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「マルガレーテ・フォン・バーベンベルク」の版間の差分

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2020年6月4日 (木) 00:48時点における版

マルガレーテ・フォン・バーベンベルク
Margarete von Babenberg
ローマ王妃
オーストリア女公
ボヘミア王妃
在位 ローマ王妃:1225年 - 1235年
ボヘミア王妃:1253年 - 1261年

出生 1204/5年
死去 1266年10月29日
埋葬 オーストリア、リリエンフェルト修道院
配偶者 ドイツ王ハインリヒ
  ボヘミア王オタカル2世
子女 ハインリヒ8世
フリードリヒ4世
家名 バーベンベルク家
父親 オーストリア公レオポルト6世
母親 テオドラ・アンゲリナ
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マルガレーテ・フォン・バーベンベルク(Margarete von Babenberg, 1204年または1205年 - 1266年10月29日)は、名目上のオーストリア女公(在位:1252年 - 1260年)。マルガレーテ・フォン・エスターライヒ(Margareta von Österreich)とも。

生涯

バーベンベルク家のオーストリア公レオポルト6世東ローマ帝国の皇族であるテオドラ・アンゲリナの間の長女。弟フリードリヒ2世はバーベンベルク家最後のオーストリア公で、1246年に嗣子を残さずに死去したため、公位の継承が問題になった。

マルガレーテは最初、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の嫡男ハインリヒと結婚した。ハインリヒは1220年ローマ王に選ばれたが、後に父に叛いて1235年に廃位され、1242年に死去した。マルガレーテはハインリヒとの間に2人の息子を生んだが、いずれも夭折した。

10年後の1252年、マルガレーテは新たなオーストリア公でボヘミアの王太子であるオタカルと結婚した。翌1253年にオタカルはボヘミア王オタカル2世となる。マルガレーテはオタカル2世より26歳年上であった。高齢であったため、世継ぎを生む可能性が無いとみたオタカル2世は1261年ローマ教皇から婚姻の無効を取り付けてマルガレーテと離婚、クンフタ・ウヘルスカーと再婚した。マルガレーテはオーストリアへ戻り、1266年に没した。