HERVEY}}</ref>。 |
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1692年にサフォーク副統監を務めた<ref name="ACAD" />。1689年に選挙に出馬して敗れた後、1694年3月に{{仮リンク|ベリー・セント・エドマンズ選挙区|en|Bury St Edmunds (UK Parliament constituency)}}で当選して[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員になった<ref name="HOP" />。最初は文通などで有権者との関係を維持したが、やがて[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]色を深め、1696年11月には{{仮リンク|ジョン・フェンウィック (第3代準男爵)|en|Sir John Fenwick, 3rd Baronet|label=第3代準男爵サー・ジョン・フェンウィック}}の[[私権剥奪]]に賛成票を投じた<ref name="HOP" />。1702年に[[アン (イギリス女王)|アン女王]]が即位すると、[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]が政権を握ったが、義父の{{仮リンク|トマス・フェルトン (第4代準男爵)|en|Sir Thomas Felton, 4th Baronet|label=第4代準男爵サー・トマス・フェルトン}}の口利きもあり、トーリー党員4人が叙爵されるところをハーヴィーも加わることとなった<ref name="HOP" />。そして、ハーヴィーは1703年3月23日にイックワースの'''ハーヴィー男爵'''に叙された<ref name="Burke">{{Cite book2|title=Burke's Peerage, Baronetage and Knightage|edition=99th|year=1949|location=London|publisher=Burke's Peerage Limited|page=259|language=en|url=https://archive.org/details/burkesgenealogic1949unse/page/259 }}</ref>。 |
1692年にサフォーク副統監を務めた<ref name="ACAD" />。1689年に選挙に出馬して敗れた後、1694年3月に{{仮リンク|ベリー・セント・エドマンズ選挙区|en|Bury St Edmunds (UK Parliament constituency)}}で当選して[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員になった<ref name="HOP" />。最初は文通などで有権者との関係を維持したが、やがて[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]色を深め、1696年11月には{{仮リンク|ジョン・フェンウィック (第3代準男爵)|en|Sir John Fenwick, 3rd Baronet|label=第3代準男爵サー・ジョン・フェンウィック}}の[[私権剥奪]]に賛成票を投じた<ref name="HOP" />。1702年に[[アン (イギリス女王)|アン女王]]が即位すると、[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]が政権を握ったが、義父の{{仮リンク|トマス・フェルトン (第4代準男爵)|en|Sir Thomas Felton, 4th Baronet|label=第4代準男爵サー・トマス・フェルトン}}の口利きもあり、トーリー党員4人が叙爵されるところをハーヴィーも加わることとなった<ref name="HOP" />。そして、ハーヴィーは1703年3月23日にイックワースの'''ハーヴィー男爵'''に叙された<ref name="Burke">{{Cite book2|title=Burke's Peerage, Baronetage and Knightage|edition=99th|year=1949|location=London|publisher=Burke's Peerage Limited|page=259|language=en|url=https://archive.org/details/burkesgenealogic1949unse/page/259 }}</ref>。 |
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1714年10月19日、'''ブリストル伯爵'''に叙された<ref name="Burke" />。1733年、[[繰上勅書]]により次男[[ジョン・ハーヴィー (第2代ハーヴィー男爵)|ジョン]]にハーヴィー男爵の爵位を譲った<ref>{{HistoryofParliament|1715|url= |
1714年10月19日、'''ブリストル伯爵'''に叙された<ref name="Burke" />。1733年、[[繰上勅書]]により次男[[ジョン・ハーヴィー (第2代ハーヴィー男爵)|ジョン]]にハーヴィー男爵の爵位を譲った<ref>{{HistoryofParliament|1715|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1715-1754/member/hervey-john-1696-1743|title=HERVEY, John, Lord Hervey (1696-1743), of Ickworth, Suff.|last=Sedgwick|first=Romney R.|authorlink=ロムニー・セジウィック|accessdate=17 July 2019}}</ref>。 |
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1751年1月20日に死去、長男[[カー・ハーヴィー|カー]]と次男ジョンに先立たれたため、ジョンの長男[[ジョージ・ハーヴィー (第2代ブリストル伯爵)|ジョージ]]がブリストル伯爵の爵位を継承した<ref name="Burke" />。 |
1751年1月20日に死去、長男[[カー・ハーヴィー|カー]]と次男ジョンに先立たれたため、ジョンの長男[[ジョージ・ハーヴィー (第2代ブリストル伯爵)|ジョージ]]がブリストル伯爵の爵位を継承した<ref name="Burke" />。 |
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1688年11月1日、イサベラ・カー({{lang|en|Isabella Carr}}、1693年3月7日没、[[ロバート・カー (第3代準男爵)|第3代準男爵サー・ロバート・カー]]の娘)と結婚、1男2女を儲けた<ref name="Burke" />。 |
1688年11月1日、イサベラ・カー({{lang|en|Isabella Carr}}、1693年3月7日没、[[ロバート・カー (第3代準男爵)|第3代準男爵サー・ロバート・カー]]の娘)と結婚、1男2女を儲けた<ref name="Burke" />。 |
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*イサベラ(1711年11月没) - 生涯未婚 |
