「トヨタ・セリカLBターボ」の版間の差分
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[[1979年]]、セリカLBターボは[[トムス]]によって日本に輸入され、同社の創設者、[[舘信秀]]のドライビングで富士スーパーシルエットシリーズに参戦した。赤と白のツートンカラーは、1978年と同じままで、スポンサーのみチェックマン、[[タミヤ]]、[[髙島屋]]<ref>当時高島屋の関連企業として「[[トヨタカローラ店|トヨタカローラ]]高島屋」が存在した。</ref>に変更された。 9月に開催された、富士インター200マイルレースでは、優勝を果たしている。翌年トムスは、[[童夢 (自動車会社)|童夢]]と共同でRA40系セリカをベースに新しいシルエットマシンを開発し、そちらに注力していく。<ref>{{cite web|url=http://www.dome.co.jp/museum/car_m/11_celica_turbo.html |title=DOME MUSEUM 1980 CELICA TURBO |publisher=株式会社 童夢 | accessdate=2011-06-23}}</ref> [[1981年]]からは[[トラスト (自動車部品)|トラスト]]から、星野薫のドライブで富士スーパーシルエットシリーズに参戦した。9月に行われた富士インター200マイルレースにて、3位に入賞している。[[1982年]]には、エンジンがツインターボ化され、「トラストツインターボセリカ」としてエントリーした。[[1983年]]、トラストは、新たに購入した[[ポルシェ956]]によって[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|全日本耐久選手権]]に参戦するため、セリカLBターボは使用されなくなった。 |
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2000年代にトラストカラーのその車が日本の廃品置場で朽ちているのを発見されるまで、その車について何も聞かれなかった。<ref>{{cite web|url=http://www.7tune.com/abandoned-in-japan-the-schnitzer-gr5-celica/ |title=Abandoned In Japan: The Schnitzer Group 5 Celica |last=Zillin |first=Adam |publisher=7Tune.com |date=2009-08-09 |accessdate=2010-09-19}}</ref> |
2000年代にトラストカラーのその車が日本の廃品置場で朽ちているのを発見されるまで、その車について何も聞かれなかった。<ref>{{cite web|url=http://www.7tune.com/abandoned-in-japan-the-schnitzer-gr5-celica/ |title=Abandoned In Japan: The Schnitzer Group 5 Celica |last=Zillin |first=Adam |publisher=7Tune.com |date=2009-08-09 |accessdate=2010-09-19}}</ref> |
2020年6月15日 (月) 23:42時点における版
カテゴリー | グループ5 スポーツカー | ||
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コンストラクター | トヨタ | ||
主要諸元 | |||
エンジン | トヨタ 18R-G 2,090 cc (127.5 cu in) I4 ターボチャージャー フロントエンジン, 縦置き | ||
トランスミッション | 5速 MT | ||
重量 | 860 kg (1,896.0 lb) | ||
燃料 | シェル | ||
タイヤ | ダンロップ | ||
主要成績 | |||
チーム |
シュニッツァー・モータースポーツ トムス トラスト | ||
ドライバー |
ハラルド・アートル ロルフ・シュトメレン 舘信秀 | ||
初戦 | 1977 DRM ホッケンハイム | ||
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トヨタ・セリカLBターボは、ドイツ・トヨタがドイツレーシングカー選手権(DRM)のディビジョン1に参加するため、初代トヨタ・セリカの2000GT、リフトバック(LB)をベースにシュニッツァーによって開発されたグループ5カーである。
1977年と1978年にドイツのDRMシリーズに参加した。 信頼性の問題に悩ませられたが、2度の完走とノンチャンピオンシップレースで優勝した。 その後、日本に送られ、シルエットカーレースに参戦した。
ドイツのレースに参戦したシーズンを通じて、トップディビジョンを走る唯一の日本車であった。
開発
