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{{by|2003年}}には一軍公式戦14試合で2盗塁を記録。[[イースタン・リーグ]]公式戦では、22盗塁で盗塁王を獲得した。{{by|2004年}}には、同リーグ2位の30盗塁を記録したものの、一軍公式戦への出場機会はなかった。
{{by|2003年}}には一軍公式戦14試合で2盗塁を記録。[[イースタン・リーグ]]公式戦では、22盗塁で盗塁王を獲得した。{{by|2004年}}には、同リーグ2位の30盗塁を記録したものの、一軍公式戦への出場機会はなかった。


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{{by|2005年}}には、イースタン・リーグ公式戦で34盗塁を記録。チームメイトの[[代田建紀]]と争い、自身2年振りの盗塁王になった。レギュラーシーズンでは一軍に昇格できなかったが、[[ポストシーズン]]では、[[福岡ソフトバンクホークス]]戦との[[プレーオフ制度 (日本プロ野球)#パシフィック・リーグ|プレーオフ]]第5戦でシーズン初の一軍戦出場。代打で[[杉内俊哉]]から内野安打<ref>レギュラーシーズン中ではないため、記録上「プロ初安打」とはならない。</ref>を放つと、その後に就いた二塁守備で[[川宗則]]の打球を好捕するなど、チームの勝利と31年振りの[[パシフィック・リーグ]]優勝に貢献した。さらに、チームの[[2005年の日本シリーズ|日本シリーズ]]制覇でシーズンを終えた後には、[[アジアシリーズ]]へ出場。対チャイナスターズ戦では、安打と盗塁を記録している。


{{by|2006年}}には、イースタン・リーグ公式戦で打率.314、リーグ3位の24盗塁を記録。一軍公式戦にも3年振りに出場した。しかし、通算6試合で1盗塁を成功させたものの、通算9打席で無安打(1死球)に終わった。
{{by|2006年}}には、イースタン・リーグ公式戦で打率.314、リーグ3位の24盗塁を記録。一軍公式戦にも3年振りに出場した。しかし、通算6試合で1盗塁を成功させたものの、通算9打席で無安打(1死球)に終わった。

2020年6月16日 (火) 12:12時点における版

早坂 圭介
千葉ロッテ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横須賀市
生年月日 (1984-06-19) 1984年6月19日(40歳)
身長
体重
176 cm
63 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 二塁手外野手遊撃手
プロ入り 2002年 ドラフト8巡目
初出場 2003年7月11日
最終出場 2014年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

早坂 圭介(はやさか けいすけ、1984年6月19日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手内野手外野手)。現在は飲食店経営者。

経歴

プロ入り前

横須賀市立不入斗中学校時代には、軟式野球の横須賀スターズクラブでプレー[1]横浜商工高校(現在の横浜創学館高校)の在校時には、春夏ともに阪神甲子園球場の全国大会への出場を果たせなかった。3年生だった2002年の夏には、神奈川大会の準々決勝で桐蔭学園に敗れている。

2002年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズからの8巡目指名を受けたことを機に入団。横浜商工高校出身者から初めてのプロ野球選手になった。背番号は68

プロ入り後

2003年には一軍公式戦14試合で2盗塁を記録。イースタン・リーグ公式戦では、22盗塁で盗塁王を獲得した。2004年には、同リーグ2位の30盗塁を記録したものの、一軍公式戦への出場機会はなかった。

2005年には、イースタン・リーグ公式戦で34盗塁を記録。チームメイトの代田建紀と争い、自身2年振りの盗塁王になった。レギュラーシーズンでは一軍に昇格できなかったが、ポストシーズンでは、福岡ソフトバンクホークス戦とのプレーオフ第5戦でシーズン初の一軍戦出場。代打で杉内俊哉から内野安打[2]を放つと、その後に就いた二塁守備で川﨑宗則の打球を好捕するなど、チームの勝利と31年振りのパシフィック・リーグ優勝に貢献した。さらに、チームの日本シリーズ制覇でシーズンを終えた後には、アジアシリーズへ出場。対チャイナスターズ戦では、安打と盗塁を記録している。

