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エジプト文明の記事について
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::(インデント修正させていただきました)素早いご返信ありがとうございます。ナムソンさんの今後の活動に大いに期待しております。すみませんが一点だけ、確かな情報源にあたることの重要性をより深く理解していただけるような例を見つけたので、確認していただきたいものがあります。大分前になりますが、ナムソンさんが[[コンスタンチン・パレオロゴス]]で[[特別:差分/77362510|5月4日に追加されていた一文]]です。「1453年の帝国滅亡後、その第一継承権を保有していた。」という文章ですが、ビザンツ帝国に本来「継承権」という概念は公式に存在していないので、もしこのような書き方をするならその背景の説明が必要になります。またこの記事で取り上げられている人物は、1453年生まれのアンドレアス・パレオロゴスの息子とされる人であり、生年不詳とはいえ1453年から何らかの権利を保有したということはあり得ません<s>(なおこの記事は近日中に私の方で全面改稿する予定ですので、無理に修正していただく必要はありません)</s>。もしかしたらナムソンさんが何かの書籍をもとにしているのかもと考えましたが、出典を明記しないで書いた以上、その責任はナムソンさん自身で負うしかない、という問題が発生します。ナムソンさんのおっしゃる「歴史の公正・公平な評価」は、歴史上の人物や歴史家たちが積み重ねてきた研究と文献の上に成り立つものであること、またナムソンさんがそうした評価を行う歴史家の一人を目指しているとしても、[[Wikipedia:独自研究は載せない|それを発表する場ではなく]]あくまでも信頼できる情報源をもとに情報を整理して掲載する場であることを念頭に置いて、活動を続けてくださると幸いです。長くなってすみませんが、よろしくお願いいたします。--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月2日 (火) 15:00 (UTC)一部発言取り消し--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月2日 (火) 17:05 (UTC)リンク不備修正
::(インデント修正させていただきました)素早いご返信ありがとうございます。ナムソンさんの今後の活動に大いに期待しております。すみませんが一点だけ、確かな情報源にあたることの重要性をより深く理解していただけるような例を見つけたので、確認していただきたいものがあります。大分前になりますが、ナムソンさんが[[コンスタンチン・パレオロゴス]]で[[特別:差分/77362510|5月4日に追加されていた一文]]です。「1453年の帝国滅亡後、その第一継承権を保有していた。」という文章ですが、ビザンツ帝国に本来「継承権」という概念は公式に存在していないので、もしこのような書き方をするならその背景の説明が必要になります。またこの記事で取り上げられている人物は、1453年生まれのアンドレアス・パレオロゴスの息子とされる人であり、生年不詳とはいえ1453年から何らかの権利を保有したということはあり得ません<s>(なおこの記事は近日中に私の方で全面改稿する予定ですので、無理に修正していただく必要はありません)</s>。もしかしたらナムソンさんが何かの書籍をもとにしているのかもと考えましたが、出典を明記しないで書いた以上、その責任はナムソンさん自身で負うしかない、という問題が発生します。ナムソンさんのおっしゃる「歴史の公正・公平な評価」は、歴史上の人物や歴史家たちが積み重ねてきた研究と文献の上に成り立つものであること、またナムソンさんがそうした評価を行う歴史家の一人を目指しているとしても、[[Wikipedia:独自研究は載せない|それを発表する場ではなく]]あくまでも信頼できる情報源をもとに情報を整理して掲載する場であることを念頭に置いて、活動を続けてくださると幸いです。長くなってすみませんが、よろしくお願いいたします。--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月2日 (火) 15:00 (UTC)一部発言取り消し--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月2日 (火) 17:05 (UTC)リンク不備修正
:::[[アンドレアス・パレオロゴス]]の改稿ついでにナムソンさんが[[特別:差分/77812679/77842359|コンスタンチン・パレオロゴスに手を加えておられる]]のを目にしたのですが、今までの私や他の利用者の方からの指摘をほぼまったくくんでくださらなかったようで、残念でなりません。まずナムソンさんが追加された出典は[http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/World/Byzanz/Matuei.htm 個人サイト]であり、信頼できる情報源とはみなせません。ウィキペディアのページを出典として提示する手抜きも相変わらず。しかしそれらすら霞むような大問題を抱えているのが「しかし、彼が[[モレアス専制公国|モレア専制公国]]の後継者、[[東ローマ帝国]]の末裔、であると当時のローマなどでは見なされていたことは間違いないだろう」という文章です。出典として挙げていただいたサイトですら「凡庸な青年」「教皇の護衛隊長を務めた」「没年不明」としか書いていないのに、どうしてナムソンさんはそのようなことを書けるのでしょうか。私が個人的に調べた限りでは、この追加文は内容的にも事実と反しています。この調子で多方面で怪しい無出典記述を増やされては、とても検証が追いつきません。ナムソンさんは一体何を目的に活動されているのですか。--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月3日 (水) 05:56 (UTC)修正--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月3日 (水) 05:58 (UTC)
:::[[アンドレアス・パレオロゴス]]の改稿ついでにナムソンさんが[[特別:差分/77812679/77842359|コンスタンチン・パレオロゴスに手を加えておられる]]のを目にしたのですが、今までの私や他の利用者の方からの指摘をほぼまったくくんでくださらなかったようで、残念でなりません。まずナムソンさんが追加された出典は[http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/World/Byzanz/Matuei.htm 個人サイト]であり、信頼できる情報源とはみなせません。ウィキペディアのページを出典として提示する手抜きも相変わらず。しかしそれらすら霞むような大問題を抱えているのが「しかし、彼が[[モレアス専制公国|モレア専制公国]]の後継者、[[東ローマ帝国]]の末裔、であると当時のローマなどでは見なされていたことは間違いないだろう」という文章です。出典として挙げていただいたサイトですら「凡庸な青年」「教皇の護衛隊長を務めた」「没年不明」としか書いていないのに、どうしてナムソンさんはそのようなことを書けるのでしょうか。私が個人的に調べた限りでは、この追加文は内容的にも事実と反しています。この調子で多方面で怪しい無出典記述を増やされては、とても検証が追いつきません。ナムソンさんは一体何を目的に活動されているのですか。--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月3日 (水) 05:56 (UTC)修正--[[利用者:McYata|McYata]]([[利用者‐会話:McYata|会話]]) 2020年6月3日 (水) 05:58 (UTC)

