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「村山古郷」の版間の差分

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[[俳句]]は少年時代、兄・葵郷の手ほどきを受ける<ref name="profile" />。「草上」同人を経て、1932年「東炎」同人となる<ref name="profile" />。戦後、1946年「べんがら」を、1952年「たちばな」を創刊したが、1955年[[石田波郷]]の知遇をえて「[[鶴 (雑誌)|鶴]]」同人となる<ref name="profile" />。1978年[[山路閑古]]のあとを継いで[[鴫立庵]]第二十世庵主<ref name="profile" />。

2020年6月17日 (水) 08:10時点における版

村山 古郷(むらやま こきょう、1909年6月19日 - 1986年8月1日)は、昭和期の俳人京都府京都市下京区仏具屋町出身[1]。本名・正三。兄の村山葵郷、姉のたかも俳人[2]

略歴

1939年[3]國學院大學国文科卒。

保善商業教諭を経て[3]、1941年、日本郵船に入社。内田百閒に師事。

俳句は少年時代、兄・葵郷の手ほどきを受ける[3]。「草上」同人を経て、1932年「東炎」同人となる[3]。戦後、1946年「べんがら」を、1952年「たちばな」を創刊したが、1955年石田波郷の知遇をえて「」同人となる[3]。1978年山路閑古のあとを継いで鴫立庵第二十世庵主[3]

俳誌『嵯峨野』を主宰、俳人協会理事を務めた。1978年、『明治俳壇史』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1985年、勲四等瑞宝章[3]

著書

  • 少國民の爲の俳句の本 青山出版社, 1942.11
  • 城ケ島 べんがら発行所, 1946
  • 天水桶 べんがら発行所, 1948
  • 軒 七洋社, 1949
  • ひとり旅 たちばな発行所, 1953
  • 西京 竹頭社, 1962
  • 大須賀乙字伝 俳句研究社, 1965
  • 文人の俳句 桜楓社, 1965
  • 俳句もわが文学 小説家・歌人・詩人の俳句 永田書房, 1972
  • 石田波郷角川書店, 1973
  • 俳句もわが文学 完 永田書房, 1975
  • かくれ蓑 永田書房, 1977
  • 明治俳壇史 角川書店, 1978
  • 百間先生の面会日 角川書店, 1980
  • 大正俳壇史 角川書店, 1980
  • 村山古郷集 俳人協会, 1980
  • 明治大正俳句史話 角川書店, 1982
  • 明治の俳句と俳人たち 河出書房新社, 1983
  • 金閣 永田書房, 1983
  • 文人句集書誌 明治書院, 1985
  • 昭和俳壇史 角川書店, 1985
  • 古京 角川書店, 1986
  • 波郷さんのベレー帽 富士見書房, 1987
  • 季題別村山古郷全句集 季書房, 1997

編纂

脚注

出典

  1. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  2. ^ この一句・2001
  3. ^ a b c d e f g 日外アソシエーツ現代人物情報

参考文献