2006年には、イースタン・リーグ公式戦で打率.314、リーグ3位の24盗塁を記録。一軍公式戦にも3年振りに出場した。しかし、通算6試合で1盗塁を成功させたものの、通算9打席で無安打(1死球)に終わった。

2007年には、6月19日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、豊田清を相手に試みた犠打が三塁への内野安打になり、一軍での初安打を記録している。イースタン・リーグで打率.332を記録し、22盗塁で自身3度目の盗塁王を獲得した。一軍ではホセ・オーティズが二塁手として定着していたため、ポジションの重なる早坂は、公式戦への出場機会が2年続けて6試合にとどまった。

千葉ロッテ時代の2012年7月8日 QVCマリンフィールドにて

2008年には、一軍公式戦17試合に出場。しかし、打率が.083にとどまるなど精彩を欠いた。その一方で、イースタン・リーグ公式戦では、70試合の出場でリーグ3位の23盗塁を記録している。

2009年には、内野手登録のまま、春季キャンプから外野の守備を練習。オープン戦でも好調を維持し、自身初の開幕一軍入りを果たした。公式戦の開幕当初は、主に代走と外野の守備要員として起用。しかし、6月から西岡剛に代わって「1番・遊撃手」としてスタメンに抜擢されると、8月以降は早川大輔に代わって中堅手のレギュラーに定着した。8月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、3安打を放つとともに、3本目の安打が一軍初のサヨナラ安打になった。8月28日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(千葉マリンスタジアム)では、7回裏に藤原紘通から、右打席で一軍初本塁打を放っている。なお、一軍公式戦全体では、外野手として45試合、遊撃手として27試合、二塁手として11試合に出場。通算83試合の出場で、チーム2位の12盗塁を記録した。

2010年には、新人の荻野貴司がオープン戦から台頭。2年連続の開幕一軍入りを果たしたが、開幕戦のスタメンから外れた[3]。荻野が戦線を離脱した5月下旬から2番でスタメンに起用されたが、同月30日の対横浜ベイスターズ戦で盗塁を試みた際に、相手野手との接触によって左膝前十字靱帯および内側側副靱帯を損傷。残りのシーズンを棒に振った。

2011年には、前年の大怪我から一軍復帰を果たすと、復帰2戦目(7月20日オリックス・バファローズ戦)で決勝の適時打を放った。一軍公式戦全体では3盗塁を記録したが、出場試合数は22試合で、西岡のミネソタ・ツインズ移籍によって空いた遊撃のレギュラーに定着するまでには至らなかった。

2012年には、シーズンを通じて一軍に帯同し、一軍公式戦68試合に出場。しかし、主に二塁の守備要員や代走要員として起用されたため、シーズンを通して安打1本も打てなかった。イースタン・リーグ公式戦でも、一軍定着の影響で2試合しか出場できず、9打席に立ちながら無安打に終わった。

2013年には一軍公式戦21試合で2盗塁、2014年には13試合で1盗塁にとどまった。その一方で、両年ともシーズン初打席で本塁打を1本ずつ記録した。

2015年には、10年振りに一軍公式戦への出場機会がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受け[4]、現役を引退した[5]

現役引退後は、2017年3月から横浜市中区関内で「BASEBALL 早坂」という自身の名を冠したバーを経営している[6]

選手としての特徴

内外野のセンターラインをこなせる守備力と、俊足が持ち味[7]

人物

2008年12月11日の深夜に、西岡剛西麻布で食事を済ませたところ、タクシーの無賃乗車に遭遇。被害に遭った運転手からの指示で、西岡と共に全力疾走で犯人を100メートルほど追跡した末に、犯人を取り押さえた。後に運転手が犯人との示談に持ち込んだため、警察署からは感謝状を贈呈されなかったが、「一般市民による防犯の原点を示す勇敢な行動」として報じられた[8]