== エジプト文明について ==
初めまして。[[エジプト文明]]を[[古代エジプト]]へのリダイレクトから単独記事として立項されたかと思いますが、この記事について確認させてください。私見を言わせていただくと正確性の面で問題の多い記事となっています。特に何よりはっきりさせておきたいことは、ナムソンさんが付記されている出典を本当に参照していらっしゃるかということです。以下の文章の出典について確認しましたが、いずれも強い疑問があります。
* 「古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで」p37 山花京子 慶應義塾大学出版会
** これを出典として、「しかし、ラムセス2世の死後はエジプト王国は衰退し、この期間に一時的にアジア系、アフリカ系の異民族の度重なる支配を受け~」という説明を行っていますが、当該書籍のp. 37にそのような記述はありません。該当するページはアマルナ時代の外国の奢侈品の取引や当時のエジプトにおける金について説明しています。異民族による支配に該当する記述はp. 113以降にあります。仮に版によってページが移動していたとしてもここまで大きな差分は考え難いです。また「ナイル川上流のアフリカ世界の黒人王国である金を産出したヌビア王国」という説明をしていますが、当該書籍はヌビア王国についてそのような説明をしていません。
* 『世界史年表・地図』吉川弘文文庫
** この書籍は頻繁に改訂がかかっており、まず出版年の明示は必須です。さらにこれを出典として「~プトレマイオス朝が前1世紀末に古代ローマに滅ぼされ、エジプト文明は終わりを告げる」「~後にアメン神官団と呼ばれる神官団が勢力を伸ばし、ナイル川沿岸のテーベに本拠地を置いた。その強力さは後に「アメン大司祭国家」と呼ばれる国家を建国するほどであった。 」と書いていますが、この書籍はタイトルからわかるように歴史地図と年表で出来ており、このようなことはわかりません。「エジプト文明の終わり」について何の記載もなく、「アメン大司祭国家」については「1085~c.950 第21王朝(首都テーベ及びタニス)(祭祀国家)」と年表中にあるのが情報の全てで、地図の方には登場すらしません。これを出典に上記のような文章は書けません。
* [http://www.narmer.org ''The Narmer Catalog'']<
** これを出典に「その最初の王朝はメネス王(Menes)、又はナルメル王(Narmer)によって創始され、そのエジプト最初の統一王朝はエジプト第1王朝と呼ばれる。その内、ナルメルの方はセルケト王の後継者であり、より有力にエジプト第1王朝の創始者であると考えられている。 」とありますが、これも出典に「セルケト王」なる人物は登場しません(そもそも[[セルケト]]は女神の名前です)。より重大なこととして、このページは''The Narmer Catalog ''という名前のデータベースの説明をしており、その名前の元であるナルメルとは何か?という説明がおまけでついているだけで、出典として不適です。
確認した出典全てが実際の内容と乖離しており、失礼ながらナムソンさんが加筆された他の部分の出典についても強い疑問を持ちます。また、[[古代エジプト]]と重複する範囲の多い記事であり、別立てで立項するのであれば冒頭の定義は極めて重要なはずですが「類似語に『古代エジプト』があるが、この用語はエジプト文明と言う語よりも広範囲の時代を指すことが多い。 」という最も重要な部分に出典がありません。付け加えてこのような説明をしている書籍を見たことがありません。何を出典にこの定義を書かれたのでしょうか?以上となります。よろしくお願いいたします。--[[利用者:TEN|TEN]]([[利用者‐会話:TEN|会話]]) 2020年6月9日 (火) 12:26 (UTC)