セリカLBターボは、当時、国際的にモータースポーツを席巻し、ドイツレーシングカー選手権(DRM)シリーズのグループ5カテゴリであるディビジョン1も同様に支配したにポルシェ935に対抗するために開発された。
多くのグループ5車両と同じように、セリカは車体に大規模な改造を受け、多くの部分は、軽量なグラスファイバーで作り直された。ただし、ボンネット、ルーフ、ドアとレールパネルだけはベースモデルのものが使用された。セリカLBターボの特徴は、ドアパネル前後のワイドボディシルと、2つのヘッドライトと長方形のグリルを包み、ボンネットを越えてスロープしているノーズである。
エンジンは量産モデルに搭載される18R-Gエンジンに特別設計の 16バルブヘッドを組合せ、クーゲルフィッシャー製の燃料噴射装置にKKKのターボチャージャーが組み合わされた。その結果、エンジンはボアアップされた2,090ccの排気量から560馬力(418kw)の出力を発生した。[1][2]
ボディカラーは1977年シーズンが青、1978年シーズンは赤と白のツートンに変更された。同時に空力を改善するため、ボディーワークにも修正が加えられた。両シーズンとも、光学メーカーのローデンストックによるスポンサーシップがあった。
1977年
セリカLBターボは、1977年7月にホッケンハイムリンクでF1ドイツグランプリのサポートイベントとして開催された、DRMシリーズの第8戦でデビューした。ハラルド・アートルによってドライブされた青いセリカは、ポールの935から25秒遅れの予選13位、決勝は4ラップでリタイアした。次ラウンド8月のゾルダーでは、ポールの935より5秒遅れの予選7位につけたが、決勝は3ラップでリタイアした。最終戦10月のニュルブルクリンクにおいて初完走を果たし、プライベーターのポルシェ3台に続く4位でフィニッシュした。[3]
その後、ゾルダーで行われたノンタイトルレースのADACトロフィーへ出場し、初優勝を果たした。
1978年
前年、ポルシェに乗って活躍したディフェンディングチャンピオン、ロルフ・シュトメレンをドライバーに迎えた。第1戦のゾルダーでは、2周目にエンジン故障でリタイア。第2戦ニュルブルクリンクを欠場し、同じくニュルブルクリンクで開催されたアイフェル・レンネンがサポートする第3戦では、わずか4周でリタイアした。
アヴスで行われた次戦を欠場し、ニュルブルクリンク1000kmに出場した。シュトメレンはアートルと組んで参戦し予選6位につけたが、決勝はウォーターポンプとエンジンの故障でリタイアした。 次のマインツフィンテンでは、7台の935に続く8位でフィニッシュした(935以外では最高位)。
2戦を欠場した後のホッケンハイムでは7周目の事故後リタイアした。そして次のゾルダーでは1周も走りきることなくリタイアした。2戦が残っていたが、再びレースに戻る事はなかった。[4]
その後、シュニッツァーはBMWでの活動に専念し、成功を収めた。
日本
1979年、セリカLBターボはトムスによって日本に輸入され、同社の創設者、舘信秀のドライビングで富士スーパーシルエットシリーズに参戦した。赤と白のツートンカラーは、1978年と同じままで、スポンサーのみチェックマン、タミヤ、髙島屋[5]に変更された。 9月に開催された、富士インター200マイルレースでは、優勝を果たしている。翌年トムスは、童夢と共同でRA40系セリカをベースに新しいシルエットマシンを開発し、そちらに注力していく。[6] 1981年からはトラストから、星野薫のドライブで富士スーパーシルエットシリーズに参戦した。9月に行われた富士インター200マイルレースにて、3位に入賞している。1982年には、エンジンがツインターボ化され、「トラストツインターボセリカ」としてエントリーした。1983年、トラストは、新たに購入したポルシェ956によって全日本耐久選手権に参戦するため、セリカLBターボは使用されなくなった。
2000年代にトラストカラーのその車が日本の廃品置場で朽ちているのを発見されるまで、その車について何も聞かれなかった。[7]
脚注
- ^ “:::: GREAT RACING CARS :::: Toyota Celica LB Turbo Gr5 Page 1 of 2”. Racing65.com. 2010年9月19日閲覧。
- ^ “:::: GREAT RACING CARS :::: Toyota Celica LB Turbo Gr5 Page 2 of 2”. Racing65.com. 2010年9月19日閲覧。
- ^ “DRM 1977 Result”. wspr-racing.com. 2010年9月27日閲覧。
- ^ “DRM 1978 Result”. wspr-racing.com. 2010年9月27日閲覧。
- ^ 当時高島屋の関連企業として「トヨタカローラ高島屋」が存在した。
- ^ “DOME MUSEUM 1980 CELICA TURBO”. 株式会社 童夢. 2011年6月23日閲覧。
- ^ Zillin, Adam (2009年8月9日). “Abandoned In Japan: The Schnitzer Group 5 Celica”. 7Tune.com. 2010年9月19日閲覧。