応援歌の原曲は2009年までは「恋はみずいろ」、2010年からは「Go!Ska!Go!」である。

現役引退後に経営しているバーの開店当日にはロッテ在籍時のコーチ・福澤洋一や元同僚の今江年晶福浦和也唐川侑己荻野貴司から開店祝いの花が届いた[9]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2003 ロッテ 14 4 4 5 0 0 0 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2006 6 9 8 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 3 0 .000 .111 .000 .111
2007 6 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .143 .143 .143 .286
2008 17 25 24 2 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 9 0 .083 .083 .083 .167
2009 103 249 219 38 49 10 4 1 70 17 12 7 12 1 16 0 1 44 2 .224 .278 .320 .598
2010 16 29 24 5 6 0 0 0 6 3 3 1 3 0 1 0 1 3 1 .250 .308 .250 .558
2011 22 65 58 7 13 0 1 0 15 3 3 0 4 0 3 0 0 15 2 .224 .262 .259 .521
2012 68 13 11 12 0 0 0 0 0 0 2 1 1 0 1 1 0 5 0 .000 .083 .000 .083
2013 21 25 22 4 3 1 0 1 7 1 2 2 2 0 1 0 0 4 0 .136 .174 .318 .492
2014 13 6 6 4 1 0 0 1 4 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .167 .167 .667 .833
通算:10年 286 432 383 77 75 11 5 3 105 26 26 12 23 1 22 1 3 86 5 .196 .244 .274 .519

年度別守備成績


二塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 - - 5 -- -- -- -- --
2006 4 4 9 0 1 1.000 1 2 2 0 1 1.000 -
2007 3 5 14 1 2 .950 2 0 0 0 0 1.000 -
2008 7 6 9 0 1 1.000 9 13 14 0 3 1.000 -
2009 11 13 20 0 2 1.000 27 22 51 2 12 .973 46 76 0 0 0 1.000
2010 - - 11 9 0 0 0 1.000
2011 - 15 23 40 2 9 .969 4 7 0 0 0 1.000
2012 36 15 19 2 2 .944 1 0 0 0 0 .000 9 2 0 0 0 1.000
2013 11 12 14 1 4 .963 1 0 1 0 0 1.000 -
2014 7 9 6 0 1 1.000 - 1 0 0 0 0 1.000
通算 79 64 91 4 13 .975 56 60 108 4 25 .977 76 -- -- -- -- --

記録

背番号

  • 68 (2003年 - 2015年)

登場曲

脚注

  1. ^ 第26回全日本少年軟式野球大会(2009年)神奈川県代表 横須賀スターズクラブ全日本軟式野球連盟公式サイト
  2. ^ レギュラーシーズン中ではないため、記録上「プロ初安打」とはならない。
  3. ^ 新指揮官の抜擢に応える、荻野貴司の度胸と自覚。~新生ロッテの俊足2番~
  4. ^ 来季契約について 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2015年10月3日閲覧。
  5. ^ 惜別球人2015【ロッテ】早坂 圭介内野手”. スポーツニッポン (2015年12月22日). 2015年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  6. ^ Baseball 早坂 - 皆様こんにちは、Baseball 早坂です。...”. Facebook (2017年3月28日). 2018年1月13日閲覧。
  7. ^ 『プロ野球カラー名鑑2012』ベースボール・マガジン社、2012年、146頁。ISBN 978-4-583-61828-9 
  8. ^ ロッテ西岡ダッシュ!無賃乗車男捕まえた日刊スポーツ 2015年12月22日閲覧。
  9. ^ Baseball 早坂 - 各界の著名人から お花たくさんいただきました。”. Facebook (2017年3月28日). 2018年1月13日閲覧。

関連項目

外部リンク