2020年6月9日 (火) 12:26時点における版

他言語版ウィキペディアからの翻訳について

こんにちは、ナムソンさん。符浩を編集しておられましたが、zh:符浩から翻訳しませんでしたか? ウィキペディアの記事の著作権は記事を執筆した多数の執筆者に帰属しておりますので、そのような方法での加筆はWikipedia:著作権#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストWikipedia:翻訳のガイドラインをご覧頂きますとお解りの通り、GFDL違反となり、記事が削除されることがあります。せっかくお書きになられた編集加筆分が全て消えてなくなるのは悲しいことですので、今後このような方法での加筆編集はご遠慮くださいませ。翻訳の際は要約欄(編集画面の下に出る空欄の行のことです)への翻訳情報の加筆と翻訳元の版情報記載を忘れないようにしてください。よろしくお願いします。--Unamu会話2020年4月26日 (日) 08:30 (UTC)[返信]

プレビュー機能のお知らせ

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。

こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。

ナムソンさんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に「プレビューを表示」のボタンを押すと、編集結果を先に見ることができます。詳しくはHelp:プレビューを表示をお読みください。

これを使うことで

などをあらかじめチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については、同じ記事への連続投稿を減らすの項目に説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。ご理解とご協力をよろしくお願いします。なお、もしすでにご存じのことでしたら、悪しからずお願いいたします。--Unamu会話2020年4月28日 (火) 15:27 (UTC)[返信]

履歴不継承について

こんにちは、ナムソンさん。ナムソンさんが記事編集されたヌビア王国についてですが、要約欄に転記元の記事名および版が記載されていないため履歴不継承、記事が著作権侵害に抵触しているおそれがありますのでお知らせに参りました。

どういうことかと申しますと、ウィキペディア内に存在する文章は全て執筆した編集者1人1人に著作権帰属しており、著作権放棄がなされているわけではありませんWikipedia:ウィキペディア内でのコピー。ですので、元の記事から内容を転記する分割、複数の記事を1つの記事へまとめる統合、ウィキペディアの他の言語版の記事から日本語版へ内容を翻訳転記する翻訳、といった内容転記に関する編集方法にはWikipedia:ページの分割と統合ページおよびWikipedia:翻訳のガイドラインページが用意されており、これらの説明に従うことで前述の著作権侵害状態に陥ることを回避出来るようになっております。