*イサベラ(1711年11月没) - 生涯未婚 |
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*[[カー・ハーヴィー|カー]]({{lang|en|Carr}}、1691年9月17日 – 1723年11月14日) - 庶民院議員<ref>{{HistoryofParliament|1715|url= |
*[[カー・ハーヴィー|カー]]({{lang|en|Carr}}、1691年9月17日 – 1723年11月14日) - 庶民院議員<ref>{{HistoryofParliament|1715|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1715-1754/member/hervey-carr-1691-1723|title=HERVEY, Carr, Lord Hervey (1691-1723), of Ickworth, Suff.|last=Sedgwick|first=Romney R.|authorlink=ロムニー・セジウィック|accessdate=17 July 2019}}</ref> |
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*キャサリン(1693年生) - 早世 |
*キャサリン(1693年生) - 早世 |
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2020年6月2日 (火) 11:50時点における版
初代ブリストル伯爵ジョン・ハーヴィー(英語: John Hervey, 1st Earl of Bristol、1665年8月27日 – 1751年1月20日)は、イギリスの政治家、貴族。
生涯
サー・トマス・ハーヴィー(1694年5月27日没)とイサベラ・メイ(Isabella May、サー・ハンフリー・メイの娘)の次男(長男は早世)として、1665年8月27日に生まれた[1]。1683年6月28日にケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学、1705年にLL. D.の学位を修得した[2]。
1692年にサフォーク副統監を務めた[2]。1689年に選挙に出馬して敗れた後、1694年3月にベリー・セント・エドマンズ選挙区で当選して庶民院議員になった[1]。最初は文通などで有権者との関係を維持したが、やがてホイッグ党色を深め、1696年11月には第3代準男爵サー・ジョン・フェンウィックの私権剥奪に賛成票を投じた[1]。1702年にアン女王が即位すると、トーリー党が政権を握ったが、義父の第4代準男爵サー・トマス・フェルトンの口利きもあり、トーリー党員4人が叙爵されるところをハーヴィーも加わることとなった[1]。そして、ハーヴィーは1703年3月23日にイックワースのハーヴィー男爵に叙された[3]。
1714年10月19日、ブリストル伯爵に叙された[3]。1733年、繰上勅書により次男ジョンにハーヴィー男爵の爵位を譲った[4]。
1751年1月20日に死去、長男カーと次男ジョンに先立たれたため、ジョンの長男ジョージがブリストル伯爵の爵位を継承した[3]。
家族
1688年11月1日、イサベラ・カー(Isabella Carr、1693年3月7日没、第3代準男爵サー・ロバート・カーの娘)と結婚、1男2女を儲けた[3]。
1695年7月25日、エリザベス・フェルトン(1676年 – 1741年、第4代準男爵サー・トマス・フェルトンの娘)と再婚[3]、10男6女を儲けた[1]。
- ジョン(1696年 – 1743年) - 政治家、廷臣。繰上勅書によりハーヴィー男爵を継承したが、父に先立って死去した。第2代ブリストル伯爵、第3代ブリストル伯爵、第4代ブリストル伯爵の父
- エリザベス(1698年 – 1727年) - 第4代マンセル男爵バッシー・マンセルと結婚、子供なし
- トマス(1699年 – 1775年) - 庶民院議員
- ウィリアム(1699年12月25日 – 1776年1月) - エリザベス・リッジ(Elizabeth Ridge)と結婚、子供あり
- ヘンリー(1701年1月5日 – 1748年11月16日) - キャサリン・アストン(Catherine Aston)と結婚して彼女の姓を名乗った。子供あり
- チャールズ(1703年4月5日 – 1783年3月21日)
- ヘンリエッタ(1703年4月5日 – 1712年4月)
- ジェームズ・ポーター(1706年6月24日 – 1706年8月)
- アン(1707年頃 – 1771年7月15日)
- バーバラ(1707年頃 – 1727年7月25日)
- ハンフリー(1708年6月3日 – ?) - 早世
- フェルトン(1710年7月3日 – 1710年7月16日)
- フェルトン(1712年 – 1773年) - 庶民院議員
- ジェームズ(1713年3月5日 – 1714年5月)
- ルイーサ・キャロライナ・イサベラ(1715年 – 1770年5月11日) - 第2代準男爵ロバート・スミスと結婚、子供あり
- ヘンリエッタ(1716年9月25日 – 1732年7月)
脚注
- ^ a b c d e Hayton, D. W. (2002). "HERVEY, John (1665-1751), of Aswarby, Lincs.; St. James's Square, Westminster; and Ickworth, Suff.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月16日閲覧。
- ^ a b "John HERVEY (HRVY683J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 259.
- ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "HERVEY, John, Lord Hervey (1696-1743), of Ickworth, Suff.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月17日閲覧。
- ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "HERVEY, Carr, Lord Hervey (1691-1723), of Ickworth, Suff.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月17日閲覧。
イングランド議会 (en) | ||
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先代 サー・ロバート・デイヴァース準男爵 ヘンリー・ゴールドウェル |
庶民院議員(ベリー・セント・エドマンズ選挙区選出) 1694年 – 1703年 同職:サー・ロバート・デイヴァース準男爵 1694年 – 1701年 サー・トマス・フェルトン準男爵 1701年 – 1703年 |
次代 サー・ロバート・デイヴァース準男爵 サー・トマス・フェルトン準男爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | ブリストル伯爵 1714年 – 1751年 |
次代 ジョージ・ハーヴィー |
イングランドの爵位 | ||
爵位創設 | ハーヴィー男爵 (繰上勅書により) 1703年 – 1733年 |
次代 ジョン・ハーヴィー |