今回のような、著作権侵害編集が行われた記事は公式方針「Wikipedia:削除の方針#ケース B-1:著作権問題に関して」に従い、そのまま放置することが出来ませんので、今後削除依頼の提出が行われ、お書きになられた著作権侵害状態の文章を含むナムソンさんの編集分が全て削除されるかもしれません。}}

ウィキペディアは編集者の方々のボランティアで成り立つ百科事典サイトですが、著作権侵害の形跡を履歴に残してしまう編集方法はナムソンさんにとってもウィキペディアにとっても何の得にもなりませんので、今後は上記説明ページ内容をよくご理解頂き、誤った編集の方法はご遠慮下さいますと幸いです。

では、用件のみですが失礼します。--Unamu会話2020年4月29日 (水) 03:56 (UTC)[返信]

他記事からのコピーアンドペーストはおやめください

貴殿が立項した記事「アレクシオス1世・コムネノス・ガブラス」は、「テオドロ公国」の歴史節と完全に文章が一致します。ご存じでなかったのであれば恐縮ですが、履歴継承や分割の議論を欠いた他記事からのコピーアンドペーストは認められておりません。今後は、正当な手続きを欠いたコピーアンドペーストは厳に慎んでください。

コピーアンドペーストによる記事の複製をするに当たっては、前提条件として履歴継承およびページ分割の提案が必須となります。詳細は、下記の2点をご熟読ください。

  1. Wikipedia:ウィキペディア内でのコピー
  2. Wikipedia:ページの分割と統合

なお、上記リンク先の内容を理解するのに時間がかかる、あるいはページ分割に当たって必要となる議論など諸々の手続きが煩雑でやりたくないということであれば、無理してページを分割する必要は全くありません。手続きが面倒なら、コピーアンドペーストを一切しなければ良いだけの話です。

以上、ご理解のほどよろしくお願いします。--2404:7A82:560:A700:B52C:7D9E:41A5:FE51 2020年5月11日 (月) 11:23 (UTC)[返信]

虚偽立項はおやめください

貴殿が立項した記事「ゴールドビン家」を拝見しました。結論から先に申し上げますが、ご自身の脳内オリジナル創作による無出典の虚構記事の作成は直ちにおやめください。

まず、主題となる「ゴールドビン家」の表記が統一されていません。たった 1,784バイト しかないサブスタブ級の短い記事で、下記のように日本語表記が割れています。

  • 記事名: ゴールドビン家
  • 定義部冒頭: ゴールビン家/Золотой бин дом/Gold bin house
  • 沿革節: ゴールロビン(家)、ゴブリン(家)

上記それぞれをキーワードに Google で検索しましたが、それらしき一族の記述は全く検索結果に現れませんでした。“大変重要な一門” であるにもかかわらず、日本語や英語はおろかロシア語でも当該の一族が全くヒットしないというのは、実に奇妙な検索結果です。万が一 Золотой бин дом が存在すると仮定したとしても、ロシア語読みならザラトーイビンあるいはゾロトイビンとカナ転写するべきですし、そもそも бин がロシア語の形容詞らしからぬ不自然な語形です。本来であれば、Золотой винный дом(黄金ワインの家)のような語形でなければおかしいです。

従って、ナムソンさんの脳内オリジナル創作であると断ずる他ありません。これに懲りて虚構記事の作成は今後一切やめることをおすすめします。

もし不服であれば、是非とも検証可能な出典をご提示の上記事を加筆してください。出典はロシア語や英語でも結構ですので。

以上、ご理解のほどよろしくお願いします。--2404:7A82:560:A700:B52C:7D9E:41A5:FE51 2020年5月11日 (月) 12:21 (UTC)[返信]

立項や加筆の際には出典を明記してください

テオドロ公国」における10回連続での出典なき加筆を拝見しました。

ご存じでなかったのであれば恐縮ですが、ウィキペディアでは「Wikipedia:出典を明記する」という基本方針があり、原則として記事の執筆には出典を明記することが求められています。記事を執筆するに当たっては、必ず情報の典拠を示さなければなりません。出典は、古い書籍やウェブサイトでもいいですし外国語でも構いません。その情報がいかなる情報源から得たものかを明確にしてください。

出典を示すことは情報の正確性を担保することにつながります。無出典の加筆や立項を繰り返すより先に、まずは「Wikipedia:出典を明記する」をご熟読ください。出典なしに書かれた裏付けの取れない記載内容は、脳内創作の虚構記事と断定されても致し方ありません。繰り返しになりますが、立項や加筆をするより先に「Wikipedia:出典を明記する」の理解に努めてください。編集作業に着手するのは、出典の明記に関する方針を完全に理解してからで結構です。

以上、ご理解のほどよろしくお願いします。--2404:7A82:560:A700:207A:EC1D:79C0:1E7C 2020年5月12日 (火) 03:58 (UTC)[返信]

テオドロ公国」において、上記とは別の新たな4回連続での出典なき加筆を拝見しました。再三の警告となり大変遺憾ですが、ガイドラインを無視した編集作業は直ちに止めて「Wikipedia:出典を明記する」をご熟読ください。ご理解のほどよろしくお願いします。--2404:7A82:560:A700:242E:5275:74A4:5C04 2020年5月22日 (金) 17:12 (UTC)[返信]

他言語版ウィキペディアからの翻訳について(2回目)

こんにちは、ナムソンさん。

マングプ (都市)を新規に立項しておられましたが、内容や構成がen:Mangupと酷似しているため、このような場合には履歴継承をしなければなりません。Unamuによるご指摘と重複しますが、Wikipedia:著作権#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストWikipedia:翻訳のガイドラインをご覧頂きますとお解りの通り、他言語版からの翻訳に履歴継承を欠くとGFDL違反となり、記事が削除される恐れがあります。

要するに、翻訳の際は要約欄(編集画面の下に出る空欄の行のことです)への翻訳情報の加筆と翻訳元の版情報記載を忘れないようにしてください。

以上、ご理解のほどよろしくお願いします。--2404:7A82:560:A700:207A:EC1D:79C0:1E7C 2020年5月12日 (火) 04:11 (UTC)[返信]

立項や加筆の際には出典を明記してください(2回目)

ホーフブルク宮殿」における7回連続での出典なき加筆を拝見しました。同じことを警告しなければならないのは慚愧の念に堪えませんが、立項や加筆の際には出典を明記してください。

既にご説明しました通り、ウィキペディアでは「Wikipedia:出典を明記する」という基本方針があり、原則として記事の執筆には出典を明記することが求められています。記事を執筆するに当たっては、必ず情報の典拠を示さなければなりません。出典は、古い書籍やウェブサイトでもいいですし外国語でも構いません。その情報がいかなる情報源から得たものかを明確にしてください。

繰り返しになりますが、無出典の加筆や立項を繰り返すより先に「Wikipedia:出典を明記する」をご熟読ください。流し読みではダメで、理解できるまでお読みください。出典の明記に関する方針を完全に理解するまでは、編集作業を一切しないでください。

以上、ご理解のほどよろしくお願いします。--2404:7A82:560:A700:242E:5275:74A4:5C04 2020年5月22日 (金) 17:08 (UTC)[返信]

三監の乱について

こんにちは、ポータル王朝の編集者です。三監の乱でのこの編集についてですが、記述の訳文や、解説等の加筆をお願いできないでしょうか。正直に言うと、この状態では不要だとも思います。では、よろしくお願いします。--ポータル王朝の編集者会話2020年5月27日 (水) 09:27 (UTC)[返信]

記事の問題点を指摘するテンプレートについて

こんにちは、ナムソンさん。ご自分で新規作成されたKV21に{{出典の明記}}を付けておられますが、これは記事内容が薄くもっと成長させるための協力を呼びかける「スタブカテゴリ」としてあるものではなく、記事内容を見た第三者が不備を指摘して執筆者に改善を求めるためのものです。したがって、初版投稿者が自ら貼る性質のものではありません。

問題があると承知しておられるなら、極力ご自分で直していただくようお願いします。最初から完璧な記事を作る必要はありませんが、これでは改善する気がなく他人に丸投げしているようで無責任に見えます。

どうかよろしくお願いいたします。--Unamu会話2020年5月28日 (木) 13:34 (UTC)[返信]

「聖なる国」改名提案提出のご案内、および執筆姿勢について

初めまして。先月ナムソンさんが立項された聖なる国の改名提案を提出しました。ノート:聖なる国を確認し、コメントしていただけると幸いです。ところで、この記事からさかのぼってナムソンさんの投稿や会話ページを確認させていただいたのですが、再三にわたり他の利用者から注意を受けているにもかかわらず、出典をほとんど、あるいはまったく示さない加筆を繰り返し、会話ページでも一切返答なさらないのは褒められたことではないように思います。例えばナムソンさんが5月30日に立項されたアメンヘルケブシェフは書籍に基づいた出典が一つしかなく、しかも他の部分ではWikipediaの記述を出典とするかのような脚注が付されており、#立項や加筆の際には出典を明記してください#立項や加筆の際には出典を明記してください(2回目)で紹介された文書に実際に目を通されたようには見えません。非協力的な対話拒否を続けた場合、しっかり方針に目を通していただくため最悪投稿ブロックの対象になることもあります。今の状況では、ご自身で利用者ページに書かれている「問題利用者」が冗談では済まなくなってしまいます。まずは記事編集の手を止めて、受けた指摘に何かしら具体的にコメントを返すところから始めていただけませんか。--McYata会話2020年6月1日 (月) 15:32 (UTC)[返信]

すみませんでした。実際に、自分の作成した記事を改めて見てみますと、大部分が脚注や出典の記載が不十分であり、「出典の明記」テンプレートが張られている記事が多々ありました。また、感謝やほかの利用者の方々からの指摘の実践もし、ご指摘にあった通り具体的にコメントを返して行きたいと思います。どうぞ、これからもよろしく御願い致します。--ナムソン会話2020年6月2日 (火) 00:01 (UTC)[返信]
(インデント修正させていただきました)素早いご返信ありがとうございます。ナムソンさんの今後の活動に大いに期待しております。すみませんが一点だけ、確かな情報源にあたることの重要性をより深く理解していただけるような例を見つけたので、確認していただきたいものがあります。大分前になりますが、ナムソンさんがコンスタンチン・パレオロゴス5月4日に追加されていた一文です。「1453年の帝国滅亡後、その第一継承権を保有していた。」という文章ですが、ビザンツ帝国に本来「継承権」という概念は公式に存在していないので、もしこのような書き方をするならその背景の説明が必要になります。またこの記事で取り上げられている人物は、1453年生まれのアンドレアス・パレオロゴスの息子とされる人であり、生年不詳とはいえ1453年から何らかの権利を保有したということはあり得ません(なおこの記事は近日中に私の方で全面改稿する予定ですので、無理に修正していただく必要はありません)。もしかしたらナムソンさんが何かの書籍をもとにしているのかもと考えましたが、出典を明記しないで書いた以上、その責任はナムソンさん自身で負うしかない、という問題が発生します。ナムソンさんのおっしゃる「歴史の公正・公平な評価」は、歴史上の人物や歴史家たちが積み重ねてきた研究と文献の上に成り立つものであること、またナムソンさんがそうした評価を行う歴史家の一人を目指しているとしても、それを発表する場ではなくあくまでも信頼できる情報源をもとに情報を整理して掲載する場であることを念頭に置いて、活動を続けてくださると幸いです。長くなってすみませんが、よろしくお願いいたします。--McYata会話) 2020年6月2日 (火) 15:00 (UTC)一部発言取り消し--McYata会話2020年6月2日 (火) 17:05 (UTC)リンク不備修正[返信]
アンドレアス・パレオロゴスの改稿ついでにナムソンさんがコンスタンチン・パレオロゴスに手を加えておられるのを目にしたのですが、今までの私や他の利用者の方からの指摘をほぼまったくくんでくださらなかったようで、残念でなりません。まずナムソンさんが追加された出典は個人サイトであり、信頼できる情報源とはみなせません。ウィキペディアのページを出典として提示する手抜きも相変わらず。しかしそれらすら霞むような大問題を抱えているのが「しかし、彼がモレア専制公国の後継者、東ローマ帝国の末裔、であると当時のローマなどでは見なされていたことは間違いないだろう」という文章です。出典として挙げていただいたサイトですら「凡庸な青年」「教皇の護衛隊長を務めた」「没年不明」としか書いていないのに、どうしてナムソンさんはそのようなことを書けるのでしょうか。私が個人的に調べた限りでは、この追加文は内容的にも事実と反しています。この調子で多方面で怪しい無出典記述を増やされては、とても検証が追いつきません。ナムソンさんは一体何を目的に活動されているのですか。--McYata会話) 2020年6月3日 (水) 05:56 (UTC)修正--McYata会話2020年6月3日 (水) 05:58 (UTC)[返信]

エジプト文明について

初めまして。エジプト文明古代エジプトへのリダイレクトから単独記事として立項されたかと思いますが、この記事について確認させてください。私見を言わせていただくと正確性の面で問題の多い記事となっています。特に何よりはっきりさせておきたいことは、ナムソンさんが付記されている出典を本当に参照していらっしゃるかということです。以下の文章の出典について確認しましたが、いずれも強い疑問があります。

  • 「古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで」p37 山花京子 慶應義塾大学出版会
    • これを出典として、「しかし、ラムセス2世の死後はエジプト王国は衰退し、この期間に一時的にアジア系、アフリカ系の異民族の度重なる支配を受け~」という説明を行っていますが、当該書籍のp. 37にそのような記述はありません。該当するページはアマルナ時代の外国の奢侈品の取引や当時のエジプトにおける金について説明しています。異民族による支配に該当する記述はp. 113以降にあります。仮に版によってページが移動していたとしてもここまで大きな差分は考え難いです。また「ナイル川上流のアフリカ世界の黒人王国である金を産出したヌビア王国」という説明をしていますが、当該書籍はヌビア王国についてそのような説明をしていません。
  • 『世界史年表・地図』吉川弘文文庫
    • この書籍は頻繁に改訂がかかっており、まず出版年の明示は必須です。さらにこれを出典として「~プトレマイオス朝が前1世紀末に古代ローマに滅ぼされ、エジプト文明は終わりを告げる」「~後にアメン神官団と呼ばれる神官団が勢力を伸ばし、ナイル川沿岸のテーベに本拠地を置いた。その強力さは後に「アメン大司祭国家」と呼ばれる国家を建国するほどであった。 」と書いていますが、この書籍はタイトルからわかるように歴史地図と年表で出来ており、このようなことはわかりません。「エジプト文明の終わり」について何の記載もなく、「アメン大司祭国家」については「1085~c.950 第21王朝(首都テーベ及びタニス)(祭祀国家)」と年表中にあるのが情報の全てで、地図の方には登場すらしません。これを出典に上記のような文章は書けません。
  • The Narmer Catalog<
    • これを出典に「その最初の王朝はメネス王(Menes)、又はナルメル王(Narmer)によって創始され、そのエジプト最初の統一王朝はエジプト第1王朝と呼ばれる。その内、ナルメルの方はセルケト王の後継者であり、より有力にエジプト第1王朝の創始者であると考えられている。 」とありますが、これも出典に「セルケト王」なる人物は登場しません(そもそもセルケトは女神の名前です)。より重大なこととして、このページはThe Narmer Catalog という名前のデータベースの説明をしており、その名前の元であるナルメルとは何か?という説明がおまけでついているだけで、出典として不適です。

確認した出典全てが実際の内容と乖離しており、失礼ながらナムソンさんが加筆された他の部分の出典についても強い疑問を持ちます。また、古代エジプトと重複する範囲の多い記事であり、別立てで立項するのであれば冒頭の定義は極めて重要なはずですが「類似語に『古代エジプト』があるが、この用語はエジプト文明と言う語よりも広範囲の時代を指すことが多い。 」という最も重要な部分に出典がありません。付け加えてこのような説明をしている書籍を見たことがありません。何を出典にこの定義を書かれたのでしょうか?以上となります。よろしくお願いいたします。--TEN会話2020年6月9日 (火) 12:26 (UTC)[返信]